きもの博物館.57
    江戸小紋

 江戸小紋は、きものを着る人の間ではポピュラーなきものである。
 江戸小紋の代表はやはり鮫小紋である。
「江戸小紋を見せてください。」
「鮫小紋はありませんか。」
というお客様の声を聞くことが多いけれども、「江戸小紋」「鮫小紋」は同じものだと思っている人、全く別物だと思っているもいる。
 きものの名称の曖昧さはここでも登場する。一言で説明すれば次のようである。
「鮫小紋は数ある江戸小紋の中の一種である。」
 江戸小紋には鮫小紋の他に「行儀」「通し」「万筋」「お召し十」「梅鉢」「霰」などがある。これらの江戸小紋は非常に細かい柄で染められている。また、一色で染められているために遠くから見ると無地のようにも見える。一つ紋を付ければ色無地と同じように準礼装として着ることができる。江戸小紋はそういう意味で重宝がられて人気があるのかもしれない。
 さて、江戸小紋という名称はどこから来ているのだろうか。
 江戸はもちろん徳川幕府の城下、江戸である。江戸小紋の成り立ちは江戸幕府と深いつながりがある。
 江戸幕府は参勤交代制を布き、全国の大名を年毎に交代して江戸に住まわせた。各藩の屋敷が江戸に置かれ、その藩士が江戸に常駐し江戸城に登城した。藩士が登城するときにはもちろん正装の裃姿である。裃にはそれぞれの藩の紋が染め抜かれている。紋を見ればどの藩の藩士かが判る。
 侍は質素である、とは言えおしゃれ心もあったのだろう。もともとは無地であったであろう裃に柄を付けていた。非常に細かい目立たない柄、それが江戸小紋の始まりである。 「鮫小紋」「行儀」「角通し」「万筋」どれをとっても細かく裃の柄らしい。そして、それらの柄は藩毎に競って付けられた。 「鮫小紋」は紀州徳川家、「お召し十」は徳川将軍家。「霰」は島津家、「梅鉢」は細川家と言う様に藩によって柄が決められ、それは留柄として他の藩は用いてはならないものだった。その裃柄が着物に用いられたのが江戸小紋である。
 そのような成り立ちの江戸小紋だけれども、私は「江戸」という言葉に「質素」という響きが感じられる。
 江戸小紋のほかに「江戸」の名を冠した「江戸褄」というきものの形式がある。「江戸褄」イコール「留袖」と思っている人が多いようだけれども、「江戸褄」はもともと留袖を意味する言葉ではなかった。
 昔、「ひきずり」という裾を引きずるきものの柄は、現在の着物の様に上前下前はなく、左右対称に裾柄が付けられていた。「島原褄」という形式はひきずりの代表的なもので、裾から胸まで、あるいは襟の上まで柄のある派手なものだった。それに比べて江戸褄は、裾に低く柄を配した質素な柄付けだった。「江戸」という言葉は「質素」の意を含んでいるように思える。
 江戸小紋は鮫小紋や行儀小紋のように小さな点を散らしたものが多いけれども、もっと柄の大きなものもある。
「麻の葉」や「老松」、「宝亀」や「大根おろし」など具象的な柄もある。これらの柄は点描で表したものだけれども、鮫や行儀、万筋のように点や線の連続ではなく、はっきりとした柄が描かれている。題材もユニークなものがあり、大変おしゃれである。
  これらは「鮫」や「行儀」と区別して、「柄物の江戸小紋」と呼んでいる。もっともこの言葉は私と問屋の間で交わされる言葉で、全国で通用する一般的な言葉ではないかもしれない。
 なぜ区別するかと言えば、鮫や行儀は紋を付けて準礼装となるけれども、「柄物の江戸小紋」はこれより一段おしゃれになる。きもののアイテムとしては一線を引きたくなるのである。
 江戸小紋は型染めである。柄が彫られた伊勢型紙を用いて染め職人が染めて行く。伊勢型紙は柿渋を塗った和紙で、細い彫刻刀のような刃で柄を彫り貫いて行く。細かい柄になると1寸(3センチ)四方に約千個もの穴を彫らねばならない。
 型を彫る型師も大変ならば、それを用いて反物に染める染師もまた大変である。細かい柄が彫られたわずか30センチ足らずの型を継いで一反(約12メートル)を染めなければ成らない。少しでもずれてしまえば継痕が横一線に入ってしまう。
 江戸小紋を完成させるには、他に地直し、型地紙造り、糸入れなど多くの熟練技を要する。
 最近は染色技術の発達により、江戸小紋も捺染によって染められるようになった。捺染とは、いわばプリント印刷で型染めよりもはるかに安く染められる。ちなみに本型染めの江戸小紋は平均的なもので25〜30万円程度、捺染の江戸小紋は5〜6万円である。
 できばえは、と言えばやはり本型染めにはかなわない。手造りの良さはいくら技術が発達しようとも機械が追いつけないのはどこの世界も同じである。しかし、きものを商う私にとって捺染の江戸小紋は無視できない。安価な捺染の江戸小紋は、きものを着る初心者や枚数を多く持ちたい人には重宝である。
 多くの人手のかかる型染の江戸小紋は高価であるのは否めない。高価であるといってもそのできばえと使い勝手を考えれば高くはないのだけれども、それでもお茶を習い始める初心者や着物を着始めようとする人達が、いきなり型染の江戸小紋というわけには行かない。度々のお茶会に一張羅という訳にもいかない。
 そんな時には捺染の江戸小紋を薦めたいと思う。捺染の江戸小紋を着る内に本物の良さを知っていただきたいと思っている。
 しかし、最近困った事が起きている。捺染の江戸小紋が型染であると実しやかに売られていると言うのである。
 型染と捺染は別物で、値段も格段の開きがある。捺染を型染の値段で買わされたのでは消費者はたまったものではない。そしてそれ(捺染)が本物であると消費者の目が曇らせられれば、呉服業界はさらに混乱に陥ってしまう。
 質素で素朴な江戸小紋は、染めの良し悪し、物の良さを知るには最適である。江戸小紋を通して物を見る目を養ってはいかがだろうか。