きもの博物館46
    絞り染

 絞り染めは素朴で原始的な染色法である。
 衣に色を染めるという文化が人々の間で起こってくると、さてどのようにして色を染めるのか、どのようにして柄を染めるのかという技術的な問題に突き当たる。現代では色柄を布にプリントするのは当たり前の話で、多彩な洋服を見るたびにその染色法に感心する者はいない。
 しかし、衣に柄を染めると言う文化が起こった当時、それは大問題だったはずである。問題は、いかにして染分けるか、すなわち色を染める部分と染めない部分とをどのようにするかである。布を浸染すれば染料は布全体に行き渡る。染料に浸けても色を染めない部分をどうやって染料が行き渡らないようにするか。それは防染と呼ばれ、古来様々な方法が考案されてきた。
 日本文化揺籃期のタイムカプセルと言える正倉院には三つの染物が伝えられている。夾纈染、蝋纈染、纐纈染の三つであり、これらは天平の三纈と呼ばれている。この纐纈染が絞り染である。
 絞り染めの原理は、布をきつく絞って浸染すれば絞った部分は染料が染み込まず染まらない、という単純なものである。
 もともと布を染める際に、布を束ねて浸染すると、良く染まらない部分ができる、といった経験的な知識により考案されたものだと言われている。その為に絞りは南米からアジア、アフリカに至るまで遺跡から発掘されており、自然発生的に世界各地に同時に生まれた事がうかがわれる。
 先に述べた夾纈染は、染めたい柄を透かし彫りにした板を押し付けて防染する。蝋纈染は蝋を防染剤として布に絵を描いて染める。どちらも完璧とは言えないけれども、作者の意図する柄を描く事が出来る。しかし、絞り染めは絵を描くように柄を付けることが出来ない。絞りの柄は絞るという行為を通してできる偶然性が柄を創るもので、作者も果たしてどのような柄に仕上がるのかは正確には判断できない。今でも絞りの作家は染め上がった反物の糸を解く時にはわくわくすると言う。ちょうど登り窯から焼き上がった作品を取り出す陶芸家の気持に相通ずるものがあるらしい。
 正倉院に伝わる絞り染めも幾何学的、あるいは繰り返し柄で、必然的に描かれた友禅染とはまるで違った染物である。絞りと言う単純な防染法で染めた柄なのでカンバスに絵を描くようにはいかない。しかし、絞りの技術は発達して様々な絞りの技法が行われている。 単純だけれども細心の技術が要る鹿の子絞り。鉤針を用いる三浦絞りや手蜘蛛絞り。桶を用いる桶絞り。そして現在ただ一人によって伝承されている丸太を使って絞る嵐絞りなど。それぞれが味のある絞り模様を現出している。
 先に、絞りは作者が意図した柄が描けないと書いたけれども、実は絞りで柄を描く方 法もある。
 一つは縫い絞りという技法を用いて多色を使い分けて柄を染める方法である。これは辻が花染と言われ、現在福村広利氏によって伝承されている。
 もう一つは鹿の子絞りや一目絞りを用いて柄を描く方法である。絞りを点として点描 で絵を描くのである。模様の輪郭に沿って絞りを施して線として繋いでいったり、逆に一面に鹿の子絞りを施し、柄の輪郭だけを絞らずに残し柄を描くのである。
 これらの技法を用いて創った昔の藍染の長着や振袖などが今日まで多く伝わっている。
 絞りのもう一つの特長は絞りによってできる皺である。染料の浸漬を防ぐために、生地は糸できつく縛られる。その為に糸を解いた後も皺は残るのである。現在は皺が絞りの証しと思われている。
 しかし、実はこの皺は絞りの副産物と言えるものである。原初の絞り染めは防染を主目的としていたので、絞りを解いた生地は皺がなくなるまで延ばされていた。今日残っている辻が花染のきものを見ると皺を延ばすのに苦労した跡が見られる。
 皺は残すのが良いのか、延ばすのが良いのかは好き好きかもしれない。しかし、絞り染めに残る皺は職人の手仕事の証のように思われる。  絞りの柄と皺の有る風合い、これは絞りという染色法以外では絶対にできないものである。日本のきものの多種多様な染色法には改めて驚かされるのである。