きもの博物館20
  文久二枚型小紋

染色の歴史は美しいきものを着たいという欲求に支えられて発達してきたと言えます。
 もともと染色の始まりは、花弁の色素を織物に擦り付けて染める稚拙なものだったと言われていますが、人間の知恵を持って長い年月をかけて発展させてきました。
 天平の時代には三纈と呼ばれる『纐纈』『夾纈』『臈纈』など。その後、繊細な柄に染める技術は、『茶屋染』『一珍染』『辻ヶ花染』、そしてその集大成である『友禅染』を生んだのです。
 友禅染が盛んになると、もっと大衆向けで大量生産が可能な型友禅を生むに至りました。型をもって染めることにより手描きの友禅よりも安く、大量に同じものができるようになったのです。
 型染めというのはご存じの通り、型に染料を混ぜた糊をすりこんでいく染色法です。図1のような型を用いて染めれば、図2のように柄を描くことができます。型に彫る形を複雑なものにすれば、作者の意図する柄の同じ物を大量に作ることができるわけです。
 しかし、どんな柄でも自由に描けるかと言えばそうはいきません。例えば、図3のような形(三桝)を型で染めようと思っても染めることはできません。なぜなら、図4のような型を作ろうと思えば型は抜け落ちてしまうからです。無理して型が抜け落ちないようにすれば図5のような型になってしまいます。
 そこで考え出されたのが型を二枚用いて重ね染をする二枚型の手法です。原理を簡単に説明すれば図6のようになります。A、B二枚の型を重ね染すれば、Cのように染めることができるのです。このような型染が作られたのは江戸時代末期の事でした。
 江戸時代も寛永年間(17世紀初頭)になると、武士の礼装である裃(かみしも)に小紋染が使われるようになりました。これらの柄は今日『江戸小紋』として伝わる『鮫小紋』や『通し』、『萬筋』といった細く単純な柄が中心でした。しかし、江戸も中期、元禄時代(17世紀末)になると小紋柄は庶民に広がり、柄も複雑なものが多くなり、町絵師達は精緻な柄を競って作るようになりました。柄が精緻なものになるに従って型染では対応できないような柄が出て前述した二枚型の技術が考え出されたわけです。
 分解された絵の一枚を「主(おも)型」、もう一枚を「消(けし)型」と呼び、生地の上に重ねて染めていきます。二枚の型を寸分違わずに合わせながら十二mの長さの生地に染めていくのですから、その技術は大変なものです。町絵師と型彫職人と型附(染)職人の 火花を散らすような技術の競い合いからこの小紋染が生まれた
と言えます。
 この技術が確立されたのは江戸末期、文久の時代で江戸小紋とは区別して文久小紋と呼ばれています。同じような技術は京都でも作られ「京追っ掛け」(風通染とも言われた)の名称で作られていたと言われていますが現在は染められてはいません。
 複雑な柄を二枚に分解する技術、そしてその二枚の型を寸分違わずに重ね染めていく技術、それらを手で行なうことは現代人にはとてつもない手間暇がかかるのです。しかし、翻って考えれば、絵を二枚に分解することなどコンピューターの力を借りれば容易なことでありましょうし、まして二枚型など使わなくても三桝のような柄など現代のプリント技術をもってすれば難なく染めることができるのです。つまり、現代では手間暇かけて二枚の型を作り、それを染めるというのは経済的に採算がとれないということでしょう。  しかし、手作りの良さというものはコンピューターや機械を持ってできるものではありません。熟練職人によって正確無比に染められた中のわずかな誤差、それは人間の感性をもってしかできない良さなのです。
 染屋の人が私に言いました。
「文久小紋も分かってくれる人とそうでない人がいるんですよ。」
 色や柄の好き嫌いは人それぞれです。好みが十人十色で一向に構わないのですが、最近は苦労して染めた二枚型の小紋よりもプリントで染められた小紋の方が良いという人が多くなっているという。
「手作りで彫られた丸は丸ではないし、直線は直線ではないんですよ。」
 職人の手で彫られた曲線はわずかな誤差を含み、直線はわずかにしなっている。
「その良さを受けとめずに機械的な直線や曲線を好む人が多いんです。」
 時代によって人の好みは変るのはやむをえないけれども、手作りの良さが失われるのは寂しい事です。
 冒頭に二枚型の原理を説明しましたが、実際にははるかに複雑な柄が創られています。
 図7は、江戸時代に創られた主型、図8は消型です。二枚の型で重ね染され、図9の柄ができます。主型、消型の背景にある斜線が合わさり、『紗綾型』(さやがた、「卍つなぎ」とも言う)と呼ばれる繊細で複雑な柄が現出するのです。
 図10、図11も江戸時代に考えられた柄です。
 現在染められている文久小紋は全て江戸時代に創作され、二枚に分解された型をもとに染められています。
「こんな手間の掛かる染め物、いつまで染められるか分かりませんよ。」
 染屋の言葉である。