平成14年11月2日

NO.4

 山形市七日町の岩淵茶舗は代々山形城下で鞘師をしていたが、四代前の岩淵栄治氏は山形の代表的な紅花商人「丸十大家」に番頭として使え、後独立。当初紅花を扱っていたが、明治十年頃より紅花は中国産や化学染料におされ需要が激減したことにともない、京都との通商を利用して明治13年に茶業に専念する。しかし、最上紅花の消滅を憂えて僅かながらも紅花の保存に努力する。
 汎用の紅染めはほとんどが化学染料に取って代わられる中、皇室行事に用いられる調度用織物は昔ながらの紅を必要としていた。明治41年の伊勢皇太神宮の式年遷宮と大正八年の明治神宮造営に際し、岩淵栄治氏と生産業者の努力の結果、必要な紅花を皇室に献上。
その紅花で染めて織られた織物の断片を下賜され現在に残されている。それらは明治神宮の調度用または儀式に用いられた織物で、当時は皇室でしか扱われなかったため、下賜された織物はみだりに公開しない事という添え書きもあったという。栄治氏の紅花献上は、それ程までに皇室に喜ばれた証左ともいえる。
 織物は高島屋を介して調達されたため高島屋の札がつけられている。断片の保存状態は良く、当時の色そのままに残されている。

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壱拾
 
壱拾壱
深紫大葵文前式年用
壱拾弐
 
壱拾参
 
壱拾四
 
壱拾五
大和錦七宝文
壱拾六
緑地白唐花唐草紋明治神宮用
壱拾七
 
壱拾八
 
壱拾九
 
弐拾
赤地唐花唐草文
弐拾壱
赤地鉄線文
弐拾弐
固地綾大葵文
弐拾参
 
 
 
 
生地の名称は添付されていたものです。

 

岩淵家に伝わる紅花取引の道具

紅花取引に使われた天秤(上)と分銅(右)

下は紅鑑札。嘉永元年の文字が見える。

 
明治時代に使われていた紅猪口。猪口に塗られた紅を筆で採り唇に塗った。
 

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