520. 着物着用時期の決まりは、新旧どちらの暦?   
 ゆうきさん、掲示板の皆さま お世話になります。 着物が好きになって興味を持ちますと、様々な疑問が出て参りました。 表題の着物着用時期についての質問です。
  十月から翌五月までは袷、六月と九月は単衣、 七月と八月は夏物。 四月一日は綿抜きの日なのでワタヌキと呼ぶ。 この辺りは着物の常識としてあることは知ったのですが、 さて、その着用時期の月日は、旧暦でしょうか?新暦でしょうか?
  四月一日でワタヌキと昔から呼ばれているならば、これは旧暦かと思っています。 太陰暦では閏月があるので、現行太陽暦の何月何日か、 ぴったり合わせるのは難しいでしょうが、 五月雨=現在の梅雨と考えますと、旧暦に大体1月足せば新暦になると思います。
  ゴールデンウイーク辺りまでは肌寒い日もあり、 昔は冷暖房も完備されていませんから、 四月一杯(旧暦の三月一杯)は綿を入れていたのは理解できます。 問題は、六月九月は単衣、七月八月は薄物、と、 いつから決まりのようなものが出来たのか?です。
  着物の本には半月くらいの余裕を見て書いており、またゆうきさんがサイトで、 式典は別だが普段着はそんなに厳密に着用時期を決めず、 暑さ寒さで調節すべき、と書かれていたのは見ておりますので、 六月に絽を着てはいけないのか?というような問いではありません。 江戸時代に決まりがあったとするならば太陰暦ですから、 六月九月は現在の七月十月に、七月八月は八月九月になりますし、 明治以降に決まりが出来たのならば太陽暦ですから、 旧暦では五月八月は単衣、六月七月は薄物、 というような決まりがあったかも知れません。
  いずれにせよ、いつからそのような謂われがあったのか? という疑問があります。 着物には特定の決まりや法典?のようなものは無い、 というゆうきさんの書き込みがありましたが、 着用時期についてご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?
  よろしくお願いします。

 返信遅くなりました。
  表記の質問について私ははっきりとした答えは持っておりません。おそらく誰も答えられないでしょう。
  十七世紀全般(江戸時代初期)に来日したイエズス会士ロドリゲス・ツヅが書き残した「日本教会史」という書物の中に「日本人が更衣する年間の季節について」と言う記述がありますので、下記全文を掲載します。

 『日本人およびシナ人の間における主な訪問は、一年の四季、すなわち春夏秋冬に、それぞれの時季の一定の変わり目に行われ、季節と習慣に従い、その季節に合った別の衣類に着更える。
  それは、それぞれの季節における自然の気候に応じて、単衣を多くしたり少なくしたりするのである。
 身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合は、常にその季節に用いられる衣類を着てゆくのが、たとえ他の衣類の上に着るにしても、よい身だしなみであり礼儀にかなうとされる。これを下に着ては使い途が誤っている。
 夏季、それは日本人の間では、六月(陽暦)にあたる第五の月(陰暦)の五日(端午)に始まって、第八の月の最後の日、すなわち九月までの四ヶ月間であるが、その間は単衣すなわち帷子を着る。
  そして第九の月の最初の日から、同じ月の八日まで、袷と呼ばれる、裏地をつけただけの衣類を着る。
  そして第九の月の九日(重陽)から、次の新年の第三の月の最後の日まで、すなわち十月から三月までの、秋の一部と冬全部と二月の五日(立春)に始まる春の一部とを含めた間は、詰め物をした衣類を用いる。
  第四の月の一日から、六月にあたる第五の月の五日・・・この日に単衣を着始める・・・までは再び袷すなわち裏地をつけただけの衣類を着る。そしてこれらの儀式は正確に守られる。』

 ロドリゲス・ツヅの記述には、日本の礼儀作法から習慣、食べ物、建築物などありとあらゆるものに詳細な言及がなされていますので、外国人から見たものですがかなり正確であると思われます。
 この記述よりさまざまな事情が読み取れます。 『身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合は、常にその季節に用いられる衣類を着てゆくのが、たとえ他の衣類の上に着るにしても、よい身だしなみであり礼儀にかなうとされる。これを下に着ては使い途が誤っている。』
 季節の着物を厳格に守らなくてはならないのは一番上に着る着物。つまり袷を着る時季に暑い日であれば、羽織を袷、長着や襦袢は単衣であったと思います。単衣の時期の寒い日も同じだったと思います。
 衣更えの時期、陽暦か陰暦かについては記述の通りです。
 ただし、現在の「袷」→「単衣」→「薄物」という現在のサイクルとは違って「袷」→「綿入」→「単衣」のサイクルになっています。これらのサイクル、衣更えの時期は時代とともに変わってきたと思います。
 同じく十六世紀後半に来日したイエズス会士ルイス・フロイスの「日欧文化比較」という書物には、

 『日本では平安以来貴族の装束は年二季節即ち二種しかなく、四月一日から九月末日までを夏の装束、十月一日から翌年三月末日までを冬の装束と定められ、これを更衣(ころもがえ)という。この時は上から肌衣まで冬か夏に全部取り替えられるので武家もそれに従った。
  しかし、室町末葉からは武家の服制が一新されて、本文のような更衣制が興ったのであった。』

とあります。
 日本の着物は季節によって厳格に着替えたのは昔から変わらないようですが、その時期・サイクルについては変遷していたようです。
 ここからは私の考えと想像です。
 明治維新までは日本は男性社会といえます。それまでの服制は貴族、武士階級の晴れの場(人と会うことも含めて)でのルールであったと思います。貴族はほぼ毎日が晴れの場だったと思います。これに従う女性は貴族か上級武士の妻など極一部だったのではないでしょうか。
 庶民は、季節を感じながらも暑ければ涼しい着物を、寒ければ暖かい着物を着ていたのではないでしょうか。庶民の女性にとって、いわゆる晴れの場というのはほとんど無かったでしょうし、それに対応できるだけの衣類を持ち合わせていたかどうかもわかりません。
 現在の女性の着物の服制は明治以降に定められた?のは間違いないと思います。そうだとすれば、せあさんがおっしゃるように太陽暦に従ったとも思われますが、そもそも「十月から袷云々」は国会で決めたわけではなく、いわば何と無くできたものと思います。
 きものについて権威のある偉い?人たちが言ったことが集約されてできたものと思います。
  私が「着物には決まりや法典はない」と言っているのは「何を着ても良い」という意味ではありません。きものには守るべき決まりは厳然としてあります。しかし、成文化された決まりはないと言うことです。
  あまりにも狭い視野できものの決まりが論議されているようでなりません。 八月の結婚式に単衣の訪問着を着てきた人がいたらどう対処したらよいのでしょうか。
  「見て見て、あの人八月なのに単衣を着ているわ。夏物持ってないのかしら」
と陰口をたたくのが着物のしきたりでしょうか。それとも
  「お暑いところわざわざ着物を着ていただいてありがとうございます。」
と感謝の意を示すのが着物のしきたりでしょうか。

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