39.元禄袖について教えてください   
  我が家では「元禄袖」と呼ぶ袖があるのですが、我が家の定義ではこれは普通の袖丈よりも長い1尺5寸から7寸程の丈のことを呼びます。
  私が長身で裄に1尺7寸5分と長くとるせいか、あまり「袖が長い」という印象にはならないで、よそゆき系として訪問着などに使う丈としています。
  最近、子供の浴衣を縫おうとしたところ、型紙に「元禄袖」の記載があり、 そこでは「普通の袖よりも短い袖丈」として出ていました。 確かに着物の仕立てをお願いする場合にもすんなり通る店と通らない店がありました。 どうして、このように呼び名が違うのでしょうか?
  また、もしかして、うちの定義はうちだけの呼び名だったのでしょうか?
  同居の父方の祖母は茨城出身、若い頃の着物は足利で求めていたとのこと。 結婚後は東京に出て生活。訪問着や振袖などの仕立ても請け負っていました。
  母は実家が関西出身の親なので、着物の呼び名は関西系の名称を使うようですが、世話になった伯母が神田の江戸っ子なので江戸前の呼称も混在しているようです。

 元禄袖は袖の丸みが二寸程度以上(詳しい定義はわかりません)の袖の形状を言います。
  きものの辞典には、『日露戦争後に国粋趣味がおこり、学者文人たちが芸者に元禄時代のきものを着せてどんちゃん騒ぎをした。その元禄時代の袖形すなわち丸袖を元禄袖と称したのに始まる。』とあります。
  元禄袖は元禄時代に使われた小袖の丸みを称しています。 優妃さんのおっしゃる袖丈についての解釈は次のように考えられます。 きもの(普段着以外の)は、袖を長くする場合必然的に袖の丸みは大きくします。振袖を思ってみてください。袖の先が角張っているとおかしいでしょう。短い袖では角張った、丸みの小さい袖に仕立てましたが、袖が長くなると丸みを大きくするのが普通です。
  従って、袖丈が長い→丸袖→元禄袖と称するようになったのでしょう。きものの用語は非常に曖昧なことは再三指摘していますが、その一つの原因として当初の意味が時と共に次第に変わってくると言うことです。
  「袖が長ければ丸袖」→「丸袖は元禄袖」→「だから元禄袖は長い袖丈」というように意味が変わっていったのではないかと思います。
  さて、丸袖にはもう一つの意味があります。
  普段着の場合は袖が絡まないように、労働し易いように袖に丸みをつけました。これは日露戦争よりずっと以前からある物なので、元禄小袖とは意味が違うのですが、形状は同じようなので元禄と称するようになったのだと思います。
  袖が丸いのと同時に袖が短い方が活動的です。従って普段着の場合は袖を短くして丸袖(元禄袖)にすることがあります。
  もっとも現在、きもので炊事洗濯をする人は余りいなくなったので極端に短く大きな丸みをとった袖は見かけませんが、ゆかたにはまだそのなごりがあって短い丸袖というものがあります。
  優妃さんのおっしゃるゆかたの袖はこのことを指しているのだと思います。
  ゆかたの場合はきものとは正反対に「活動的に袖を短く丸袖に」→「丸袖は袖が短い」→「だから短い袖丈を元禄という」と、意味が変わったのではないかと思います。
  きもの用語は曖昧で時としては本来の意味と反対の意味で使われることさえあります。その地方や仕立て屋さんが慣習的に使っている言葉もあります。実に日本的ですね。

 早速にお返事ありがとうございます。 袖丈だけに注目していたのですが、元禄といった場合には丸みの方をさすのですね。 あらためて手持ちの「元禄袖」の着物をみたところ、確かに丸み2寸です。 他の袖丈の短い着物に比べて丸みが多いです。 しかも、元禄時代の小袖のことでなく、明治以降の懐古調からくるものとは。 また、浴衣の場合の「元禄袖」は由来が違うということも初めて知りました。 どうもありがとうございました。

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