きもの春秋5
  きもののしきたり

 きものと云ってもゆかたから紋付まで種類は様々である。きものは式服でも普段着でも形が同じという事情もあり、きものを着た事が無い人にとってどのきものが式服なのか普段着なのか、いつどんなきものを着るべきなのかは分かりにくい。ジーンズで結婚式に出る人はいないし、スーツ姿でスポーツをする人がいないように和服にもその時々に合わせたきものがある。
 何を着るべきかを考える場合、季節と格式という二つの要素を考慮する必要が有る。その時々の季節にあった、その場の格式にあったきものを選ばなければらない。
 季節によってきものは大別して三種類有る。冬物と云われる「袷」(あわせ)<春物といわれる「単衣」(ひとえ)、夏物といわれる「羅(うすもの)」である。これらの区別は、寒い時には暖かいきものを、暑い時には涼しいきものを、という実用的な意味合いもあるけれども、日本のきものは季節を演出するという意味が多分に有る。この事は四季の区別がはっきりしている日本ならではのしきたりといえるかもしれない。普段着であれば、寒いから袷を、暑いから単衣をという着方もするけれども、式服では暦の上で着るべききものが決められている。現在では冬でも夏のように暖房の効いたホテルや夏でも冬のように冷房の効いた結婚式場が時折みられるけれども、暑いからといって冬に単衣や薄ものを着たり、夏に袷を着ることは許されない。同じようにきものの格式にもしきたりが有る。式服の黒紋付と普段着の絣のきものは形が同じだけれども着るべき場所は全く違う。
 しかし、そういったきもののしきたりも最近は乱れてきている。従来式服として用いられないきものが式服に用いられたり、冬物にしか使われない小物が浴衣に用いられたりしている。こういった自由な発想を「新しいきもの」とか「ファッションとしてのきもの」として評価しているむきもあるようだけれども私にはとてもそのようには思えない。きものが身近でなくなった今日、きものを全く知らない人達が勝手気ままにきものを創っているようにしか思えないのである。
 どんな世界にも革新的な変化はつきものである。絵画の世界では写実から印象へ、建築の世界ではゴシックからルネサンスというように大変革はたびたびみられる。今日のきもの文化の乱れはそれらと同じ動きであると云う人達もいるが、私はそうではないように思える。ピカソやミロが難解な絵を描いているが彼らは絵画の基本を知り尽くした上での創作であって決して思いつきで作品を作ったわけではないのである。しかし、今日のきもの文化の乱れは全く絵を見たことも描いたこともない人に筆を握らせてカンバスに絵を描かせそれを評価しているようなものに思えてならない。変革は伝統の積み重ねの上に起こるものであって伝統を踏まえない正統な変革などはありえない。
 着物の伝統を知らない人達にとってはいつどんな着物を着ようとも気にはしないし、恥かしいとも思わないのだろう。
 私にも一つ苦い経験が有る。友人の結婚式に出席したときの事である。季節は六月で、きもので云えば単衣の季節にあたる。単衣の紋付羽織袴で出席するべきであったが、私は単衣の紋付羽織を持っていなかった。父の紋のない紗の羽織を借りて着て行った。結婚披露宴に紋のついていない羽織を着て行くのは無作法であることは分かっていたが、
「どうせ私の友人。私もいい加減な男なら、私の友人もいい加減だから。」
と言う思いが心の片隅に有った。後から考えればおかしな話で、私の友人がいかにいい加減な男であろうと出席者全員がいい加減な人間とは限らない事は理の当然であった。宴が始まり同級生同士のテーブルで酒を飲み、きもの姿を誉められ良い気分になったところでトイレに立った。トイレから出る時に隣の人が話しかけてきた。
「立派な御衣装ですね。やはり日本人にはきものが一番ですよね。私もきものは持っているのですが、なかなか着る勇気がありません。」
私はなかば得意になり
「いや、日本人なら誰でもきものが似合いますよ。」
そこまでは良かったが、その後の言葉は私を奈落の底に突き落としてしまった。
「しかし、こういう場にはやはり背中に紋が一つないと・・・・」
私は突然冷水をかけられた様に酔いが覚めてしまった。背中に紋が付いていないことなどすっかり忘れていたし、自分の背中に注目している人がいるなどとは思ってもみなかった。その後話を伺うと、その方は三味線を弾かれる方で和服には造詣の深い方だった。
 それ以来私はいつ何時でも 「見ている人は見ている。」 と言う言葉が頭から離れなくなった。きもののことを全く知らなければ
「紋がなくてなにが悪い。今どきの披露宴は平服でいいじゃないか。」
と開き直れたかも知れない。しかし、開き直れるとしたらそれは無知のせいでしかない。信念をもって開き直るのとは訳が違う。現代のきもの文化の乱れは信念をもって開き直った姿だとはとても思えないのである。
 何を着るべきかと云うことについては後で具体的に述べるが、きものには洋服と同じように、いやそれ以上に守るべききまりが有ることは頭に入れていただきたいと思う。