『しょうちゃんの雪だるま』

 二月のある日、目をさましたしょうちゃんは、窓の外を見て驚きました。
  一面真っ白い雪景色です。しょうちゃんの家のあたりでは雪が降るのは稀でした。積もる事はめったにありません。
「わーい、雪だ。」
 しょうちゃんは飛び起きました。
「おかあさん、雪だよ。」
  寝巻きを着たまま部屋を出て、朝食の仕度をしているお母さんに言いました。
「どうしたの、今日は土曜日でしょ。まだ寝ていてもいいのよ。」
「だって、外が真っ白だよ。」
 水滴で曇った窓ガラスを指でこすると、雪景色が広がってきます。
「そうね、雪が積もるのもめずらしいですものね。」
  まだひんやりとした部屋にお母さんの包丁の音が響いていました。
  洋服に着替えたしょうちゃんは、また窓のそばで降ってくる雪を見つめていました。舞い降りる真綿のような雪は、引き寄せられるように窓ガラスに付くとたちまち水滴に姿を変えてガラスを伝って落ちて行きました。
「ねえ、おかあさん、雪はどこから降ってくるの。」
「遠いお空から降ってくるのよ。」
 おかあさんが食卓に皿をならべる音を背中に聞きながらまた言いました。
「それじゃ、お空の上には雪がたくさんあるの。」
「ううん、遠くのお空から運んでくるのよ。」
「じゃあ、遠くのお空には雪がたくさんあるの・・・わかった、それは北のお空じゃない。」
「うん、そうかもしれないね。」
 しょうちゃんは自分の言葉に納得して、後から後から雪が舞い降りてくる空を見上げていました。
「わーい、雪だ雪だ。」
  朝ごはんを食べ終ると、しょうちゃんはお父さんと外に出ました。黄色い長靴を履いて、手には青い手袋をしています。
「おとうさん、雪って冷たいね。」
 しょうちゃんは買ってもらった新しい手袋がもったいない様子で、手袋についた雪を払いながら言いました。
「雪だるま造ろう。」
 玄関前に薄く積もった雪をかき集め始めました。
「おとうさん手伝って。」
 しょうちゃんは、絵本でしか雪だるまを見たことがありません。
「はじめはこうやって小さい雪玉を造るんだ。そして、雪の上を転がすと、ほーら玉が大きくなるだろう。」
 しょうちゃんのお父さんは北国の生まれでした。しょうちゃんはお父さんを真似て雪玉を転がしますが、なかなかうまくできません。
「少し転がしたら、形を整えてまた転がすんだ。」
 おとうさんの雪玉は見る見るうちに大きくなりました。
「やっぱりおとうさんは何でも出来るんだね。」
 しょうちゃんは頼もしそうにお父さんを見つめました。そして、お父さんがしたように雪玉を転がし始めました。小さな雪玉はだんだん大きくなり、しょうちゃんは転がすのもやっとでしたが、それでもお父さんの力を借りずに一生懸命に雪玉を転がしました。
「できた・・・。」
 お父さんが造った大きな雪玉の上にしょうちゃんが造った小さな雪玉を載せました。
「おかあさん、目鼻にする炭ちょうだい。」
 しょうちゃんは絵本で見た通りに雪だるまの目鼻を炭で造ろうとしました。
「うちには炭なんてないから、これでどう。」
 おかあさんは炭の代わりにビール瓶の王冠と黒のマジックペンを出してくれました。
「わーい、これでできあがり。」
 しょうちゃんの立派な雪だるまができました。
「帽子もかぶせなきゃ。」
 いつも砂遊びに使っているバケツが雪だるまの帽子になりました。
「手がないとごはんを食べる時に困るよね。」
 そういって移植べらとレーキで手を造りました。
「しょうちゃん、お昼だよ。」
 時間も忘れて遊んでいたしょうちゃんは、お母さんに呼ばれて家に入り、冷たくなった手を暖めました。
「汗びっしょりじゃない。風邪をひかないようにね。」
 おかあさんは乾いたタオルで体を拭いてくれました。
 昼食を食べる間もしょうちゃんは外の雪だるまが気になってしょうがありません。
「雪だるまさんだいじょうぶかな。」
 一口食べては窓のそばに外を見に行きます。
「だいじょうぶ、雪だるまさんはどこへも行かないから。」
 しょうちゃんの喜び様を見て、お父さんは申しわけなさそうに言いました。
「しょうちゃん、ごめんね。おとうさんは用事があるから出かけなくちゃならないんだ。午後からはしょうちゃんと遊べないんだ。」
「いいよ、ぼく雪だるまさんと遊ぶから。」
 昼食を食べるとまた黄色い長靴を履いて外に飛び出しました。
「危ないから道路に出ちゃダメよ。」
「うん、分かってる。」
 しょうちゃんは雪だるまの前にテーブルを造ったり、その上にお碗を載せたりして雪だるまと遊んでいました。
「一人ぼっちじゃかわいそうだ。」
 そう言ってもう一つ雪だるまを造り始めました。しかし、おとうさんのようにうまくは造れません。小さな小さな雪だるまをたくさん造って周りにならべました。
 そのうちに雪が降ってきました。
「しょうちゃん、雪が降ってきたよ。家に入りなさい。」
 お母さんの声にしょうちゃんは家に入りました。
 おかあさんが温めてくれたミルクを飲みながらも、しょうちゃんは雪だるまが気になって仕方がありません。
 雪が強くなり、雪だるまの上に雪が積もり始めました。
「雪だるまさんがかわいそう。」
 しょうちゃんは手袋をつけずに外に飛び出して雪だるまの上に積もった雪を払い落としました。
「冷たい、冷たい。」
  家に戻って凍えた手を暖めました。
「雪だるまさん寒いだろうな。家に入れてあげようか。」
 お母さんは微笑みながら、心配そうなしょうちゃんの耳元に顔を近づけて言いました。
「雪だるまさんはね、寒い所が好きなのよ。家に入れたらたちまち融けちゃうから。」
「ふーん、暖かくなると融けちゃうなんて、かわいそうだな。」
 しょうちゃんは複雑な表情で外の雪だるまを見つめていました。
 夕方雪がやんだ頃、お父さんが帰ってきました。お父さんの姿を見つけると、しょうちゃんは外に飛び出しました。
「おとうさん、雪だるまさんの仲間をたくさん造ったよ。」
 しょうちゃんは誇らしげに言いました。
「へえー、たくさん造ったね。仲間ができて雪だるまさん喜んでいるみたい。」
「だけど、雪だるまさん夜誰かに壊されないだろうな。」
 しょうちゃんは心配そうな顔をして言いました。
「そうだ、ちょっと待ってて。」
 そう言って家に入り、紙を持ってきました。
『ゆきだるまさんをこわさないでください。』
 その紙には、たどたどしい字でそう書かれていました。そして、その紙を雪だるまに持たせて言いました。
「これでよし。」
「うん、いい考えだね、これで安心だよ。」
 しょうちゃんは満足しておとうさんと家に入りました。  
 夜、お風呂から上ったしょうちゃんは、まだ雪だるまが気になります。
「雪降っていないかな。雪だるまさんだいじょうぶかな。」
「もう遅いから。あしたは日曜日でしょ。またあした雪だるまさんと遊べるでしょ。」
「はーい。」
 しょうちゃんはふとんに入りましたが、雪だるまが気になるのと、明日が楽しみでなかなか寝付けません。それでもいつしか雪だるまの夢を見ながら寝てしまいました。
 翌朝、少し遅れて目を覚ましたしょうちゃんは、急いで窓のそばに行きました。
「あれ、雪だるまさんがいない。」
 外は薄っすらと雪が積もっていましたが、昨日造った雪だるまの姿が見えません。
「おとうさん、雪だるまさんがいないよ。」
 しょうちゃんはおとうさんをひっぱって外に出ました。
「あっ、雪だるまさんが・・・。」
 昨日造った雪だるまはバラバラに壊されていました。
「雪だるまさんが壊れてる。」
 しょうちゃんは悲しそうにバラバラになった雪だるまのそばに駆け寄りました。周りにならべていた小さな雪だるまも皆つぶされていました。しょうちゃんの目に泪が浮かびました。
 壊された雪だるまのそばには、昨日しょうちゃんが書いた紙が落ちていました。
『ゆきだるまさんをこわさないでください。』
 しょうちゃんは濡れてくしゃくしゃになったその紙を拾って言いました。
「おとうさん、どうして雪だるまさんは壊されちゃったの。ぼく、壊さないでくださいって書いておいたんだよ。」
「うーん。」
 おとうさんはしょうちゃんに何も話すことはできませんでした。
「雪だるまさん・・・・。」
 しょうちゃんは、バラバラになった雪だるまの欠片を集め始めました。
 しばらくしておとうさんが言いました。
「雪だるまさんはね、きっと・・・。」
 しょうちゃんはおとうさんの方を振り向きました。
「雪だるまさんがどうしたの。」
「雪だるまさんはきっと、怪獣と戦ったんだ。」
「えっ、怪獣が来たの。」
「うん、そこに大きな足跡があるだろう。怪獣が家を襲おうとしたのを守ってくれたんだよ。」
 雪だるまの周りには大きな足跡が残っていました。
「雪だるまさんが家を守ってくれたの。」
「うん、きっとそうだと思うよ。」
「そうか。」
 そう言ってしょうちゃんは、また壊れた雪だるまの欠片を拾い集めました。
「おとうさんも手伝うから、もう一度雪だるまを造ろう。」
 おとうさんは積もったばかりの雪に雪玉を転がそうとしましたが、それを見てしょうちゃんが言いました。
「おとうさん、だめだよ。この欠片を使わなくちゃ昨日の雪だるまさんにはならないんだよ。」
 しょうちゃんは壊された雪だるまの残片を集めていました。
「そうだね。昨日の雪だるまさんを造ってやらなくちゃかわいそうだね。怪獣から家を守ってくれたんだから。」
 そう言って、おとうさんも欠片を集めて一緒に雪だるまを造りました。
「これでできたよ。」
 昨日の雪だるまができました。
「今度は壊されないようにしよう。」
 しょうちゃんは雪だるまの周りに囲いを造りました。
「そうだ。」
 そう言って、しょうちゃんは家に入り、しばらくして、おもちゃを持って出てきました。
「怪獣に負けないようにこれを持たせておこう。」
 それは、しょうちゃんが大切にしている怪獣をやっつける道具でした。
「怪獣が来たら、これでやっつけるんだぞ。」
 そう雪だるまに言聞かせて、おもちゃを持たせました。
 夜になって雪はもうすっかりやんで星も出てきました。
「雪だるまさん、今日は怪獣に負けないだろうな。」
「うん、しょうちゃんが怪獣をやっつける道具を持たせたからね。」
 お父さんが言いました。 「明日は幼稚園でしょ。早く寝なさい。」
 お母さんに言われましたが、しょうちゃんは雪だるまが心配です。
「おとうさんが見張っていてあげるから。」
「うん。」
 もう一度雪だるまが無事なのを見るとふとんに入りました。
 実は、おとうさんも心配でした。もし明日また雪だるまが壊されていたら、しょうちゃんに何と言おうかと考えてもいました。
 あくる朝、しょうちゃんは起きるとすぐに窓のそばに行きました。
「雪だるまさん、だいじょうぶだったよ。怪獣に勝ったんだ。」
 おとうさんもおかあさんもそれを聞いて安心しました。
「雪だるまさん、がんばったんだろうね。」
 しょうちゃんは外に飛び出して雪だるまが何ともないのを見て喜んで言いました。
「雪だるまさんは強くなったんだ。」
 雪だるまを頼もしそうに見ながら言いました。
「ほら、早く朝ごはん食べないとお迎えのバスが来ますよ。」
 しょうちゃんは幼稚園へ行く仕度をして外に出ました。外は晴れてお日様が輝いていました。
「ぼく幼稚園に行ってくるから。帰るまで待っててね。」
 雪だるまにそう言ってしょうちゃんは幼稚園へ行きました。
 幼稚園が終るとしょうちゃんは急いで帰って来ました。
「雪だるまさん・・・。」
 雪だるまは立っていましたが、少しくたびれた様子でした。気温が上って雪は融け始めていたのです。
「おかあさん、たいへん。雪だるまさんが・・・。」
 周りの雪はすでに融けていました。日陰の雪は残っていましたが、日が高くなると、雪はみるみる融けていったのでした。
「雪だるまさんが融けちゃうよー。」
「お日様があたると雪は融けてしまうの。そして、春が来るのよ。」
 しょうちゃんはダンボールを持ってきて雪だるまを囲いました。
 しょうちゃんの工夫でその日は雪だるまは融けずにいました。
 次の日、雪だるまをダンボールでしっかりと囲んで幼稚園に行きました。
 帰ってみると、雪だるまは融けずにいましたが、少し傾いていました。
「雪だるまさん、がんばって。」
 しかし、雪だるまが立っているコンクリートが暖まって次第に下から融け出していました。
 次の日の午後、とうとう雪だるまは倒れてしまいました。
 しょうちゃんは、崩れそうな雪玉をもう一度丸めて雪だるまを立たせました。雪だるまに触るとたちまち手袋が濡れてしまいます。手袋がぐしゃぐしゃになるのも構わずに雪を叩いて雪だるまを立たせました。
  そして次の日、しょうちゃんが幼稚園から帰ってくると、雪だるまは崩れ目鼻に使ったマジックペンが地面に転がっていました。融け出した水は一筋の流れとなって乾いたコンクリートを伝い、道路の側溝へと流れていました。残った雪片はみるみるうちに融けて行きました。
「雪だるまさん、さようなら。」
 しょうちゃんは悲しそうに言いました。そして、最後の雪片が融けるまでしゃがんで見守っていました。
「おかあさん。雪だるまさん行っちゃった。」
 しょうちゃんは、残ったマジックペンを握り締めて言いました。
「もう、春ですものね。来年もまた来てくれるといいわね。」
「うん。」
 そう言ってしょうちゃんは黙って自分の部屋に入ってしまいました。
  夕食の時、おとうさんに雪だるまが融けてしまったことを話しました。
「そうか、雪だるまさんは北国に帰って行ったんだね。他の雪だるまさん達は、もうとっくに北国に帰っているのさ。しょうちゃんのおかげで今までここにいられたんだから、あの雪だるまさんきっとしょうちゃんにありがとうって言っているよ。」
 しょうちゃんは少し気を取り直しました。
「来年、また来てくれるかなー。」
「うん、もちろん来てくれるさ。今度は仲間をたくさん連れて来るかもしれないよ。みんなでしょうちゃんの所へ行こうって。」
 しょうちゃんは少し悲しかったけれども、ちょっぴり嬉しくなってふとんに入りました。
「雪だるまさん、ちゃんと北国に帰ったかなぁ。」
 そう思いながら眠ってしまいました。
「しょうちゃん、しょうちゃん。」
 名前をよぶ声が聞こえました。
「うーん、誰?」
「僕だよ。」
 初めて聞く声でしたが、なぜか知っている声のように思えました。
 辺りを見回しましたが誰もいません。ゆらゆらと何かが漂っているようでした。
「誰なの?」
 そう言った時、何かが目の前をすごいスピードで通り過ぎました。
「あっ、危ない。」
 しょうちゃんは思わず目を閉じました。そっと、目を開けると魚が見えました。
「なんだ、今のはお魚さんだったのか。」
 よく見ると、あちらこちらに魚が泳いでいました。
「ここは水の中?」
「そうだよ。」
 さっきの声がしました。
「誰なの?」
「僕だよ、君の友達の雪だるま。」
「えっ、雪だるまさん?」
 しょうちゃんは目を凝らして見ました。雪だるまの姿は見えませんでしたが、雪だるまの影が見えたような気がしました。
「見たって無駄だよ。僕はここさ。僕は融けて水になったんだ。君といっしょに川を流れているんだよ。」
 しょうちゃんは不思議な気持になりましたが、何故かすんなりと受け入れることができました。
「そうか、雪だるまさんは融けて水になったんだっけ。川に入って流れているんだね。」
 しょうちゃんは一人で水の中を漂っていましたが、何故か友達といるようで寂しくはありませんでした。
「雪だるまさんは北国に帰ったんじゃなかったの。」
「うん、そのうちぼく達は北国に帰って、また雪になって舞い降りるんだ。だけど、それはまだ先の事。今は川を流れて海に向っているんだ。」
「へーえ、雪だるまさんたちは大変なんだね。」
 姿は見えませんでしたが、しょうちゃんは雪だるまといっしょに泳いでいるように思えました。
「川がだんだん広くなってきたねえ。もうすぐ海に入るよ。」
 浅くて大きな岩がごろごろしていた川底は深くなり、川幅も広くなってきました。
「水が塩っぱくなってきた。もう海に入ったのかな。小さなお魚さんがたくさん群れをなして泳いでいるよ。僕こんなの見るの初めてだよ。」
 魚の群は鳥の大群のようでした。それが何かの拍子に一斉に方向を変えて銀色の鱗が屏風のように光ったかと思うとしょうちゃんの方へ向ってきました。
「うわー、危ない、ぶつかる。」
「だいじょうぶだよ。僕達は水になっているんだから、ぶつかったりしないよ。」
 雪だるまの言うとおり、無数の魚がしょうちゃんの目の前を通り過ぎて行きました。
 海はどんどん深くなり、海の底は見えなくなってしまいました。
「わーい、深くて吸い込まれそう。こわいな。」
「海はもっともっと深くなるよ。光りが届かないくらい底は深いんだ。真っ暗な深い海に潜って行く雪だるまもいるんだよ。」
「そんなの怖いなあ。暗くてさびしいだろうな。」
「ううん、暗くて深い海の底にも魚や動物たちがたくさんいるんだ。海の底にも愉しい仲間がいるから、君と遊んだように寂しくなんかないよ。ちょっと行ってみようか。」
 しょうちゃんは深い海の底に潜って行きました。
 微かに光の届く薄暗い海底には見たこともない生き物が住んでいました。
「雪だるまさん、あれなーに。」
「あれはイソギンチャクだよ。」
「イソギンチャクならぼく図鑑で見て知っているよ。あんな細いイソギンチャクがいるの。図鑑で見るのとは大違いだね。」
 そのイソギンチャクは細い体で岩にしがみつき、パラボラアンテナのように無数の触手を伸ばして水の流れにゆらめいていました。
「イソギンチャクさんて泳げないの。」
「うん、イソギンチャクはお魚じゃないから。」
「じゃあ、雪だるまさんみたいにじっとしているの?」
「いいや、何もしていないように見えるけど、ああやって獲物が来るのを待っているんだよ。」
 イソギンチャクに小さな魚が近づくと、それまで流れに揺れていた触手が命を得たようにその魚を捕らえてしまいました。
「あっ、お魚さんが捕まった。」
 捕えられた魚はすぐに動かなくなり、触手に埋もれてしまいました。
「お魚さん、かわいそう。」
「イソギンチャクは生きて行く為に魚を食べなくちゃならないんだ。だけど、イソギンチャクは自分が食べる分しか魚を捕えないんだよ。ほら、あそこのイソギンチャクを見てごらん。」
 近くにいたもう一匹のイソギンチャクのすぐそばを小魚が泳いでいました。しかし、そのイソギンチャクはお腹がいっぱいなのか触手を動かしませんでした。
「イソギンチャクだけじゃない。生物は皆生きて行くために仕方なく他の生物を食べるんだ。だけどむやみに他の動物を傷つけたりはしないんだよ。」
 光の届かない薄暗い海の底では、手足の長い海老や見たこともない魚が泳いでいるのが見えました。海老や魚たちは雪だるまやしょうちゃんを歓迎しているように思えました。
「僕知らなかった。こんな世界があるんだね。」
 しょうちゃんは海の底の小さな生物たちの生きる様を感心して見ていました。
「もう上ろう。やっぱりおとうさんやお母さんがいる地上が恋しくなっちゃった。」
 深い海の底から上って行くとだんだん明るくなり、海面に日の光りがちらちらと波に輝いているのが見えました。白い雲が水にゆらめいていました。そして、魚がまるで鳥のように青い空の下を泳いでいるのが見えました。
 魚の群を掻き分けるようにして海面に出ると、そこはまぶしい光でいっぱいでした。しょうちゃんの体は波に揺られていました。
「ずいぶん暖かいね。だいぶ南の海にやってきたのかな。」
  波に揺られながら、波間からゆらゆらと空に昇って行く雪だるまが見えたような気がしました。
「あれ、雪だるまさんたちがお空へ・・・。」
「そうだよ、海面に浮かんだ雪だるまは、この辺りの海で水蒸気となって空へ昇って行くんだ。僕もそろそろ行かなくっちゃ。」
「えっ、雪だるまさんもお空へ昇っちゃうの。僕は?」
「君もいっしょにお出でよ。」
 しょうちゃんは体が急に軽くなったような気がしました。そして、雪だるまに手を引かれるように空へ昇って行きました。
「こわいよう。だんだん海が遠ざかってゆく。」
 うねっていた波のしぶきは遠ざかり、遠ざかるにしたがって波は小さくなり、まるで動かなくなりました。
「だいじょうぶ、君の体は僕と同じように空気と同じ重さになったんだ。日の光りに暖められてもっと高く昇って行くよ。」
 しょうちゃんは風に流されて行きました。
「あっ、陸地が見える。」
 それはレースのような波に縁取られた緑の絨毯のようでした。そして、どんどん陸の方へ流されて行きました。
「あれはしょうちゃんの街だよ。」
 盛り上がった緑の絨毯の先に、マッチ箱を並べたような家並みが見えました。
「僕が住んでいる街はあんなに小さいの。なんかオモチャみたい。」
「うん、空から見ればあんなにちっぽけだけど、住んでいる人たちは皆一生懸命に生きているんだ。もっともっと高い空から見てごらん。」  
  そう言って雪だるまはぐんぐん昇って行きました。マッチ箱に見えた家はもう点にしか見えませんでした。街は一つの塊となり、細い糸のような道路が他の街へと延びているのが見えました。
「遠くを見てごらん。」
 雪だるまに促されて遠くを眺めました。
「ほら、ずっと遠くまで街が見えるだろう。あそこの街にもこちらの街にも皆人が住んでいるんだよ。もっと遠くを見てごらん。地球が丸いのが分かるだろう。」
 遥か遠くに弓なりの地平線や水平線が見えました。
「あの地平線の向こうまでも、そして海を越えた遠くの国にも人は住んでいるんだ。」
「世界って広いんだね。」
「そうだよ。僕はこれから風に流されて、遠い国で雨になって地上に降りて、川を流れてまた空に昇って雲になり雪になって舞い降りるんだ。地球を一周したらまたしょうちゃんの所へ戻ってくるよ。そうしたらまた雪だるまにして目鼻を付けて欲しいな。」
「雪だるまさんは世界中を廻っているの。」
「うん、そうだよ。風や川や海の流れに従って世界を周っているんだ。」
「いつから。」
「もうずっと前から。しょうちゃんもしょうちゃんのお父さんも生まれるずっと前からだよ。何度も何度も雨や雪になって地上に降りたし、世界中の川や海も知っているよ。時には大きな魚に飲み込まれたり、雪山から転げ落ちたこともあるんだ。」
「雪だるまさんは強いんだね。」
「ううん、僕は強くなんかないさ。僕は雪だるまだから自分では何もできないんだ。自然に身を任せているだけさ。」
「だって、雪だるまさんは怪獣をやっつけたんでしょ。」
「うーん・・・。」
 しばらく雪だるまは考え込みました。
「僕は怪獣をやっつけてなんかいないんだ。」
「ええっ、だっておとうさんが言ってたよ。あの夜雪だるまさんは家を襲おうとした怪獣をやっつけたって。」
「そうじゃないんだ。あの夜、きみもお父さんも寝静まってから、三人の男が道を歩いていたんだ。」
「ふーん。」
「そして、一人の男が僕を指差して言ったんだ。」
「何て言ったの。」
「うん、『あの雪だるま壊してやろう』って。」
「どうして雪だるまさんを壊すの。何の為に。」
「さあ、分からないよ。でも僕は怖かった。三人を必死で睨みつけたけれども近づいてきて、僕を指差した男がいきなり僕の頭を蹴ったんだ。転げ落ちた僕の頭を今度は踏んづけて頭はバラバラになった。」
「そんなひどいことを。」
「うん、それから別の男が僕の胴体に乗って、飛び跳ねて胴体もバラバラさ。僕の胴体も頭もバラバラになったのを見ると満足して去っていったんだ。」
「どうして、そんなひどい事をするの。」
「さあ、分からない。僕は悲しかった。僕の体がバラバラになったからじゃない。そんな事をする大人がいることが悲しかった。せっかく君がいっしょうけんめいに造ってくれた僕を訳もなく壊す大人がいることをさ。」
「助けてって言えば良かったのに。きっとおとうさんが助けに行ったよ。」
「ううん、僕は雪だるまなんだ。何も出来ないんだよ。叫ぶ事もできずに、ただ黙って立っているだけ。」
「ふーん、知らなかったなあ。でも、おとうさん僕にウソをついたの。怪獣が来たなんて。」
「いいや、ウソをついたなんて言っちゃいけないよ。おとうさんはねぇ・・・、おとうさんは君のやさしい心をかばおうとしたんだよ。」
「僕をかばおうとしたって。」
「うん、君はいっしょうけんめいに僕を造ってくれた。そして、僕を壊さないでくださいって紙に書いて僕に持たせてくれた。」
「うん、僕雪だるまさんをいっしょうけんめいに造ったんだよ。壊されたくなかったもん。」
「そうだろう。だけど理由もなく僕は壊されてしまったんだ。僕もどうして壊されなくちゃならなかったのか分からなかったし、そんな人がいるのが信じられなかった。君のお父さんは、僕を理由もなく壊そうとする大人がいるのを知っていたんだ。同じ大人として恥ずかしかったのかもしれない。そんな醜い大人がいることを君には教えられなかったんだよ。本当の事は言わなかったけれどもウソをついた訳じゃないんだ。」
 雪だるまの言葉を聞いて、しょうちゃんは考え込んでしまいました。
「僕、大人になるのがいやになっちゃったなあ。いつまでも子供でいたいな。誰かが一生懸命に造った雪だるまを壊す大人になんかなりたくないよ。」
「でも、しょうちゃんは、黙っていても大人になるよ。」
「うーん。」 「僕はしょうちゃんにお願いがあるんだ。君には立派な大人になって欲しい。そして大人になっても子供の心をいつまでも持っていて欲しいんだ。」
「大人になっても子供の心を持つの?。」
「僕を一生懸命に造ってくれた気持、ボクの欠片の最後の一片が融けて流れてしまうまでじっと見ていてくれたやさしい気持を忘れないで欲しいんだよ。」
「うん。」
「どんな大人だって子供の頃は皆やさしくて一生懸命な心を持っているんだよ。だけど大人になると、世の中の煩わしさに覆い隠されて子供の心を忘れちゃうんだ。僕を壊した人だって、子供の頃は雪だるまを造って遊んでいたかもしれない。きっと自分が造った雪だるまを壊されたら悲しんだだろう。ほんの些細な出来事にも喜びや悲しみを感じていたと思うよ。だけど、子供の心を忘れてしまうと、他人の些細な喜びや悲しみが感じられなくなるんだよ。それどころか、人の心を傷つけることがどんな事なのか分からなくなってしまうんだ。」
「大人になるって寂しい事だね。」
「うん、だから君には大人になっても子供の心を忘れないで欲しいんだよ。」
 雪だるまの言葉は風の囁きのようにも思えましたが、その風は次第に強くなり雲の流れも速くなってきました。
「あっ、東風が強くなってきた。もう行かなくっちゃ。」
「行くって、どこへ?」
「さあ、分からない。僕は雪だるま。風さんが運んでくれるところまで行くだけさ。来年またしょうちゃんの所に雪になって舞い降りたいな。来年はしょうちゃんもちょっぴり大人になっているかもしれないね。さようなら。」
「僕も連れてって。」
「だめだよ。君がいなくなったら君のお父さんやお母さんは悲しむだろう。もうお帰り。」
 雪だるまは東の方へどんどん風に流されて行きました。しょうちゃんは体が急に重くなったように感じました。そして、まっさかさまに地上へと落ちて行きました。
「ああっ、落ちるう。雪だるまさん助けて・・・。」
 体から力が抜けて行くように思えましたが、何故か心地良い感じがしました。
「助けてー、落ちるう・・・・・。」
「しょうちゃん、どうしたの。」
 おかあさんの声がしました。気がつくとふとんの上にいました。
「あっ、おかあさん。」
「どうしたの、しょうちゃん。夢でも見てたの。」
 しょうちゃんは目をこすりながら言いました。
「僕、雪だるまさんと旅行していたんだ。川を流れて海へ行き、お空に昇ったんだよ。」
「あらそう、良かったわねえ。」
 お母さんは笑いながら言いました。
 しょうちゃんは、窓のところへ行って空を見つめました。春の陽が差していました。
「あっ、雪だるまさんだ。雪だるまさんが北へ帰ってゆく。」
 空には真白い雲が浮かんでいました。  お母さんが窓のそばに来ていっしょに空を見上げて言いました。
「雪だるまさん、また来年来てくれるといいわね。」

・・・おわり・・・

| 小説家ゆうきくんにもどる |