195.久保田一竹   
 今日、着物のリサイクルショップで、久保田一竹の色無地がありました。 落款も押してありましたが、一竹さん本人が作ったものなのでしょうか?
  本人が作ったものじゃなく、工房のものでも一竹の落款を押すのでしょうか?
  以前に見た一竹の落款とはちがい落款のまわりに刺繍がしてありました。 質問ばかりでもうしわけありません。

 「○○の色無地」「○○のきもの」と言う商品は沢山出ていますので、一般的な話を致します。
 ○○に入る人物は、染色作家であったり洋服デザイナー、タレントや役者、アイドルだったりします。タレントや役者、アイドルなどは自分で染めたりしないことはすぐお分かりいただけるでしょう。
 それで何故「○○の色無地」「○○のきもの」となるかといえば、何らかの形でその人たちが関与しているということなのでしょう。染色、きものの専門家でない人たちがどうして?と思ってしまいます。誰か他の専門家がその人の雰囲気をデザインしたものであったり、他の人がデザインしたものを本人が確認した程度のものかもしれません。  どれだけその商品の製作に関与しているかはわかりませんが、技術的なことに関してはほとんど関与していないと思うのが自然でしょう。
 洋服のデザイナーの場合はデザインは自分で、あるいは弟子にやらせて自分が監修しているでしょうけれども、やはり技術的なことに関してはほとんど関与しては職人に任せているでしょう。
 さて、染作家の場合ですが、結論からいえば本人が色無地を染めるということはまずありません。色無地の作家であればそういうこともありますが、友禅作家であれば無理でしょう。
 第一に技術的なことですが、色無地を染めるというのはとても専門的な技術を要します。染料を混ぜながら指定の色に染め上げるのですから一朝一夕で習得できるものではありません。久保田一竹さんは辻が花の製作にあれだけ掣肘されたのですから、色無地の修行をしたとは思えません。
 第二に「○○の色無地」として商品化した場合、相当数染めなければなりません。生前の久保田一竹さんにそれだけ時間があったとは思えません。道楽で、あるいは試しに一反二反染めたものであれば本人が…ということもありますが、染織作家自らが色無地を染めることはありません。
 弟子が工房で、というのもまず考えられません。それだけの色無地を染めるための設備が一竹工房にあったとは思えません。
 それでは何故「久保田一竹の色無地」なのかと言えば、「久保田一竹監修の色無地」あるいは「久保田一竹好みの色無地」ということです。つまり一竹先生が色を指定して染めさせた色無地です。
  以下は私の私見です。 「○○の」という接頭語を冠したきものがよく出回っています。染織作家が自分の専門とするきものであればうなずけるのですが、専門外であったり染織作家やデザイナーでなかったりする場合がとても多く見受けられます。それが何を意味するのか、どういう付加価値があるのかをよく見極めなければなりません。色無地であれば特にそうですが、名前など伏せて、その色が自分に合っているか、自分の好みの色かを考えるべきと思います。そうでなければ「○○の」という接頭語に振り回されてしまいます。

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