48.教えてコーナーにはそぐわないかもしれませんが  
 色々な着物のHPを覗いていて思うのですが、着物の業界は消費者と作り手側とがつながっていないな、ということです。 車業界でも、他の業種でもそうだと思うのですが、商品を開発するために、マーケットリサーチなどして、今の時代に求められているものを商品として売り出していると思うのです。
 着物でも、家内製手工業だった頃から着物が流通し始めた頃は呉服屋が買い手の求めている商品を買い付けてきて売ったり、商品を開発したりしていたと思うのですが、今の着物は買い手側が置き去りにされている感じがします。
  着物から2、3世代も離れてしまって、すでに大概の人に着物の知識も無く、呉服屋の言いなりに振袖を買わされたり、高い式服のみが売られたり。
  戦前までのきものには確かに着て側の好みや嗜好や流行が反映されていたと思うのですが、今ではその活性化した流れが滞っているような気がします。 ここ2、3年の浴衣の流れを見ていると、確かに若い世代の「着物を着たい」という傾向が見受けられます。 スーパーにつるしで売られるけばけばしい浴衣に様々意見はあると思いますが、消費者側には確かに「着物きたいなあ」という流れがあると思うのですが、それが生産者側に結びついていないのではないかと思うのですが。

 貴重な御意見ありがとうございます。当社、時期遅れの盆休みのため返信が遅くなってしまいました。  
  仰る通り、どんな業界でも消費者が望むものを供給するのが本来の姿だと思います。しかし、呉服業界はそれが為されていないというのが現状です。
  呉服が消費者を囲い込み情報操作をして言い値で売りたいものを買わせる(続々きもの春秋7・呉服屋奇々怪々、参照)といったことも行われています。同じ業界の者として恥ずべき事と思います。
 消費者の好みが生産者に結びついていないという御意見ですが、業界も様々で消費者の好みに巧みに迎合している業者も少なくは無いと思っています。しかし、問題はもう少し掘り下げなければ本質が見えてこないような気がします。  
  次々に新しい技術が開発され製品に投入され製品に搭載される車やコンピューターときものは少々事情を異にします。  
  現代の若い世代が好んでいるきものとは何でしょうか。本当に自分の好みを選択できているのでしょうか。業界を知る者にとっては、現代の若者の好みは特定の業者が先導し、いわば火を点けはやらせた商品がほとんどです。
  アパレルであれ、車であれ特定のメーカーが火付け役になるというのは良くある事です。しかし、それらはある程度の知識を持った人達がリードし、ある程度の知識を持った消費者がそれを選択しヒット商品となっているように思えます。しかし、きものの場合、知識の無い人が企画し、情報を遮断された消費者が否応なしに選択させられているというのが現状のように思えてなりません。(まるできものの知識の無い人がきものを企画している例は山程知っています)知識が有ろうが無かろうがそんな事は関係なく、売れれば大衆の支持を得ているんだから構わないという見方もあるでしょう。むしろそういう人達がきもののメーカーとして若者の好みを創造しているようにも思えます。  
  私は昔ながらのきものに固執するわけではありませんし、固執したところで時代の流れには逆らえません。しかし、その時代の流れを本筋のものにしたいと思っています。つまり、消費者にはきものはどんなものだったか、大げさに言えばきものの歴史、一昔前の人達はどんなきものを着ていたのか等、充分な知識を身に付けてもらいたいと思っています。  
  全くきものを見た事のない人達が気を衒った商品を見て「ナウい、かっこいい」と思うのではなく、きものを知り尽くした上で(そこまでいかなくとも)市場に並ぶ商品を評価してもらいたいのです。仰るように着物から2,3世代も離れ、すでに大概の人に着物の知識がなくなった今、従来のきものを紹介する事は若い世代の好みと不整合を生み出す事になるかもしれません。しかし、今それをやらなくては日本の文化の正しい継承はなくなってしまうように思えます。
  私はその活動を続けていきたいと思っています。そして、其の為にはもっともっとこれからの着物に対する議論を巻き起こさなくてはならないと思います。kokoさんのようにどんどんと御意見御批判を頂戴したいと思っています。

 お忙しい中お返事ありがとうございます。
  毎日ネットに接続している状況にないために、大変レスポンスが悪く、申し訳ありません。 私の身近に車業界の人間がおりまして、現場の声を聞くに、一部の人間だけが流行を作り出しているわけではない現状を垣間見ていますので、それと比べて着物業界の閉鎖的な状況がなんとももどかしいのです。
  確かに多額の金が動きますので、製品の開発にしてもそれだけ多くの金額を動かせますし、マーケットリサーチにしても同じです。広告に関しても。 車業界はこの先に売れそうな、消費者の好みそうなものを車の開発サイクルにあわせて先取りして新車を発表するわけです。 それが当たらなければ、それほど生産台数が伸びずに生産打ち切りとなったりもする訳です。 車を作っている現場では、職人芸のように車を作っています。ある意味現代の匠です。 ある程度一人1台の時代になってきて車業界も大変厳しいですが、それでも消費者が新しいものを求める気持ちに働きかけていると思うのです。 (常に新しいものを求めるのは問題ありだとは思いますが、少なくともこの不景気に消費に対する原動力になります。)
  車の話ばかりで恐縮ですが、たとえば、コストパホーマンスの安い軽自動車を求める人も入れば、ステイタスを求めて高級車を求める人もいる。大衆車を求める人もいれば、世界で数台しか作られなかった車を求める人もいる。
  そういった多種多様な商品があれば購買層に幅広く働きかけるわけです。 そういう多様性が今の着物の世界にはないと思うのです。
  木綿も、麻もまだ確かにあります。 でも、わからない、知らない人にはそれこそないに等しい世界です。 せっかくの技術も、需要が伸びないばかりに廃れてしまってもいいのでしょうか。
  工芸にしても民芸にしても、すばらしい技術があるのに、後継者もいない、それだけでは食べていけないで品物自体はどんどん高価になっている。 アジアの雑貨が若い世代で求められているのは何もコストの安いばかりではなく本来の心が求めているからじゃないか、と思うのに日本のそれは存在すら忘れられているのではないかと思うような現状。
  物の価値観を図るのに金額でしか物を図れなくなってしまった日本人に、そのものの価値だけで品物を売るのはもはや難しいと思います。 いい物を作りつづけて行くためには、作るだけでは駄目だと思うのです。 購買層が幅広くいいものもあれば悪いものもある中で目を養っていかないと、本当にいいものは廃れてしまうと思うのです。
  アパレルだってユニクロもあればブランドのものもあるのです。 着物は伝統文化ではあるけれど、確かにずっと変化してきた「生き物」だったはずです。 今のまま保護するばかりでは、天然記念物のように死んでしまいます。 いい物だけを作ってわかる人にだけ売ればいい。 確かにその通りですが、それでは今の日本の中で特殊な職業の人とある程度の年齢の人しか着る事が出来ません。 それでは技術を継承する人たちが食べていけません。
  長々と失礼致しました。 生意気な事ばかり述べてしまってすみません。 私個人の意見ですが、やっぱり着物がなくなって欲しくないので、日々あれやこれやと考えている事を書いてしまいました。

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