きもの博物館2 
  手織りの帯

 帯の産地、京都西陣へ行ったことがあるだろうか。いらかの並ぶ狭い小路に機屋がひしめき、機織りの音が聞こえてくる・・・・・というのは昔の話である。西陣の活気も今は昔となってしまった。最近では西陣の機の音も鳴りをひそめてしまった感がある。
 私が京都にいた十数年前は、まだ機の音が聞こえていた。その当時でも自動織機が主流で、手機(てばた)は少なくなっていた。手機というのは横糸を通す杼を手で飛ばし、筬を打ち込むのも手で行なう機の事である。
 西陣の老舗の機屋さんと展示会をまわったことがあった。機織り実演と称して、機織りの職人と一緒にまわったのである。機を織るのは私より十歳くらい年上の女性だった。機織り機に向かって杼(ひ)を飛ばしながら筬(おさ)を打ち込み八寸の紬帯を織っていた。八寸の紬帯は最近余り見られなくなったが、その頃はまだ沢山織られていた。八寸の紬帯は機に張られた縦糸の下に下書きの柄を描いた紙をあてて、その図柄に沿って色糸を選び、柄を織っていく。ジャカード機械のように正確に、何色の糸は何番目から何番目の縦糸の間を通す、といったような精緻なものではなく、図柄を織り込むのに機を織る人の主観が十分に入る余地がある。言ってみれば二度と同じ帯ができないといっても過言ではない。そんな帯を織っている彼女が私に機織りについていろいろと話をしてくれた。
 「最近は(十年前)大学出の人が機織りに憧れて来る」
という。彼女もその口だった。機織りというと、辛い地味な仕事のように思われるけれども、そこには人間的なロマンが感じられるというのである。その老舗の機屋でも、自動織機にとって代わられ、手機は少なくなっていると言う。その機屋さんの店は西陣の風景として良く紹介される機屋さんで、昔ながらの格子の窓に行灯がシンボルになっている。その昔の面影を残す機屋の店の二階が手織りの部屋だという。近代的な織機の並ぶ鉄筋の建物と違って、歴史ある西陣の中で機を織ることに彼女は誇りを持っていた 。
 彼女の話の中に機織りのエピソードもあった。
 機織りは昔から若い女性が多かった。機屋の主人は織物のできを見れば、その女性が身籠もっているかどうかが分かると言うのである。おなかに子供が入ると、女性は無意識の内におなかの子をかばい、筬の打ち込みが弱くなるのだと言う。織手の手加減でそれほど微妙な味が出るのが手織りの帯である。彼女は実際に機織りの繊細な技を見せてくれた。杼を飛ばし横糸を強く引いて筬で打ち込んだり、杼をわざと斜めに飛ばして横糸にゆるみを持たせて筬を打ち込んだりして、そのふうあいを微妙に調整しながら織っている。機械ではできない織技である。そのふうあいを出す為に彼女達は苦労しているのである。  私は西陣の帯の産地問屋の人に聞いた事があった。
「手織りの帯と織機の帯の違いは見て分かるものですか。」
 業界に入りたての私は素人くさい質問だとは分かっていたが聞いてみた。
「そりゃわかりまっせ。」
 彼は、「誰に聞いているんだ」というような表情で言った。
「どのように違うのですか。」
 さらに私が聞くと、
「そりゃ手織りの帯は、ふんわりとして・・・・」
 彼の答ははっきりとした説明になってはいなかった。しかし、彼は帯を見れば
「この帯はどこそこの手織り、これはどこの機械機(きかいばた)」
と見分けられるのである。
 手織りの良さは微妙である。誰しもが見て分かるような物ではないけれども、そこには明確な良さが有るのである。
 物の良さを見分けるという事は何と難しい事か、そして、それがどんなにすばらしい事であるかをそのときに思った。