きもの春秋8
  西陣の帯

 お客様に帯を勧めていると、
「この帯は西陣ですか」
という質問を良く受ける。
 西陣は織帯の産地である。織帯には丸帯、袋帯九寸名古屋帯八寸名古屋帯半幅帯等がある。近年、丸帯はあまり作られず、袋帯、名古屋帯が主流であったが、普段着としてきものが着られなくなってからは八寸や九寸の名古屋帯も次第に少なくなってきた。特に紬の八寸帯は私が京都にいた頃には問屋に山積みにされていたが、最近は扱う問屋も少なくなり余りお目に掛からなくなった。
 西陣は上京区の堀川通以西、一条通北、千本通り以東一帯を指し、十五世紀後半の応仁の乱の時、山名宗全を中心とする西軍がこの地に陣を定めてからその名が付いたと言う。紅殻格子の古い町並に聞こえてくる機織りの音は京都のイメージにはなくてはならないシーンの一つになっている。
 私が京都にいた頃は西陣もまだ活気があった。用を足しに西陣の機屋へ行くと、 「毎度おおきに」 の声が飛び交い、自転車の後に商品を積んだ人達が走り回っていた。
 西陣の機屋は西陣織工業組合を組織している。年商百億を越える大手の機屋から、家内工業のような小さな機屋までこの組合に加入し、機屋毎に組合員番号が付けられている。それぞれの機屋が作った帯には組合員番号を表示した品質表示の証紙を添付し品質を保持している。西陣には機屋だけではなく、買継屋とよばれる問屋や機織りに必要な職業がひしめいている。            
  紋紙屋というのがあった。帯を織るときには経糸(たていと)を制御するために紋紙が使われていた。紋紙には昔のコンピューターのパンチカードのような穴が開けられている。緯糸(よこいと)一本につき一枚の紋紙が作られ、穴の開いた部分だけ経糸が上がり、杼が緯糸を通していく仕組みである。柄を構成する色糸の緯糸の数だけ紋紙が必要になる。通常、袋帯は繰り返し柄で織られている。繰り返しの柄の長さ(紋丈)が長いほど紋紙の数もたくさん必要になる為、紋丈の長い帯は高価な帯になる。繰り返しのない総柄、全通の超高級袋帯の場合、紋紙は四トントラック一台分にもなると言う。その紋紙を作るのが紋紙屋である。私が見せてもらったのは、おやじさんが一人でコツコツと紋紙を作っている小さな紋紙屋だった。おやじさんはオルガンのようなミシンのような、紋紙に穴を開ける機械に向かって紋紙を作っていく。帯の柄が描かれ、色の塗られたグラフ用紙を見ながら一枚一枚紋紙を作っていくのである。複雑な作業ではないけれども根気のいる地味な仕事である。何千枚にも及ぶ紋紙の一枚でも順序を間違えたり、穴の位置を間違って開けてしまえば織り上がった帯はたちまち難物になってしまう。現代のコンピューターのソフトウエアーに良く似ている。コンピューターのソフトでは「,」(コンマ)一つ間違えただけでコンピューターが作動しなかったり全国の端末にまで影響を与えてしまう。
 コンピューターと言えば最近は西陣でもコンピューターが導入され、紋紙が必要なくなったと聞く。織機がコンピューターに連動して経糸の操作は全てコンピューターが制御している。四トントラック一杯分の紋紙も薄いフロッピーディスク一枚にとってかわられている。今はもう紋紙屋さんは西陣にはいないのかも知れない。西陣の町に紋紙を打つ音が聞かれなくなるのは寂しい気もするけれどもこれも時代の流れでしょうがない事なのだろう。
 さて、 「この帯は西陣ですか」 というお客様の質問に私は言葉を詰まらせてしまう。お客様は西陣イコール高級品のイメージで捉えているのだろう。その帯が西陣ものであるか否かを問う事は高級品であるかどうかを尋ねている。帯の産地は西陣のほかに博多や桐生があるが、その生産量は西陣とは比べものにならない。まして袋帯に限って云えば、ほとんどが西陣である。袋帯を指して、
「これは西陣物か」
と聞くのは、魚屋でマグロを指して、
「これは海で獲れたのですか」
と聞くようなものである。マグロにも黒マグロやビンナガマグロがあるように、西陣の帯にも高級品から普及品まである。
 西陣イコール高級品のイメージをここまで高めたのは西陣織工業組合の努力の結果である。私も小さいときから「帯は西陣」という標語は何度も聞かされ頭にこびりついている。こういった西陣織工業組合の努力を無駄なものとは思わないし、むしろ日本の伝統的織物をここまで引っ張ってきてくれたことに私は敬意を表している。それでも、お客様に「この帯は西陣ですか」と問われて「そうです」としか答えられないことになにかしっくりこないものを感じてしまうのである。
 きもの離れがすすんだこととバブル崩壊の波を諸にかぶったのか今の西陣は活気がない。私の友人に小さな機屋の息子さんがいたが、彼の家も今は廃業し、彼も別な商売をしている。
 最近は他の業界と同じように国際化の波にさらされ、呉服業界でも中国や韓国の商品が入ってきている。西陣の力のある機屋のオヤジさん達の目は、海を越えた西の方に向けられている、と言う話も聞く。その傾向は今後益々増えていくのだろう。そのうちに
「この帯は西陣ですか」
という言葉は
「この帯は日本製ですか」
の代名詞になるのかも知れない。