きもの博物館.58
    綿のきもの

 その昔、呉服屋の看板に「呉服、太物」というのがあった。
 呉服屋と言っても今とは違い、ほとんどの人が着物を着ていた時代だから現代の洋服屋と同じで、超高級なブランドの店もあれば普段着用の安価なきものを売る店もあった。
 それらの店が掲げる「呉服」とは絹物を表し、「太物」とは麻や綿、ウールの反物を表している。反物を毎日巻いていると分かるけれども、綿の反物は絹物に比べて巻が太い。そこで綿やウールの反物を太物と称するのだと私は永い間思っていた。しかし、物の本によると、太物とは反物の巻の太さではなく糸の太さを表すらしい。綿やウールの糸は絹糸に比べて太いのが普通である。
 どちらにしても「呉服」とはフォーマルを、「太物」とはカジュアルを表していると言えるかもしれない。
 さて綿、コットンといえば、生地の素材としてはとても身近に感じる。洋服の世界では絹物は高級品であまりお目にかからない。麻と言えば夏向き。一般的な天然素材と言えばウールか綿である。「コットン感覚」という言葉もあり、何故か綿という言葉には親しみがあり、カジュアルで肌にやさしいという感じがする。
 もう一方に化学繊維、合成繊維という素材が次々に生まれたために天然素材としての綿の地位も自ずから確立されたのだろう。
 和服の世界でも綿はカジュアルである。綿の留袖や訪問着は聞いたことがない。綿は普段着。もっと口悪く言えば綿は野良着という印象を持たれるかも知れない。
 絹が高級品であることに疑いはない。昔、平民は絹を着ることができずに綿を着ていた、という印象があるけれども、実は綿が庶民のきものになった歴史はそれ程古くはない。
 昔は日本人の衣服の素材は麻が主流だった。現代の感覚では麻は夏物の象徴のように言われているので、昔の人は冬場はとても寒かっただろうと我々現代人は思う。
 綿花はもともと日本には存在しない植物である。初めて日本に綿が伝えられたのは799年(延暦18年)。延暦年間といえば桓武天皇が平安京に遷都した頃である。三河の国に漂着した東南アジア人が綿の種子を伝えたという。その事が朝廷に伝わり、一時九州まで広く綿花の栽培がおこなわれたが、気候が合わずに廃れてしまったという。
 日本で本格的に綿花が栽培されたのはそれから800年後の16世紀後半、江戸時代に入ってからである。そして、綿織物が庶民のきものとして本格的に普及するのは江戸時代中頃らしい。庶民のきものとしての綿のイメージはこの頃からのものである。  当時は全国各地で織られていただろう綿織物は現在でも多く残っている。
 会津、越後片貝、知多、近江、丹波、山陰(弓浜、広瀬、倉吉、出雲)、伊予、久留米、薩摩等々、まだ他にもたくさんある。久留米のように今でも相当数が生産され、一部は洋服や小物に加工されているものもあるけれども、広瀬絣のようにわずかな機が細々と生産を続けているものもある。そして、それらは各地に伝承されている紬と同じようにその地方独自の織りを今日に伝えている。

 会津や越後片貝、丹波は縞や格子を基調にしている。山陰、伊予、久留米、薩摩は絣織りである。中でも山陰の弓浜、広瀬、倉吉の絣は民芸調で庶民の文化を色濃く伝えている。 絣の題材は実に素朴である。手鞠やでんでん太鼓などの民芸品であったり、海老や魚、鳥といった動物など。
 それらの古い絵絣を見ていると、果たしてどんな人がこの絣を織り、どんな人がこのきものに手を通したのだろうかと思う。
 そこには自分の夫や子供に着せる為にコツコツと柄を付け緯糸を一本一本絣を合わせながら織った姿がうかがえる。一反を織るのにどのくらいの時間と手間を要したのだろう。現在売られているそれらの価格を見ても分かるように、絣を織りあげるには莫大な時間と手間を要する。絣の絵付けから織りまで一人でやれば一反を織りあげるのに一日数時間掛けて数か月を要するだろう。家族に着せる為に時間を費やすにはとても合わないように思えるが、そこには現代とは全く違った価値観が見えてくる。
 昔は現代のように忙しくはなかった。とは言ってもゆったりと暮らしていたわけではなく、農作業を終えて夜はテレビを見ることもなく生活の為に時間をゆっくりと費やしていた。生活に必要なきものをコツコツと織っていた。そして、そうして織られた反物を仕立て家族に着せていた。その着物は何十年も袖を通され、あるいはその子供達に伝えられていたのだろう。
 十分に時間を掛けて織られたきものを織られた手間を考えても余りある程に着用された。それは現代の価値観とは全くでは考えられないものである。
 現代は安価な商品があふれ、片端から消費される。大量生産されたものを次々と消費する、といった現代の生活スタイルも曲がり角に来ている。使い捨て、大量消費に警鐘が鳴らされている。それらは地球環境の破壊というエコの立場から報道されることが多いけれども本当はもっと別の角度から捉えられるべきだろう。
 現在織られている綿反を見ると、その価格の開きに驚かされる。
 一反1万円以下のものから100万円以上もする高価なものまで様々である。高価なものは糸から手造り、絣の括りはもちろん、手機で一反一反織り上げている。綿反とは言え昔の人達の手間ひまを現代に当てはめればそんな価格になってしまうのだろう。
 また、高価な綿反は糸が細く実に柔らかい。私も薩摩絣のきものを一着持っている。親父の形見である。これが綿か、と思わせるようにとても着易く肌になじむ。
 一方、安価な綿もある。これらは紡績製糸技術、製織技術の発達という産業革命の賜物である。綿の紡績糸は安価に手に入り、絣柄の久留米絣も動力と呼ばれる機械織により安価に生産されるようになった。
 最近、若い人たちが綿反を求めに私の店にやって来る。安いものでは仕立て上げても2〜5万円程度である。若い人のきものブームがその裏にあるらしい。
 リサイクルと称する古着屋さんが最近繁盛している。若い人達は安価なきものを求めてリサイクルショップに足を運んでいるらしい。しかし、きものの事が分かって来ると古着では寸法が合わない、やはり新品が欲しいと私の店にやって来る。普段着を求めている若い人達に綿反はぴったりらしい。
 きものと言えば、訪問着や付け下げ、普段着として大島や結城などの高級紬が主流となってしまった感がある。しかし、極普段にきものを着る事を考えると、綿の粋なきものをさりげなく着るのが本当のきもの通かもしれない。