きもの博物館36 

     几 帳 

 几帳  だいぶ前のことになるけれども、お客様に尋ねられたことがあった。
『几帳というのはどこで売っているものですかね。』
 几帳と聞けば、源氏物語のシーンを思い出す人も多いかもしれない。 蛍の帖で玉鬘と兵部卿は光源氏に促されて几帳を隔てて相対する。光源氏は兵部卿に玉鬘の顔を見せようと、几帳の帷子を一重あげて蛍を放つ。玉鬘は顔を見せまいと扇で顔を隠すが明るい蛍の光に照らされたその横顔に兵部卿は心を奪われる。 几帳は宮廷の景色を飾った調度品である。立派な有職織や染物で作られた几帳を思えば、誰しも、
『呉服屋に聞けば分かるだろう』
と、思うかもしれない。しかし、私も几帳など扱っている仕入先も知らなかった。今となっては几帳など実生活には縁遠いものになっている。 「几帳」というのは二つの言葉を組み合わせた造語である。二つの言葉とは文字通り『几』と『帳』である。 『几』は台を表す。そして、『帳』は、とばり、張り巡らす幕、を意味する。T字型の黒塗りの台が『几』であり、それに吊り下げられた布が『帳』である。 几帳にはいくつかの種類がある。通常使われるのは『三尺几帳』又は『四尺几帳』である。『三尺几帳』は『座几帳』とも呼ばれ、高さが三尺の几に四幅(約百二十センチ)の帳を下げる。『四尺几帳』は四尺の几に五幅(約百五十センチ)の帳を下げた大きなもので別名「廂(ひさし)几帳」とも呼ばれる。
  さて、その『几帳』は一体何に使われたものだろうか。
「几帳とはあれのことか。」
  と分かっている人でも、その質問に余り正確には答えられないかもしれない。 几帳が使われ始めたのは平安時代である。当時の貴族の館は寝殿造と呼ばれる建築様式だった。寝殿造は間が広く仕切りがない。外と内を隔てるものは簾と壁代、軟障(ぜじょう)である。簾は内から外を見通す事はできるが外から内部を覗かれない特徴があった。しかし、いっそう内が見えないようにするために簾の内側に廂几帳が立てられた。壁代を下げてしまえば全く内が見えなくなるが、通風や採光を考えれば廂几帳の方が重宝だったのだろう。 さらに内部を小間に仕切る為に使ったのが屏風、衝立、そして座几帳だった。 壁代や簾、軟障は長押(なげし)に下げるもので自由に動かすことができない。屏風、衝立、几帳はどこにでも置くことができ、大間を小さい空間に間仕切るのに重宝だった。しかし、屏風や衝立は動かすのは人手を要し、非力な女官だけで動かすのは難しかったかもしれない。そういう意味で座几帳は簡単に移動できる屏障具だった。 几帳には他に枕元に置く『枕几帳』と呼ばれる高さ一尺六寸五分(約五十センチ)の小さな物もあった。又、女房(宮廷に仕える高級女官)が道行くときや、陛下が行幸する時に顔を隠すために用いた差几帳というのもあった。左右の供に几帳を持たせて顔を隠して歩く様はまさに宮廷の美学である。
 最近、几帳には余りお目にかからなくなったけれども、料亭などでまだ見かけることがある。お客様の家に伺った時に玄関に几帳が置いてあった。よく見ると立派な絽の織柄の几帳だった。そんなものがまだあるのかと思って聞いてみると、古い絽の丸帯を切って作ったものだった。仕立てあがった丸帯を開き、縦横に四等分すれば丁度四幅の几帳ができる。古い丸帯のそんな使い方があるのかと感心するとともに几帳の美しさを改めて知った思いだった。