きもの博物館23
  紗・・日本の情緒  

 日本の情緒は四季の移り変わりと密接な関係にある。北緯四○度前後に位置する日本は、冬は寒く夏は暖かい温帯に属している。日本に生まれ育った我々にとって、四季の変化はあたりまえのこと。四季のない国、と言われてもピンとはこないのである。
 『常夏の国』という言葉がある。『常夏の国ハワイ』と言った具合である。幼少時の私は、トコナツとココナツを混同して『常夏』の意味が分からなかったが、意味を解せば実に不可解である。一年中夏、というのは日本人には良く理解できない。暑い夏になれば、涼しい秋が待ち遠しくなり、寒い冬には新芽のふく春が恋しくなるのが日本人である。  
  四季の変化は、暑さ寒さだけではなく日本人の生活のすみずみまで入り込んでいる。
 花見や紅葉狩り、盆踊りや雪見酒。季節の情緒を数え揚げればきりがない。『旬のもの』という言葉があるように季節々々に自然の恵みを楽しませてくれる。 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 と、正岡子規の俳句を引き合いに出すまでもなく、四季はそれぞれ楽しみを与えてくれる。海の幸では、初がつおや蛎、川魚では鮎など四季折々の味覚を楽しませてくれるのである。
 しかし、そんな季節の情緒も最近は薄れてきている。
 二酸化炭素増加に伴う地球温暖化、などと大仰な議論を持ち出さずとも、キュウリやスイカは一年中八百屋の店先を飾り、節句や月見といった年中行事も最近は余り行なわれなくなってしまった。 私が子供の頃正月といえば、それは楽しかったような気がするけれども、最近では唯の休日になってしまったかのように感じるのは私が年をとったからだけではないだろう。
 温室栽培や冷蔵技術の発達、そして社会がせわしくなり、四季の情緒など楽しんでいたら社会に取り残されるといった社会的要因もあるのだろう。
 きものとて例外ではない。ご存じのように、日本のきものは季節とは切っても切れない縁にある。『袷』 → 『単衣』 → 『うすもの』と季節によって着るものを替え、それは実用を越えて見る者に季節の移ろいを感じさせてくれるのである。
 私は商売の話になると、よく次のようなことを言われる。
 一月、   「成人式でお忙しいでしょう。」
 三月   「卒業式や入学式できものも売れるでしょう。」
 六月   「夏物の時期で夏物が動くでしょう。」
 十一月   「正月用のきもので仕立てが大変ですね。」
 その言葉通りに忙しければ呉服屋も安泰なのだろうけれども、それは昔の話で最近はそんな事もなくなってしまった。
 卒業式、入学式には着物で、夏には夏物を新調し、正月はきもので厳粛に迎えるといった風潮は少なくなってしまった。着物を着る人が少なくなったという絶対条件が背景にあることは否めないが、日本人ならば日本の風情をもっともっと味わってもらいたいと思うのである。
 さて、夏の風情を演出するきものに『紗』がある。以前『羅』を紹介したときに少し触れたように、紗は羅や絽と供に夏の着物を代表している。
 紗とは何かと言えば、生地の種類を指し、搦み織りのひとつ で、経糸二本が一組となって、緯糸が一本織り込まれるごとに よじれ、隙間ができる夏の織物である。強撚糸の駒糸を使うの で生地に張りがありシャリ感がある。
 夏の着物としては絽の方が多く使われている。夏の留袖、訪 問着、付下、小紋、色無地、いずれも絽の生地を使ったものが 多い。その原因は紗は絽に比べて砕けた感じがすること、友禅 を施した時に絽の方が柄がはっきりと描けるからではないかと 思う。
 確かに夏の留袖や振袖に紗は用いられない。紗の訪問着も絽のそれと比べたら、やや砕けた感じがするのは否めない。しかし、紗は絽に比べて通気性があり着ている本人には涼感がある。
 さらに絽は余り透けないけれども、紗は透けて見えるので襦袢とのコンビネーションが微妙な光の波紋を作り、見る者の涼感を満喫させるのである。地紋の入った紋紗の着物が風に揺れ、光を受ける様は日本の着物ならではの季節感ではないかと思う。
 私の店では、夏の襦袢は紋紗の襦袢を勧めている。絽の襦袢もあるが、紋紗の襦袢は肌の感触が涼しげである。シャリ感があり、絽の襦袢のように肌に付かない。着物も紗は絽ほど汚れを気にすることもなくメンテナンスも楽である。
 春の気配もまだ感じられない二月、機屋では既に夏物を織る機の音が響いている。私の店にも夏物が持ち込まれるようになる。二月に小売屋に夏物の見本を持ち込み、受注して四、五月に納める、というのが従来のパターンだけれども、最近はそうでもなくなってきた。夏物の需要が減り夏物を扱わない小売店さえ出てきた昨今、機屋や染屋でも夏物をやめる所が増えてきた。夏物を作っている所でも売れ残りを懸念して早々に夏物を切り上げてしまうのである。
 しかし、頑なに紋紗の白生地を織り続けている所がある。白生地と言えば丹後や長浜、五泉が有名だれども、その機屋は丹波である。
 丹波は兵庫県氷上郡青垣町付近を指し、丹波布の産地として知られている。全国には大島紬や結城紬などの有名な織物の産地はたくさんあるが、丹波は余り知られていない。丹波に限らず織物の産地は全国にあり、もともと『産地』などと言う名称を付けるべくもなく、自給自足で織っていた織物があるいは廃れ、あるいは特産となって今日に残ったのだろう。そういう意味では産地に限らず、どこででも機が残っていても不思議ではない。
 その丹波で作られている紗は昔ながらの紋紗の白生地だった。手触りもサラサラとした夏を連想させるような生地で、 「今でもこんな紗が・・・。」 と、思われるものだった。 「頑固なおやじさんが頑なに作っている。」 と言えば、付加価値が付けられ高価になりそうなものだが、値段も丹後や長浜のものと変わらない。
 長板中形の野口先生の時もそうだったけれども、本当に良いものは細々と作られ、付加価値を付けられることもなく、作り続けられている。
 時代が移り、需要が減ろうとも、本当に良いものをこつこつと正直に作り続ければ分かってくれる人は必ずいる、という信念なのだろう。