ゆうきくんのきもの講座 7
        きもののしきたり、日本のしきたり,

   今日はきもののしきたりについて話をします。
 しきたり、と言うのは決まり事のことです。きものには決まり事があります。それは季節による決まり事であったり、晴れの場での決まり事だったりします。また、きものと帯の合わせ方、草履やバックの合せ方の決まり事もあるでしょう。
 皆さんは、このきもののしきたりについて頭を悩ませてはいませんでしょうか。
 いったいどのきものを着て行ったら良いのか、どの帯を合わせたら良いのか、という質問を私も度々頂戴します。初めてきものをお召しになる方やきものを着なれない方にとっては、この着物のしきたりは悩みの種となり、「きものは面倒くさい」といった印象を持たれたりします。
 今日は、そのきもののしきたりについて、私の考えを含めて詳しくお話しいたします。
 さて、「きもののしきたりが分らない」・・・おかしな話です。日本人の民族衣装であるきもののしきたりが分らない・・・、それはとりもなおさず日本人がきものを着なくなったからでしょう。
 昔は、・・・昔と言ってもそう遠くない昔です。今から4〜50年前には普段着物を着ている女性は沢山いました。もう少し昔には洋服姿の女性の方が珍しかったでしょう。洋服の女性はモガと呼ばれ特別な存在でした。
 当時は皆がきものを着ていましたから、きもののしきたりは自然に身についていったものと思います。子供の頃からきものを見ている訳ですから、親が何時どんなきものを着ているのかは見て知っています。 言葉では教わらなくても、 「結婚式に行く時には紋の付いた着物を着るんだな。」 などと、しきたりは自然に身についていました。
 しかし、最近親の着物姿を全く見たことのない人が着物を着ようとすれば、いったい何を着れば良いのかと考えてしまうのも道理です。  自分の着ている着物が場違いではないのか、誰かに笑われはしないかと心配になってしまうのです。中には見知らぬオバサンから、
「あなた、そんな着物はこの場で着るものじゃないのよ。」
と、説教されたという話も聞きます。折角着物を着るのですから、誰しも 「安心して着物を着るには・・・。」 と考えます。その為には、着物のしきたりを知ること・・・と言う事になるのですが、さしあたっては誰かに聞くか指南書を紐解くことになります。
 相談する相手は呉服屋さんだったり、着付けの先生、着物をよく着ている着物通の人等々。指南書としては着付けの教本、着物の雑誌などがあります。
 しかし、そのように着物のしきたりを勉強して行っても自分だけ違っていた、とか他の人に何か言われたとかスッキリしない経験をお持ちではないでしょうか。
 あるいは複数の呉服屋さんに相談したところ、別々の答えが返ってきたという経験はないでしょうか。これでは益々着物を着るのが嫌になってしまいます。着物のしきたりを勉強しようと思ったのに何故このようになってしまうのでしょうか。しきたりを学べば学ぶほどスッキリとしなくなるかもしれません。
 これは、先に例を挙げた、幼い頃から着物を見て育ちながらしきたりを学ぶことと、成文化された着物の決まりを学ぶことの違いと言えます。
 先の例で申しあげましょう。
 着物を見て育った人は「結婚式に紋付を着るものだ」と見て知っています。これを成文化して初めて着物を着る人、いや着物を全く知らない外国人に教えたとしましょう。
「結婚式には紋の付いた着物を着る。」 
 これは間違いではありません。しかし、この文章の裏には次のような言葉が隠されています。
「結婚式では紋の付いた着物以外は着てはならない。」
  そのように解釈するかもしれません。一方、着物を見て育った人は、
「結婚式でも紋のない着物を着て行く時もある。何だか華やかで柄の沢山ある着物(訪問着など)」
と言う事も知っています。
 着物のしきたりを成文化された本で学ぶことにはそのような危険?が伴ってします。
 経験的に着物のしきたりを身に付けている人の知識はアナログ的ですが、成文化された知識は云わばデジタル的な断片的な知識の寄せ集めとなってしまいます。
 私は店頭やHPで着物のしきたりについて良く質問されます。
「○○を着て良いのか悪いのか?」
「この着物にこの帯を合わせて良いか悪いか?」
と言った二者択一の答えを迫られると私は答えに窮してしまいます。一言で答えられるほど着物のしきたりは単純ではないからです。
 しかし、着付けの教本やきもの雑誌には、素人でも分り易いしきたりの解説として『きものTPO早見表』なるものが良く見かけられます。
 何月から何月まではどの着物を着るのか。結婚式で着る着物は何か。その帯はどの着物まで合わせられるのか、等々。表やグラフを用いて分り易く解説してあります。
 私はこのような早見表が益々混乱を招いているように思えます。余りにも着物のしきたりを単純化しているからです。そして、その早見表の断片的な知識を経典の如くありがたく信じてしまいます。
 日本人(日本人だけではないかもしれませんが)は活字や電波を崇拝しがちです。立派な本に書いてあること、電波に載って流れてくる情報は真実として捉えるようです。
 私は、「ラジオ○○相談」という番組を聞いて常に不思議に思っています。
 健康相談の番組では、視聴者がラジオの向こうにいる医師の話を金科玉条の如く聞いているのです。それらの相談は、近くの町医者で診断してもらった後のセカンドオピニオンなのですが、実際に問診してもらった掛かり付けの医師の診断よりもラジオの向こうの医師の言葉をありがたがっているのです。ラジオに出演する医師は高名な医師かもしれませんが、問診してくれた医師の方がはるかに自分の病状にくわしいはずです。遠くの神様はありがたいと言うことでしょう。
 着物のしきたりを学ぶ場合も同じことが言えます。活字で書かれた単純化された着物のしきたりを鵜呑みにしてしまいます。そして、その通りでなければならないと信じてしまいます。着付け教室の発行する指南書ならばなおさらです。自分が所属する着付け教室の教えは絶対と思うのは当然でしょう。
 着物の指南書も早見表もウソは書いてはいません。しかし、あちらの着付け教室とこちらの着付け教室でやや違った事が書いてある場合があります。 その違いはそう大きいものではないのですが、もしも、自分が習ったしきたりだけが真実と思い込んだらどうなるのでしょうか。あたかも宗教戦争の観を呈するかもしれません。
 全ての指南書はウソを書いていない。しかし、あの指南書とこの指南書は書いてあることが微妙に違う。これはどういうことでしょうか。私は着物のしきたりとはそういうものだと解さなければならないと思います。
 きもののしきたりは、長い時間を掛けて日本人が創り上げた決まりです。必ずしも一つの理想を求めてきた訳ではありませんが、その時代時代に合わせて変化しながら今日に至っています。
 きもののしきたりには聖書やコーラン、本草綱目のような原典はありませんし、御家元もいません。「きもののしきたりはこうだ。」と言える人は日本に誰もいないのです。あるのは長い歴史を通して日本人が築き上げたコンセンサスだけなのです。過去の日本人全員が長い時間を掛けて創り上げたしきたりは成文化できる程単純ではありません。
 それでは何故きもののしきたりはそれ程複雑なのでしょうか。
 一つの理由として日本と言う国の空間の広がりがあります。着物に限らず、しきたりや慣習は地域によって異なります。
 葬式の時、喪主が白装束に白の裃という地域もありますし、父母や祖父母の葬式の時、若い娘は振袖を着ると言う地域もあります。子や孫が一番美しい姿で死者を送るということでしょう。それはそれで理にかなっています。
 山形ではそれらの習慣が狭い地域の中に散在しています。村単位といっても良いぐらい習慣の違いがあります。日本全国を見渡せば数限りないほどの習慣しきたりがあるのでしょう。
 葬式に限らず、結婚や出産といった人生の節目に行われる習慣も様々です。
 私の叔父は金沢から嫁をもらいました。私が生まれる前の昭和20年代のことです。今は日本全国交通網が発達していますが、当時山形と金沢は非常に遠く、行き来することはほとんどなかったでしょう。 山形で結婚式を挙げる為に御両親がはるばる金沢から山形にやってきました。ご両親が私の家、すなわち叔父の家の玄関を娘とくぐる時、持ってきた徳利と杯で酒を酌み交わし、その場で徳利と杯を壊して門をくぐったそうです。山形にはない風習に皆驚いたそうですが、金沢の風習なのでしょう。
  また、私のお客様の息子さんが関東地方からお嫁さんをもらいました。男の子が生まれた時に実家から「破魔矢を送りますから。」と言われたそうです。破魔矢と言えば、お正月の初もうでの時に神社で売っているものを想像するのですが、そのお客様もそのような破魔矢を送って来るものと思っていました。しかし、送ってきたのは、職人が手作りしたような破魔矢が立派なケースに入ったものでした。関東ですから坂東武者の名残なのでしょうか。山形にはそのような風習がないものですから、そのお客様はどうしたら良いのか、何をお返ししたら良いのかを私にも相談してきました。
  交通の発達で日本は狭くなり人的交流は益々盛んになっています。慣習のまるで違った人同士が結婚するのは日常茶飯事になっています。 それぞれの慣習には深い歴史があり、その地域の人達が守り育ててきたものです。お互い尊重しなければなりません。相手の習慣が自分と違うからと言って、「俺に合わせろ。」と言う事になればどういう結末になるかはお分かりでしょう。
  着物のしきたりも全国必ずしも同じとは思わない方が自然ですし、それを頭に入れておく必要があります。
  着物のしきたりが複雑なもう一つの理由として、しきたりが時代とともに変わるという事情があります。
  洋服の流行はめまぐるしく変わります。スカートが長くなったり短くなったり、ネクタイの幅が広くなったり狭くなったり。それは年毎に変わります。昨年のファッションは今年はダサいとされる事もあります。
  それに比べると着物は昔から何も変わっていないように思えるのですが、着物の変遷はわりと速いものです。最近は若い人がレトロな羽織を着ていますが、羽織はここ2〜30年着られませんでした。昔は・・・私が子供の頃ですから4〜50年前は、羽織は良く着ていました。 当時、着物を買っていただいた時には必ずそれに合わせる帯と羽織を勧めていたそうです。着物に羽織はつきものという時代でした。
 
羽織と言えば、昔黒絵羽織はほとんどの人と言ってよいぐらい皆が持っていました。私が幼稚園、小学校の頃、入卒式の母親はほとんどが黒絵羽織を着ていました。しかし、今は全く見られません。 戦前戦後は女性の正装の一つに縞御召に黒羽織というのがあったそうです。これも今では見られなくなってしまいました。
  明治大正の古い振袖には紋を付けたものが多くみられますが、今は振袖に紋を付ける人はほとんどおりません。
  洋服とは違い何も変わらないように思われるきもののしきたりですが、実は時代とと伴に変わっています。とは言いましても、洋服よりは遙かに長い2〜30年程度のサイクルのようです。しかし、この2〜30年というサイクルがくせものです。 桃山時代の着物と現代の着物が違いは誰でも理解できることです。桃山時代の小袖やひきずりと現代の着物はまるで違います。今は当たり前の帯の太鼓結びも桃山時代からみれば最近の変化と言えます。桃山時代に生きていた人は今誰もいませんので小袖やひきずりを覚えている人はいません。小袖を仕立ててくれと言う人はいません。
  しかし、2〜30年で変わるきもののしきたりは一人の人間の一生の中に入る範囲です。つまり、自分がきもののしきたりを学んだ十代の頃と孫娘に着物を着せる七十代の時とではしきたりが変わっている場合もあるのです。
  昔学んだしきたりは、その人の中で生きていますが、次世代の人たちから見れば古いしきたりと映る事もあります。 しきたりは新しい方が良いと言うことはありませんし、古い慣習が正しいという事もありません。 先んじたしきたりが取り入れられている地方もありますので、前に申し上げた地域的な違いと相まって非常に複雑な様相を呈することになります。
  親子三代で娘さんの着物を買いにいらした時によくある話です。 娘さんが好きな色無地を選ぶと、
「そんな色、私でも地味で着ませんよ。」
と、おばあさん。
「この色が渋くて好きなのに。友達も皆地味な色を着ているのよ。」
と、娘。
「そんな色じゃなくて、こっちの赤かピンクの方が若々しくて良く似合いますよ。」
と、おばあさん。
「今は赤やピンクなんかダサくて誰も着ないの。」
と、娘。
「せっかくお婆さんが買ってくださるのだから、お婆さんの勧める色にしたら。」
と、お母さん。
 そんな世代間の争い?は良くあるのですが、私はどちらにも軍配を挙げられません。私はそういう立場にありませんし、誰も軍配を挙げる立場にはないのです。色の好みだけではなく、着物のしきたりについても同じです。
 三番目に、着物の名称は非常に難しく、と言うよりも曖昧、包括的に使う事が多いので、着物を特定できないと言う事情があります。例えば、
「その席には訪問着では重すぎますので、そこまで着なくても良いでしょう。」
とアドバイスを受けたとしましょう。アドバイスを受けた者はそれをどう解釈するでしょうか。
「訪問着では重すぎるのですから付下なら良いかな。」
と思うかもしれません。
 さて、訪問着と付下の違いははっきりと線引きできるでしょうか。訪問着と付下の違いにつきましては『きもの講座、第二回きものの格』で詳しくご説明しましたが、非常に曖昧です。誰が見ても、 「これは訪問着」「これは付下」と区別できるものではありません。いや、区別できないのではなく人によってその線引きに差があるのです。
 きもののしきたりを成文化された文章あるいは言葉で学ぶ時には当然そのきものや帯を特定しなければなりません。「訪問着とは何か」「小紋とは何か」「名古屋帯とは何か」と言った定義がなされていなくては、着物のしきたりを正確に伝えるのは困難です。
 呉服の用語は曖昧な使い方をします。この事につきましては「きもの春秋一、難解なきもの用語」で書いておきましたが、それ故にきもののしきくたりを勉強する人は受け取る人によって様々な解釈に走ると言う事になります。
「正装には袋帯」と言いましても、袋帯には豪華なフォーマル袋帯からおしゃれ用の紬の袋帯まであります。「小紋に名古屋帯」と言われましても、正装用の織帯を指すのか、塩瀬の染帯を指すのか、紬の帯を指すのかが特定できません。特定しようとすれば多くの注釈を付けなければならなくなるでしょう。そもそも、名古屋帯には八寸と九寸という形式の違った帯があるのですから、名古屋帯という言葉でしきたりを説明するのは無理のある話です。
「袋帯は袋帯」「名古屋帯はどれでも名古屋帯」と解してしまえば、着物の早見表はどこまでも拡大解釈されることになります。
 もうひとつ、しきたりには家のしきたりというものがあります。代々その家で守られてきたしきたりです。家のしきたりは世間のしきたりとそう隔たった突拍子もないものはありませんが、微妙なズレが生じる場合もあります。
 山形のある名家(商家)では「祝儀の際は必ず色無地」という家訓が守られていると言う話を聞きました。商家ですから節約を旨として華美を避けて家の繁盛を願うと言う事なのでしょう。祝儀に色無地は許容範囲ですが、上座に座る場合も色無地一つ紋と言うと一般的なしきたりからは少々ずれるかも知れません。
 地域ごとの慣習やしきたりをお互い尊重しなければならないのと同じように、それぞれの家のしきたりもお互い尊重しなければなりません。 ここまでお話ししますと、
「きもののしきたりは色々で統一されたものはなく、それを決める人もいない。それならば何を着ても構わないのではないのか。もしも、自分の着物を非難する人がいれば、「これは私の家のしきたりです」と答えれば良いのだから。」
 そう思われる人もいるかも知れません。
 しかし、そんな事は全くありません。日本の着物には厳然とした決まり、しきたりがあります。
 今まで申し上げた事とは矛盾があるように思えるかもしれませんが、今までの話は云わばイントロダクションです。ここからが本当の着物のしきたりの話です。
 着物のしきたりは現在形式化しているように思えます。早見表を見て着物を着てそれで自分はしきたりを守っているのだ、と勘違いしてはいないでしょうか。
 着物のしきたりや慣習、もっと大きく言えば日本のしきたりは何故創られたのでしょうか。「創られた」というよりも「できた」と表現した方が適切かも知れません。それは誰かが創ったものではなく日本人のコンセンサスによって「できた」ものだからです。  では何故コンセンサスが必要だったのでしょうか。
 着物は文字通り着る物、衣装です。衣装は衣食住に例えられるように生活にはなくてはならないものです。第一義には体温を保持して生命を維持する事でしょう。
 最初は何でもかんでも(毛皮でも木の皮でも)身に付けていたのでしょう。しかし、人類に文化が芽生えてくると、機能と装飾が伴ってきます。働き易い、着易い、くつろぎ易いと言うように。
 文化の発達と伴に人の交流が盛んになってきます。集落の長を中心に極狭い社会に閉じこもっていた人達は他の集落と接し交流、交易するようになり、それは日本全国に連鎖して行きます。
 人と人との交流にはコミュニケーションが必要です。コミュニケーションと言うのは言葉による意思の疎通を意味しますが、人と人との会話は言葉だけで伝わるものではありません。 表情もあります。怖い顔をして話したのでは、まとまる話もまとまりません。同じ言葉でも身振り手振りを加えることによって表現が豊かになったり伝達が速くなったりします。そして、衣装も同じようにコミュニケーションの大切な要素なのです。
  人と人との交流には様々な場面があります。ビジネスであったり、結婚式であったり、葬式であったり。その場その場で着る衣装はその人の気持ちを代弁していると言えます。
 子供のころ
「○○に行くのだからきちんとした格好をして・・・。」
とよく言われました。
 行き先は学校だったり、お寺であったり、よその家であったりしましたが、その時には普段と違った服を着せられました。
 自分の気持ちを相手に伝えるのに衣装は大きな役割を果たします。
 祝儀には祝儀に相応しい恰好、葬式には葬式に相応しい恰好というように、その場に臨む気持ちを代弁してくれる衣装ができました。それがTPOというものでしょう。
 さて、それぞれの場に相応しい着物が創られ、そのコンセンサスの雛形が早見表だと思えば良いでしょう。しかし、そのコンセンサスの奥にあるのは着る者の心です。心なくして形式は意味を持ちません。
 私はゆかたで結婚披露宴に出席した事があります。結婚式にゆかた姿と言うのはしきたり違反と言われるかも知れません。私の友人の息子さんの結婚式でした。その友人は私が属するある会のメンバーでした。私は色紋付を着て行くつもりでしたが、私を含めメンバー数名に対して「是非、会のゆかたを着て来てほしい」と言われました。
「幾らなんでも結婚式にゆかたでは。」
と、断りましたが、是非にとのことで皆ゆかたで出席するはめになりました。最初は奇異な目で見られましたが、友人(新郎の父親)が会場で私達を紹介して余興に引っ張り出され、披露宴を盛り上げるのに一役買ったのは言うまでもありません。
 どんなきものでも(と言うと語弊がありますが)その場の人達に気持ちが通じれば失礼に当たりません。
 着物のしきたりとは、その場に合った着物を選ぶことです。その場に合った着物というのは、その場に対する自分の気持ちがこもり、他人に不快感を与えない着物。そして、独りよがりではない着物ということになります。
「振袖はいつまで着られるのか?」の議論は良く聞かれます。私のHPでも中高年の振袖について話題になったことがあります。大方の人は中高年の振袖には否定的でしたが、中には次のような声がありました。
「もしも、再婚するとしたら、その時は結婚式で振袖を着たい。」
「金婚式に振袖を着たい。」
 再婚される方、・・・4〜50代かもしれません。金婚式・・・間違いなく7〜80代でしょう。その方達が振袖を着るとしたら・・・私は成程と思いました。
 再婚される方が結婚式で、
「これを最後に袖を留める。」
という意味で着るのは意味のあることです。金婚式で、
「結婚して50年経ったけれども、ここで初心に戻りたいので振袖を着たい。」
 そういう意味で中高年の方が振袖を着るのであれば、その場にいる人達の心に通じるでしょうし、私も拍手を贈りたいと思います。
 しかし、こう言う話をしますと、きもの業界ではすぐに「金婚式で振袖を着ようキャンペーン」を始めてしまいます。私はそんなことはしたくはありませんし、反対したいと思います。金婚式を迎える人が純粋な気持ちで振袖を着なければ、ただの老人の振袖になってしまうでしょう。
 きもののしきたりは形式的なきものの種類ではなく、何故その着物をその場で着るのかという意味をまず考えるべきですし、それが日本の着物、日本のしきたりと言えます。
 きもののしきたりはコミュニケーションであると申し上げましたが、コミュニケーションというのは一人ではできません。相手があってのコミュニケーションです。
 今までは着る人、つまり発信する人、会話で言えば話す側の事を申し上げてきました。しかし、コミュニケーションがうまく行くには受ける側、聞く側も大切です。着物を着ている人に接する側に大事な着物のしきたりがあるのですが、現在これが欠けているように思えます。
 先に他人の着物姿に説教するオバサンの話をしましたが、私はその人こそしきたりを知らない人だと思います。
 着物は何のために着るのか、・・・繰り返しになりますが、人と人とのコミュニケーションを良くするためです。着物の形式的なしきたりは、お話ししましたように複雑で、地方により家により、また様々な理由で異なる場合があります。それに、現代は着物が縁遠くなったせいか、形式的なしきたりも良く分からない人もおります。そういった人達が一生懸命に着物を着て集まるわけです。その時の他人に対するマナーが大切なしきたりなのです。
 私が子供のころ聞かされた話です。
 明治時代に陸奥宗光(小村寿太郎だったかもしれません)が全権大使として米国を訪れた時に晩餐会が開かれました。時の米国大統領ルーズベルトはじめ、米国政府高官がテーブルを囲んでいました。途中、フィンガーボールが出されました。フィンガーボールはサンドイッチを食べる時などに指先を洗うもので、水の入った銀のボウルです。
 陸奥宗光は喉が渇いていたのか、そのボウルの水を飲んでしまいました。米国の高官達は驚きました。マナー知らずの野蛮人と思った人もいたでしょう。しかし、それを見たルーズベルト大統領は陸奥宗光がしたように自分もフィンガーボウルの水を飲んでしまったということです。
 大変良くできた話ですので、本当かウソか分りません。明治時代といっても、陸奥宗光程の人がその程度の西洋のマナーを知らなかったとは思えませんし、小村寿太郎もハーバード大学留学経験者ですからどうも疑ってしまいます。しかし、何が形式的マナーなのか、何が本当にすべきマナーなのかを如実に表しているように思えます。
 また、こちらは本当にあった話です。
 某茶道家元が山形にいらした時の話です。私の父が接待することになり、料亭で宴会が開かれた時、御家元の奥様も同席していました。ある方が奥さまに酒を注ごうと奥さまのお膳の前にやってきました。その時、お膳の徳利を倒してしまったそうです。すると御家元の奥様は、即座に徳利を起こして自分の着物の袖の裏でこぼれた酒をさっとひと拭きしたそうです。
 そして、何事もなかったように盃を受け、何事もなかったように宴会が続いたそうです。あわてたのは酒をこぼした人ですが、私の父以外は誰も酒がこぼれた事に気がつかなかったそうです。酒をこぼされていやな顔をするどころか、その場の雰囲気を壊してはならないという気持ちが先に立つのでしょうか。
「さすが家元の奥様ともなると違うものだ。」
と父が話していたのを思い出します。
 本当のマナー、酒をこぼしてしまった人にどう対処するのか、自分と違う着物を着てきた人にどう対処するのか、それが本当に学ぶべきしきたりのように思えます。
 この「きもの講座七」の原稿を書いている時に、東京からわざわざ私の店を訪ねて来てくれた方がいらっしゃいました。その方が次のような話をしていました。
 その方は着物が好きで着なれていらっしゃる方でしたが、まだ着物を着始めた時分に、よその家で新年会があり、お母様に色無地の着物を着せてもらって行ったそうです。しかし、何故か左前に着せられてしまいました。
 いくら着物が着慣れている人でも他人に着せるのは結構難しいものです。私も他人に着物を着せる時は一瞬迷ってしまいます。訪問着や付下げなど絵羽の着物でしたらすぐにどちらが前かは分るのですが、色無地となるとお母様もつい迷ってしまわれたのでしょう。
  新年会で同席した友人からそって、 「合わせが反対では。」 と耳打ちされ、初めて気が付いたそうです。きっと穴があったら入りたい気持ちだったでしょう。 その家の奥様も口には出しませんでしたが、それに気が付いていたのでしょう。会食の時、 「折角の着物、汚れないようこれを御使いなさい。」 と割烹着を貸してくれたそうです。その方だけではなく、他に着物でいらした方にも同じように割烹着を貸してくれました。
  左前の襟は会食の時には目立ち、さらしものになってしまいます。その方が恥ずかしい思いをしないようにと気遣ったのでしょう。
 着物を左前に着るのはあってはならないことです。着物のしきたりから言えば、イエローカード、いやレッドカードと言えるでしょう。しかし、それは着物を着る側の話です。まかり間違って浴衣を左前に着て来てしまった人にはどのように対処したら良いのでしょうか。その奥様の心配りは大したものだと思います。
  その場に居合わせた人の中には他にも左前の着物に気がついた人もいたでしょう。その人達が御亭主の心配りに気づいたならば、その場はさぞ和やかな雰囲気の会食となったことと思います。
 反対に、もしもその場で左前の着物姿を笑う人がいたならばどんな雰囲気になっていたでしょうか。
 着物のしきたりと言うのは、形式的なものではなく、その奥にある心、それは日本のしきたりと言えます。
「結城屋きもの講座七、きもののしきたり、日本のしきたり」という表題でお話ししましたが、表題を聞かれて、
「これで何時何を着れば良いかが分かる。」
と期待された方には期待はずれの話だったかもしれません。
 今の着物を取り巻く環境は、余りにも形式に走りすぎているように思えます。着物を着る本当の意味を考えていただきたいと思います。