きもの博物館.51
    芭蕉布

 夏のきものの一つに芭蕉布がある。芭蕉と言えば何を連想するだろうか。夏を代表する高山植物、水芭蕉を思い浮かべる人もいるかも知れない。また、多くの人が俳人松尾芭蕉を連想するのではないだろうか。松尾芭蕉の俳号「芭蕉」とは一体何から来ているのだろう。
  「芭蕉」は植物の名前である、というのは誰でも知っているだろう。それでは芭蕉とはどんな植物なのかと問えば、正確に答えられる人は少ない。芭蕉は水芭蕉であると思う人もいるかも知れないが、それは否である。水芭蕉は清水流れる高山に自生していることから、「清水に生える芭蕉のような植物」という意味で芭蕉の名を借りている。水芭蕉は本家の芭蕉とは全く別物である。
 英語で芭蕉を『Japanese Banana』という。実は芭蕉とはバナナのことである。芭蕉イコールバナナというイメージがピンとこないので、松尾芭蕉とバナナはうまくつながらない。そのバナナの木で造ったのが芭蕉布である。
 芭蕉は沖縄や南九州に自生している。しかし、芭蕉布が織られている沖縄産のバナナと言うのは余り聞いた事がない。実は、芭蕉布に用いられる芭蕉の木はバナナの木に違いないが、食べるバナナとは種類が違う。食べるバナナの実がなるのは実芭蕉と呼ばれている。他に花芭蕉、糸芭蕉があり、芭蕉布の糸を採るのは文字通り、この糸芭蕉である。
 糸芭蕉は仏教とも係りが有り、寺院にも植えられている。松尾芭蕉はその姿を見て「風雨に傷みやすきを愛す」と言って彼の俳号にしたと言われている。芭蕉イコールバナナ(実芭蕉)と思うと、芭蕉の句も甘ったるいものに思えてしまうけれども、昔から日本にある芭蕉の愛した芭蕉の木は実のならない芭蕉の木である。
 前置きが長くなってしまったが、芭蕉布は昔から沖縄で織られてきた織物である。13世紀頃にはすでに織られていたと言う。布を織る為の糸を身近に求めるのはどこも同じで麻しかり、しな布しかりである。麻も、しな布も植物の繊維をそのまま糸に利用している。絹や綿のように複雑な工程を経て糸を取り出すのではなく、比較的原始的な製糸法である。芭蕉布も同じように昔ながらの方法で造られる。
  糸芭蕉は植えて2〜3年で2メートル程に生長して芭蕉布の原料となる。昔は自生している糸芭蕉を用いたが、良質の繊維を採る為に今は全て栽培している。柔らかく均質な繊維を採る為に、葉留めや芯留めを3、4回するという。こうして大切に育てている糸芭蕉の木は最近珍重されて盗難が相次いで生産者の悩みの種になっている。
 原材料の伐採は冬場に行われる。葉を落として1.5メートルの茎が原料となる。糸芭蕉の茎はタマネギのように25〜27枚の層をなしている。これを一枚一枚はがし、さらに裏表にはがしてその表側を糸に使う。上布と同じような工程を経て糸が造られる。茎の中心部に近いほど繊維は細く柔らかいので、着尺用に使われ、外側は座布団地やコースターなどに使われる。着尺に使う質の良い糸は原木1本からわずか5cしか採れないので、一反の着尺を織るのに40〜50本の原木を必要とする。
  原木から剥いだ原皮は灰汁で煮て柔らかくする。不純物取り除いた後、「苧績み」という工程で細い糸にされる。「苧績み」は爪の先で原皮を裂いて糸にして、それを結んで長い糸にする熟練と根気を要する作業である。
  できた糸には撚りが掛けられ整経し、絣柄をつけて機に掛けられる。
  糸として機に掛けるまでにこの間2〜3ヶ月という時間と、多くの労力を必要とする。
 もともと沖縄各地で造られていた芭蕉布は、現在沖縄本島北部、山原(ヤンバル)と呼ばれる大宜味村喜如嘉を中心に織られている。沖縄本島北部は、中部や南部程戦災を受けなかった事、土地が痩せていて他の作物が実らず、生命力の強い芭蕉を植えたことなどの地理的な要因もあったけれども、その技術が大宜見村で保存されているのは、村の人達の努力によるものが大きい。
 明治の末に平真祥氏が技術の革新を図り、芭蕉布を工芸品としてより高い物にしていった。昭和に入って、真祥氏の息子真次氏が喜如嘉区長として村の殖産の為に全国に芭蕉布を紹介し、大宜味村芭蕉布織物組合を結成するが、戦争により中断してしまう。
  戦争による中断は芭蕉布に思わぬ運命を与える事になる。伝統的な文化の理解者である大原総一郎氏との出会いである。
  真次氏の娘敏子氏は、女子挺身隊として岡山県倉敷市の倉敷紡績の工場を利用した万寿航空機製作所で軍用機の製作に従事する。そこで敏子氏はじめ沖縄出身の女性が大原総一郎社長に出会い、本格的に織りや染の基本を学ぶ事ができた。
  戦後、敏子氏らは沖縄に戻ると喜如嘉で芭蕉布を織り始めた。戦後の混乱で生活は苦しかったが、敏子氏は芭蕉布を織り続け、昭和26年に琉球政府主催の産業振興共進会で一等を受賞。29年には島生産愛用運動週間で優秀賞を受賞するなど、芭蕉布は優れた工芸品として高い評価を受けるようになった。
  沖縄が日本に復帰した昭和47年、芭蕉布は県の無形文化財に指定され、その2年後には国の重要無形文化財の指定を受ける。
  今は敏子氏の嫁の美恵子氏が中心となって、技術の保存に取り組んでいる。しかし、原材料の確保や後継者の問題など難題が山積している。