きもの博物館6 
 根付け

 「これはキーホルダーですか」
 「いいえ、根付けです」
 「ふーん・・・」
 私の店に来た若い客と、このような会話をすることがある。根付けは余り使われなくなり、「ふーん」という相槌には、初めて見る物に対する関心とも無関心とも思える響きが感じられる。
 私の店で売っている根付けは2〜3センチ位の物で5センチ位の組紐がついた女性用の根付けである。
 根付けを売る店が少なくなったせいかもしれないが、若い人達の無関心をよそに、  
「根付けって売っているんですね」
と、数個まとめて買っていく年配の方もいる。
 若い人が根付けをキーホルダーと間違っても不思議な話ではない。根付けとキーホルダーは似て異なるものである。その形状も去ることながら、キーホルダーも根付けも何の為に使うのか、と問われると同じように返答に詰まってしまうのである。
 キーホルダーは何の為に使うのだろうか。いろいろな答えがあると思う。
 「鍵を単体で持っていては無くしてしまうから」
というのも答えの一つである。
 「いくつもの鍵を束ねるために」
という答えもうなづける。
 「同じような鍵がたくさんある中で他人の鍵と自分の鍵を見分ける為」
という人もいるだろう。それぞれが正解のように思える。
 それでは、鍵を単体ではなくいくつかを束ねればキーホルダーは必要ないのだろうか。そんなことはない。いくつも鍵を束ねてもキーホルダーがなければ無くしてしまうような気がしてしまう。他人 の鍵と自分の鍵を区別するためならば、鍵に色をつけたらどうだろう。それでも何となくキーホルダーは必要だと思う。
 キーホルダーは何となく必要であり、それは持つ人の個性を発散する為のアクセサリーなのである。 女性用の根付けにも同じような面がある。しかし、もともと根付けは男性の装身具であった。ポケットのない着物では携帯品は懐か袖に入れるしかない。しかし、入れてみれば分かるけれども重い物 は懐に入れればかさばり、袖に入れれば袖先が重く邪魔になる。そこで巾着や印籠などは帯に下げたのである。そしてその帯に引っかけるために紐の先につけたのが根付けである。
 私の祖父は年がら年中きものを着ていた。祖父の洋服姿は見たことがなかった。冬は袷、夏はうすもの。祖父の着るきものは季節とともに変わったけれども一つだけ変わらないものがあった。祖父が始終身に付けていた根付けである。夏であろうと冬であろうと、普段着であろうと紋付であろうと祖父の腰には常に同じ根付けが顔を覗かせていたのである。
 その根付けは丸い桶に相撲取りような人物が笑いながら座り、傍らにはきちんと草履が揃えておいてあった。相撲取りが湯浴みをしているのだろうか。子供心にはそれが何か不思議な物に見えた。いつごろから使っていたのか分からないが、長年使われて表面が黒く光っている。底に組紐が結わえてあり、その先には子供の目にはとても大きく見えた懐中時計が付けてあった。相撲取りの脇に手を入れて角帯の間から懐中時計を取り出す様は、祖父のおきまりの仕種としてまぶたに焼き付いている。
 祖父が亡くなり二十年近くなるけれども、その根付けは今父が使っている。昔は洋服を着ていた父も今は毎日きもの姿である。父の角帯から顔を出すおすもうさんは祖父の魂が父に乗り移ったようにも思われてしまう。
  知らない人が見れば、根付けは只のアクセサリーに見えるかもしれない。しかし、根付けは実用的なアクセサリーの枠を越えて、芸術品の域にまで達している。
 根付けは小さな六面体彫刻である。置物であれば大抵底は何の加工も施されない。しかし、根付けに上下は有っても、どこから見ても彫刻品として見ることができる。そして、その彫刻品としての根付けにはいくつかの制約がある。「余り重くてはいけない。」「大きさは、掌で握ることができる程度。」「突起物が有ると帯や着物を傷つけ、自らも破損してしまうので極力球体か立方体に近い形状でなければならない」、などである。ただし、『差根付け』と呼ばれる根付けは帯の間に挟んでしまうために、棒状あるいはへら状の物が要求される。
 このような制約の中で創られる根付けは只の彫刻品としてではなく『根付け』という独立した芸術品としての位置を占めているのである。
 根付けの始まりは、武士が腰に巾着や印籠を下げる習慣が起こった江戸時代、十六世紀後半頃の事である。巾着や印籠に加えて、きざみタバコが庶民の間に拡がると、根付けの文化に拍車が掛かった。町民や農民は武士の印籠に代わって、きざみタバコを入れる袋を腰に下げ、根付けが普及していった。最初は木片や石、貝殻などを紐の先に結びつけて使用していたらしいが、次第に竹や象牙、珊瑚等をその材料として用いられるようになり、精巧な彫刻が施されるようになった。このような実用品が芸術の域にまでもっていくのが本当の文化ではなかろうか。寺社仏閣に建立される大きな仏像とは対称的に庶民の文化の高さを物語るものに他ならない。
 腰にぶら下げる為に必要だった根付けは、その出来の善し悪しにかかわらず、必ず必要な物だった。一説によれば、根付けの全盛だった文化文政の頃には、江戸だけで百八十万個有っただろうといわれている。しかし、それ程流行った根付け文化も明治時代に入り、洋服の普及にともなって急速に衰えていく。ポケットのある洋服に根付けは無用の長物だった。そして、現代、男性用の根付けは殆ど市場から姿を消してしまった。それでも、現代根付け作家といわれる人達が根付けを創り続けている。しかし、彼らが創り出す根付けは外国人収集家向けの物がほとんどである。
 日本人にとって必要のなくなった根付けを現代まで残してくれたのは、皮肉にも外国人だった。外国人が最初に根付けに出会ったのは、ペリーが浦賀に来航した時の事だったと言う。日本に開国を要求し上陸した一米国人が、人足頭の三河屋幸三郎という人の腰にあった根付けを見つけ、注目した。幸三郎はその外国人に根付けを譲り、その米国人が再来日した時には仲間の根付けを集め大儲けした。後に幸三郎は三幸商会という貿易商社を起こし、日本の美術品の輸出に携わったという。
 それ以後浮世絵と同じく、根付けの海外流出が始まった。一方、日本国内では根付けは町の骨董屋の片隅に追いやられてしまった。
 さて、現在私の店や他の店頭で売られているのは女性用の根付けである。江戸時代に女性用の根付けが有ったのかどうかは分からない。しかし、和装小物のがま口には必ず根付けを通す穴が付いている。ほとんどの人は、この穴に気がついていないか、あるいは商札を付ける為の穴と誤解しているのかもしれない。
 女性用の根付けは男性用の物とは目的、形状も使われ方も異なる。男性用は帯に引っかける為にある程度の大きさが必要だけれども女性用はその限りではない。
 私の母も常に着物を着ている。そして、小銭を入れるがま口を帯の間に挟んで持っている。そのがま口には小さな根付けがつけられ、帯の間から外に垂らしてある。女性の根付けの場合、男性物のように、物理的に必要な物ではないけれども、十分に必要なものである。帯の間に挟められたがま口は、どこに有るのかが分からなくなってしまう。しかし、根付けを付けておけば、その位置は容易に分かるのである。そして、その根付けを軽く引っ張ればがま口が顔を出す。女性用の根付けも男性用と同じく実用的な意味が有るが、それとは別にアクセサリーとしての大切な役割がある。
 女性用の根付けの材料は柘植(つげ)、象牙、べっ甲、琥珀、珊瑚、瑪瑙、水晶などである。廉価な物では組紐で造られたものも有るけれども大抵は固い材料である。女性のきものは柔らかいイメージである。「やさしい」と言い換えても良いかも知れない。日本の女性の優しさには、きものの持つ柔らかさがぴったりである。その女性の帯から垂らした小さな(固い)根付けは女性の優しさを引き立ててくれるのである。
 話は変わるけれども、日本の産業を代表する自動車産業のお祭りとも言える東京モーターショーが二年に一度幕張で行なわれる。東京モーターショーに限らず世界のモーターショーでは、きらびやかな新車や未来の車のようなプロトタイプの車が出品され、その時には必ず若い女性が登場する。時に は水着姿の女性が新車の傍らで笑顔を振りまくのである。私の女房はそれを見て、
「どうして水着姿の女性が・・・・」
と、憤慨していた。何故、モーターショーに水着の女性が登場しなければならないのか。モーターショーの見物客は男性が多いから、殿方の目を楽しませる為と思い、それに憤慨する女性がいてもおかしくはない。しかし、若い女性が自動車と供に登場するのは別の訳が有る。堅いイメージの自動車に 柔らかいイメージの女性を重ね合わせる事によって、自動車のイメージを高めるのである。(のだそうである。私も人に聞いた話である。)
 女性用の根付けにも同じような役割があるように思える。ほんの些細な根付けがきものの良さ、女性のやさしさを引き立ててくれるのである。洋服のアクセサリーと同じように、ちょっとした心の気遣いで着物が生きてくる。帯締や帯揚には気を使っても、しゃれた根付けにまで気を使う人は少ない。男性用の装身具だった根付けも、そのおかぶを女性に取られてしまった感がある。しゃれた根付けを帯から垂らしてみたらどうだろう。いままでの着物もよりいっそう素敵に着こなせるのではないだろうか。