きもの春秋12
  「絹」の価値

 言葉とは面白いものである。同じ言葉でも、それを受け取る人それぞれによって印象が違う。それぞれの人が生まれた個人的な環境の違いも有るけれど、その人が生まれた時代によっても言葉に対する印象は違ったものになる。
 「絹」と言う言葉を聞いてどのような印象を受けるだろうか。「絹」という一字ではあたかも漢字辞典を引くようなもので、もう少し肉付けすれば「正絹」という言葉ではどうだろう。
 「絹」とは蚕が繭を作るときにできる動物性繊維であることは小学校の理科の授業を居眠りせずにいた人ならばみんな知っていることである。その絹は古来珍重されシルクロードという言葉のもとになったこと。これも歴史の授業をまじめに聞いていた人ならばみんな知っていることである。
   しかし、「正絹」という言葉から受ける印象は学校教育とは少しかけ離れた位置に有るようだ。  私は「正絹」という言葉は小さいときから聞かされてきた。学校教育を受けるずっと前からである。絹糸が蚕が作るものだと知ったのはずっと後になってからだった。「正絹」と言うのは高いもの。大切に扱うべきもの。子供は触ってはならないもの、というように教えられた。店の商品に触ったり、誤って手が触れたりすれば「子供は触るな!」という言葉が飛んできた。それらは親や祖父になんとなく教えられたものだったが、その価値観は親達が受け継いだものそのものだったのだろうと思う。
 その昔「絹」は貴重品だった。江戸時代には町人はその使用を認められず、人目に触れない裏地に使ったという話は良く聞くところである。西洋でも東洋からもたらされる絹織物は珍重され、多くの隊商達が危険を侵してはるばる中国に絹を求めて旅立っている。それ程大切にされた絹は、今の若い人達にどのように受けとめられているのだろう。    
  若い女性が風呂敷を買いに来たことが有った。
「風呂敷ありますか。」
「はい、色々と種類がございますが、どのような風呂敷でしょうか。正絹ですか。」
「ええ、正絹です。」
 私は正絹の風呂敷をその客に見せた。正絹の風呂敷は縮緬の無地の小風呂敷で4〜5000円。二幅の柄物になると1〜2万円である。値段を聞いて驚いたのか、
「いや、こういう風呂敷じゃなくて、結婚式で引物を包むような、紫のボカシの入った・・・」
 彼女の求めている風呂敷がようやく分かった。化繊の風呂敷で当店では普段扱っていないもので、300円程度の風呂敷である。彼女が正絹の風呂敷の値段を見て驚いたとしても無理はなかった。彼女が「正絹」という言葉を知らなかったとしても、彼女が格別無知であったとは思わない。若い人達の間では「絹」あるいは「正絹」という言葉に対する感覚は、従来のそれとは相当に違っているのだろう。  きものを仕立てすると余った布は全て仕立てたきものといっしょにお客様にお返ししている。お客様の物なので当然と言えば当然だが、あるとき余り布を入れるのを忘れたことが有った。早速、
「余り布が入っていないけれども、どうしたのですか。」
との電話を頂戴した。余り布を入れ忘れたのは完全に当方のミスだった。わずか一尺(30センチ)足らずの余り布だけれども、絹を大切な物と教えられてきた戦中戦後、又その前の時代の人達にとっては、一寸たりとも無駄にしてはならないという感覚がある。若い人達にすれば、
「そんな余り布どうすんの。」
と言うことになるのだろうが、それは世代による感覚の違いとしか言いようがないのだろう。
 絹織物は日本のお家芸で、明治時代は輸出品の中心だった。私の家にも蔵が有る。私の家は祖父が分家をして今の家を譲り受けたものだが、明治時代には、その蔵で蚕が飼われていた。板の間の光沢は蚕の油によるものだという。その頃は山形市の中心部でも蚕が飼われていたのだろう。私が小さい頃、昭和四十年前後には、今の山形大学の裏に養蚕試験場があった。今では市街地で、高級住宅街になっているけれども、その頃は山形の市街地の東の外れにあたり、そこから東は桑畑と田圃ばかりだった。子供の私は友達と試験場のゴミ捨て場に、桑の葉と捨てられた蚕を取りに行ったりしたものだった。それ程盛んだった養蚕業も、めっきり減ってしまい、その後は中国にとってかわられている。
 中国製の生糸は、呉服業界ではきものナショナリズムの壁も有って、陽のあたる場所に有るとは言えないけれども、洋服業界には大量の中国製の絹製品が流入している。下着からTシャツなどのインナー、スーツにいたるまで、中国製の絹製品があふれている。価格的にも非常に安い。テンセルなどの新素材よりも安く、時には綿やウールと肩を並べていることも少なくない。現在の洋服の世界では、「絹は一寸たりとも無駄にしてはならない」と云う感覚は既に昔のものになりつつある。
 デニムの代わりに正絹のGパンや、Tシャツなどのカジュアル品も多く、もはや絹は高級品ではなくなった感もある。しみがついたら職人技で染み抜きをする感覚は洋服の世界には無い。縮緬の白生地を宝石のように扱ってきた白生地の機屋さんや白生地問屋の人達は、今どのように思っているのだろう。
 安い絹が大量に日本に流通し、高級品ばかりではなく、普段着にもふんだんに使われるようになっても、縮緬生地は相変わらず大切に扱わなければならない事に変わりはない。正絹の洗える生地と同じように扱われたら、縮緬はひとたまりもない。通気性があり、保温性にも優れた正絹が安価に流通することは喜ばしいことだけれども、相対的に縮緬生地が敬遠されることにもなりかねない。