92.袖丈一尺七寸
 こんばんは。
 先日の小振袖相談の続きなのですが、都内の百貨店の呉服売り場で小紋の反物を見せていただいた際に、試みに呉服担当の年配女性に
「袖丈一尺七寸で小振袖風に仕立てるのはどうでしょうか?」
とお尋ねしてみたのです。 彼女のご返答は
「一尺七寸では、だらしない感じになりますよ。いつもの一尺五寸がよろしいでしょう。」
でした。
「だらしない感じになる」
と言われ、落ち込んでしまいました(>_<)
  ところで、あちらの掲示板でお尋ねしたのですが、「小付けの小紋」とは、総柄の小紋のことでしょうか?

 返事が遅くなり申しわけありません。
小振袖については、大変誤解を生じやすいと思っています。 今、「小振袖」という製品は出回っていません。(あるいは有るかもしれませんが、私は見たことがありません。)
  小振袖というのは特殊なきものと思ってください。粋に着こなす着物と言う事です。着るのに少々勇気がいるのは間違いないでしょう。
 袖丈についてですが、小紋の袖を1尺5寸で仕立ててるとのことです。(鯨尺ですよね。)
  きものの袖は「若い程長い」「普段着は短い」という原則があります。私の店では若い人の晴着(訪問着など)で最長1尺6寸。通常は1尺4寸です。小紋になると1尺3寸〜4寸です。小紋の袖で1尺5寸というのは長いように思えます。とは言ってもその人、その呉服屋によって基準が違います。
  それと同じように、勇気をもつて小振袖を着た場合、1尺7寸の袖がだらしなく見えるのかどうかは主観でしかないと思います。袖が長いだけでだらしなくなると言うのではなく、小紋の柄の大きさや色など、総合的に見てだらしなく見えるかどうかは受け取る側の主観であると同時に、着る人、仕立てた人のセンスに負う所が大きいでしょう。  うかつに「小付けの柄」と書いてしまいました。呉服用語は曖昧で使い方もまちまちです。私の意味する「小付けの柄」とはこんな柄です。

 私は「小振袖」は「気楽に着られる振袖」という捉え方でいます。
 昨年、娘の着物を袖2尺で仕立てました。小紋の一種ですが、昔は子供の振袖というと、絵羽ではなく、こんな感じの柄の大きい小紋柄を使うこともありました。
  下に添付したのが私が七五三に着たものを娘が着ているもの。これも袖2尺です。 袴下の着物にはよく合う袖丈のようです。
  一方、私の着物の袖丈は訪問着系は1尺5寸です。格の高い江戸小紋や生地の良いとびがら小紋もこの丈に仕立てています。 普段系は1尺4寸。裄が1尺7寸5分と長いので、普通の袖丈よりも若干長めの方が袖の縦横比が丁度よくなる次第です。
  但し、小紋の気に入った反物を買うとき、1尺5寸にするか、4寸にするかは色柄見ながら考えます。
  5寸にすると間が抜けそうだなと思う柄はやはりあります。
  そういう意味では、袖を長くできるかは、生地と柄によりますね。
 結城さま 優妃 讃良さま 丁寧なお答えをありがとうございました。
  私の場合、数枚の普段着の小紋(着付け教室通学や週末用)は袖丈一尺三寸にしています。実は理由は現実的で、長襦袢との着合わせを考慮して、普段着は、いわゆる市販の美容ランジェリーに替え袖を付けて着るために、市販の替え袖の種類豊富な標準丈の一尺三寸にしました。
  訪問着といわゆる「格の高い」小紋は、2枚共に地色がピンク系なので、袖丈を一尺五寸にして、一尺五寸の長襦袢を淡いピンクの絹で誂えました。 袖丈に関しては、呉服担当の方が、一尺三寸、四寸、五寸、と、直接に反物を私の体に合わせて一緒に見てくださり、私の腕が長く(裄が一尺八寸五分)、袂をつまめる長さなので、私の希望もあって、(昨年まで振袖を着ていたせいか、袖が短くなるのがなんとなく物足りない気分なので)一尺五寸に決まりました。
  また、袖幅を最大限長くするため、バランスをとるためにも、袖丈は一尺四寸以上にしましょうというお話でした。 一尺三寸、四寸、五寸、すべての着物に合わせて、色柄の違う長襦袢を誂え、クリーニングなどの管理のための経済的余裕が正直にないものですから、現時点では、袖丈を2種類に統一しております。
  美容ランジェリーは洗濯機で洗って、乾燥機も使えますので、汗をかいても、すぐ自宅で対処できます。 今度誂えたかった小紋は、華やかな花の丸文様のよそいきなので、少し袖を長くしたかったのです。
  確かに、結城様のアドヴァイスの模様と違って、長い袖に合わない柄だったのだと悟りました。きれいな小花模様だと、袖先まで柄が続いて、確かに可憐で上品だなと思いました。(また、別な小紋を一尺七寸にする場合、さらに色柄を合わせて長襦袢をもう一枚誂えなくてはならないことを考えて、只今、考慮中です。)
  ただ、私は未婚のうちに、小振袖風の小紋を楽しみたいと思います。
 柄の好みは人それぞれで構いません。レスでは私の好みを申し上げたまでです。華やかな花の丸文様が小振袖に合うか合わないかは別問題です。自分の個性で柄を選んで見てください。人の好みに合わせる必要はありません。
 1尺7寸袖に合う柄かどうかは、ご自身の感性で考えられて良いと思います。 既成概念にこだわる店員さんもいますので。
  私は既に既婚なのですが、1尺5寸も使います。 が、新規に仕立てるときには、「独身は袖を長くもしますが」と言う店員さんもいました。 独身の場合は、袖の長いのが可愛らしいですよね。
  別の点で注意したいのが用尺です。小紋の場合、普通12m位です。 袖を長くとると、身丈が十分にとれなくなる場合があります。 小紋用の用尺で私が1尺5寸の袖丈を取ると身丈は短めになります。 この辺も注意してください。1尺7寸だと、身丈に相当影響が出る筈です。
 アドヴァイスをありがとうございました。
  一昨年くらいから着物が着たくなり、今春から着付け教室1年生になった私には、和服独特のセンスに自信がないのです。 というのも、ここ1年くらいは、お買い物と目の保養を兼ねて、展示会や百貨店の呉服売り場を頻繁に覗いておりますが、私が気に入って手にする反物や帯のほとんどが、呉服のプロの方々から、
「お若いのに、それは渋すぎます。」
「それは10年後にお求めになったほうがよろしいと思います」
「その帯は80代の方が締めるものです」
「お似合いになりませんよ」
「お嬢様らしい装いになさったほうがよろしいでしょう」
というお言葉の数々を頂き、すっかり、和装のセンスに自信喪失してしまいました。 ここしばらく、文様の勉強もしたので、呉服屋さんの年配の方とすこし会話できるようになったり、臆さずに、質問できるようになってきたのですが、、、和装のコーディネートは難しいです。
  結城さまの「きもの春秋」を読ませていただきました。とても興味深かったです。エピソードにあった、「喪服用の黒いお草履を可愛い」と感じる感性は、実は私も共有しております。洋服育ちの私達の世代には、色彩感覚が全く違うようです。
  普段、特に秋冬は、私は黒、グレー、チョコレートブラウン、ベージュ、オリーヴグリーン、ボルドー(赤葡萄酒色)など無地の洋服を着慣れているせいか、着物もお草履なども同じ感覚で選ぼうとしてしまうようです。
  それから、着付け教室の先輩達の経験談によれば、20代で地味色の小紋や色無地など着ていると、地下鉄の中で見知らぬ着物通のおばさまがたに、(決して意地悪な感じではなく)いろいろとすべてのコーディネートについて仔細な点までアドヴァイスされたりするそうです。
  お太鼓や着崩れを直してくださるありがたいおば様もいらっしゃるそうです。(洋服姿で、そういうことはありえないと思うのですが・・・)
  私は、最近、着物で電車に乗ると、さながらお姑さんと小姑に取り囲まれた嫁の気分!?を味わいます。コートで、冬は帯を隠せますが。。。予め、きちんと帯揚げ、帯締めの色やお草履までコーディネートして、母の最終許可を頂かない と、外出できないです。
  まだまだ、修行が足りないと実感する今日この頃です。 帯揚げや帯締めのコーディネートも、まだまだ自分では決められず、呉服専門の方と着付けの先生方のアドヴァイスと母のお見立てに結局従っています。
 若い人達が着物のことが分からない、というのは困った問題です。まして、大和撫子修行中さんのようにこれからきものを着たいと思っていらっしゃる若者が着物のことが分からないというのは、我々にしては本当に困ります。
  しかし、それは若い人達が悪いわけでも何でもありません。きものが生活から離れてしまった、という事実がそうさせただけで、責任はそうさせた我々のほうにこそ有るのかもしれません。
  そして、それとは正反対の困った問題が起こっています。  
  きものが普段に着られなくなり、きものを着るのは晴の場やお茶など特殊な場面に限られてきています。そして、きものが高価になり(これは全く業界の問題です。)きものを着る人、きものに関わる人が特権意識を持ちだしたということです。
  必ずしも金持ちと言う事ではありません。きもののTPOやコーディネイト、着付けなどについて、きものを着る人扱う人はこれからきものを着ようとする人達に特権を振るうようになってしまいました。
  特権というのは必ずしも悪意ではありません。これからきものを着ようとする人達の目には特権階級に映るようです。洋服屋さんが洋服について客にアドバイスする姿を重ね合わせてみてください。呉服屋や着付けの先生と言うのはどこか変ではないでしょうか。
 若い人達の着物の着方は二つに分かれるようです。
  一つはきものの先輩や呉服屋、きものの専門家と言われる人たちの目を気にしながら恐る恐るきものを着る。
  もう一つは他人の目は全く気にせずに自分勝手にきものを着こなす。どちらも問題がありそうです。
 きものには成文化された規則はありません。あるのは経験的、習慣的な規則です。私も含めてきものについて講釈を垂れる輩は、きものの経験的習慣的規則を自分と言う主観を通して話しているだけなのです。
  着付け教室によって全く違った事を教えているということも良くあります。
  問題は慣習的、習慣的な規則を正しく学ぶ事です。「○○さんがこう言ったから。」というのに振り回されると真実が見えてこない場合があります。○○さんが言う事は○○さんの主観を通した真実だと言う事を考えながら聞いてください。(私の言う事も同じです。)
   私が撫子さんに申し上げたいのは次の事です。
  ・ きものはファッションです。自分の個性が発散できるように自分で選んでください。
  ・ ただし、きものには慣習的、習慣的な規則があります。それを正しく学んでください。
  ・ 上記の規則は絶対的なものではありませんし、今後変わってゆくでしょう。今後きものがどのような規則になるかは撫子さん始めきものを着る日本人が決める事です。
  ・ 充分に従来のきものの規則を踏まえたうえで、きものの文化を発展させて頂きたいと思います。その担い手になってください。
 初めまして。 私もかつて、同じように悩んだことを思い出し、少しでもご参考になればと思い、書き込みをしてみることにしました。
  着物を着始めの頃は、どうしても洋服感覚でお色選びをしてしまいがちですよね。 私もちょっと前まで、母や祖母やお店のひとに「そんな地味なものを選ばなくても…」とさんざん言われたものです。
  ただ、最近のプレタ着物は、そういった地味目な好みの若い方に対応したものも増え、こちらが「地味すぎるなぁ」と思う着物を、お店の方が「最近は若いひとが地味なものを好むから大丈夫よ」と言うようになったりして、「年齢相応の和装」という概念は、もう、ひとによってばらばらになってしまっているというのが実感です。
  そういった状況の中で、「○○さんはこう言った」という概念に縛られすぎると、いつまでたっても楽しい着物ライフは送れないような気がします。
  しかし、そういう私も着物を着るようになって、お色選びで変わってきた部分は確かにあります。 洋服感覚で選んだ色目のお着物は「老けて見られる」ことが多いです。 着物の色選びは、洋服以上に「自分にあててみて」選ぶことが大切なような気がします。 そうすると、思った以上に「はっきりした」「華やかな」お色が似合ったりすることがあります。 「洋服とは違った魅力の新しい自分」を探せるのも、着物の素敵な部分かと思いますので、今まで洋服では絶対着なかったお色にも、どんどんチャレンジして、着こなしの幅を広げていただければと思います。
  しかし、いくら周りの人が良いと言っても(ご本人がそれを気に入れば問題ないですが)本人が着て楽しくないお着物は、持っていてもつまらないかなぁとも思います。
  周りの人がなんと言っても、最後に決めるのは自分自身。 「これが着たい!これが好き!」というお着物は、いつまでも宝物になり、袖を通すたびに嬉しくなるはずです。
  逆に、強く勧められたけど、自分的にはどうも…というお着物は、結局箪笥の肥やしになることが多いです。 そのほうが、お着物にとっても不幸だと思うのです。 本当に気に入ったお着物を、是非自信をもって着こなしてください。 お直しおばさんも気にしないで! だって、初対面の人の装いに難癖をつけるなんて、そのほうがよほど野暮だと思うんです。 着物をよく着ているひと、自分でちゃんと着られるひとのほうが、ずっと、よそ様の着こなしには寛容です。
 心のこもったお言葉をありがとうございました。
  私は、結城様のご分析の最近の若い女性の二流派の前者のほうです。つまり、着付け専門家の躾に従い、「正統派の着こなしこそ正しい」という強迫観念にかられて、周囲の視線を気にしつつ着ている状態です。
  余談ですが、今日、新宿で、全身、いかにも古着らしい着物に羽織を着て、ビニールのリュックサックを背負った姿の同年代の女の子に遭遇しました!すごいです。裾線も衽線もずれていて、足袋は派手な柄物、お草履はパタパタと走って歩き、堂々たるものでした。あっぱれでした。あれも着物姿ではあると思います。
 こんにちは。私49歳。結婚まで日舞を習っていて着慣れてはいる積もりです。 普段も出来るだけ着るようにしていますが、少々改まった場合は娘に見立ててもらっています。(娘は祭りの時の浴衣とお正月のウールのアンサンブルしか着ません。あまし関心が無いようです。)
  洋服も自信がないのです。情けない母です。 洋服だって、自分の気分に合わない物を着ていると落ち着かないと思います。 着物だって、多分同じではないでしょうか?
  ゆうきくんさんの最後の4項目は、私も気に留めている積もりです。 若い方だから出来る着方があると思います。(あまり外れると落ち着かないとは 思いますが) まずは、着てみてください。着慣れて下さい。走ってもいいじゃありませんか。 私なんか娘に叱られていますよ、走るから。
 優しいアドヴァイスをありがとうございました。
  少し、肩の力を抜いて、自由に着てみようと思います。
  例えば、黒地の無地場の多い飛び柄小紋に淡いグレーやベージュの帯揚げ、白系の帯締めなど、洋服のモノトーン風コーディネートなど挑戦してみようかなと思います(^^♪ 
  失敗したら、私の着物スタイルに変化を与えてくれる経験となるはずだろうと思います。着物や帯の柄の色に合わせて帯締めや帯揚げの色を決めるという「しきたり」に服従を続けるのが、ちょっとストレスになってます。
「この色を合わせると上品で素敵でしょ」
という呉服店や着付け教師の説得というべきか、共感の強要に、ほとんどいつも???なのです。内心、「その色好きじゃない」と思いつつ、不承不承、従っているのでは、着物を着ることが早晩苦痛となりそうなので、、、 好きな色、柄の着物を楽しく着たいと思います。(礼装する機会は私の場合は稀ですので、礼装は例外としてです。) ごきげんよう。
 ストレスになっているのは「しきたりへの服従」ではなく、「呉服店や着付け師の説得、共感の強要」ではないでしょうか。 「しきたり」は日本人が長い歴史を経て作り上げた素晴らしいものです。
  本当のしきたりを十分に学んで下さい。 「呉服店や着付け教師の説得というべきか、共感の強要」というのが、私が申し上げた特権意識なのです。そんなことに負けないで下さい。
 大切にすべき「しきたり」もあるとは思います。が、しかし、「梅文」の小紋はお正月から着ても良いという意見あり、否、梅のみなら、2月のみ着たほうが良いという意見あり、、、桜は、花びらのみなら文様として、着物も帯も一年中着ても良い、桜文はお正月から季節の先取りで着て良い、桜の幹まで描かれていれば3月から4月上旬、、、これは呉服店の方がたと着付けの教師の方々のお言葉です。
  季節を大切に表現すると言うのは、日本の麗しい伝統だと思います。(私は華道歴は長いので、季節の花を生けるしきたりには大切だとはますが、現代では一年中温室栽培の花が手に入るため、柔軟に対処するようにしております。)
  果たして、これらのどれが正しい「しきたり」なのでしょうか? 私の持っている桜の花びら尽くしの帯(幹は描かれていません)をいつ締めればいいのか、梅文様の小紋はいつ着始めたらいいのか、どちらも、とにかく、お正月明けを待って着るつもりで、仕付け糸のついたまま箪笥に眠っております。
  21世紀の日本に伝えるべき正しいしきたりは、どこで誰が決めているのでしょうか?畳紙を開いて悩む今日この頃です。 結城様のご意見は、いかがでしょうか?

 話は一から始めなければなりませんが、きもののしきたり、TPOは誰が決めたものでもありません。再三このコーナーで書きましたが、きものには家元はおりませんし、聖書やコーラン、本草綱目のような聖典もありません。
  家元がいたり、聖典があれば話は簡単だったでしょう。家元の言に従って、聖典に忠実にきものを着れば良い訳ですから。
  しかし、しきたりは、誰か特定の人が定めたものではないのです。
 では、しきたりがどのように創られたのかと言えば日本の風土と習慣でしょう。それも一時で創られた物ではなく長い歴史と変遷を重ねて創られたものである事は誰しも認めるところでしょう。
 してみれば、広い日本(特に南北に長い)ですからしきたりが必ずしも統一されない場合があるのは当然のことです。
  結納や葬式のしきたりなど、我山形県の中でも村々によってまちまちなのです。昔と違って交通や通信の驚くほど発達した今日ですから、しきたりの統一化は格段に進む可能性有り、とは言えども必ずしも全国津々浦々完全に統一というわけには行かないでしょう。まずその事を頭に置いてください。
 少し話は換わりますが、きものを着るのは何のためでしょう。
  生物の体温を保持すると言った第一義的な目的ではなく、もう少し高度な目的は何でしょうか。例えば友達の披露宴に着物を着て行く、お茶会に着物を着て行く、あるいは葬式に喪服で参列する、というのは何の目的でしょうか。   
 私は次のように考えます。
  それは、着物を着る(着物だけではなく洋服でもそうですが)のはその場に対する自分の気持ちを充分に表現し、その場の雰囲気を盛り立てるものだと思います。華やかな披露宴であれば祝福される人を盛り立て、居合わせた人たちの心を和ませる。
  葬式であれば哀悼の意を充分に伝える一つの手段が着物(衣装)なのです。
 衣装はその民族を代表する文化であり、衣装を通したその表現は、その民族の習慣風土に左右されるものです。
  着物の場合は、四季のはっきりした日本ですから季節感は大切なものに成ります。季節感のみならずきもののしきたりは長い年月を掛けて創られた日本人の心の鑑と言っても良いでしょう。
 そのしきたりは前述したように成文化されてはいません。それぞれに日本の文化習慣を学ぶしかないでしょう。しかし、それぞれに習慣を学ぶのですから若干の相違が出てくるのは当たり前でしょう。
 きもののしきたりとはそう言うものだと思うのですが、問題は自分の知っているしきたりが完全であり間違いないと思う輩が出てきたことです。
 
前にも書きましたが、きものに対して特権意識を持った人達です。
  私に言わせれば、そういう輩は最もきもののしきたりを知らない人達です。
 例えば葬式に喪服に黒の羽織を着てきた人がいたとしましょう。黒の羽織は昔から着られたもので何もおかしい事はありません。その人は精一杯に故人に対する哀悼の意を示そうときものも吟味してきました。ところがその人に次のような事を言う人がいたとしましょう。
「昔は羽織を着たけれども、今は羽織なんか着ないのよ。」 (ありそうな話だとは思いませんか。・・・フィクションですけれども)
  その一言でその葬式は台無しになってしまうでしょう。 どんな席でも、もしも知らずに場違いな衣装で出席した人がいたとしても、その人の誠意を充分に汲み取るのがきもののしきたりと言えます。
  形だけのしきたりに捉われ、自分の知識を振りかざして場を壊してしまうのはきものを着る資格さえ無いと思います。
 きもののしきたり・・・→日本の習慣風土を良く学んでください。それは大変難しいことですが、その上で自信を持つてきものをきてください。そして、他人に対する配慮を忘れないように。
 長くなってしまいましたが、伝わったでしょうか。この辺の事につきましては、「きもののTPOについて」と題して「続々きもの春秋」に載せるべく、ただ今書いております。今月中(来月になるかもしれませんが)でもupしますので御覧下さい。

 師走のご多忙な折、丁寧なお返事をありがとうございました。着物春秋を楽しみにしております。
  私には、着物関係の雑誌などで着付けやコーディネートの監修、解説をされる有名な方々、着付け教室の年配の先生方が、華道や茶道の家元的存在に思えてしまいます。
  また、着付け教室ごとに、教え方も微妙に違い、これも華道や茶道のような、(私は華道歴は長いので、いろいろ口うるさい方がたに幸か不幸か慣れております)互いの流派を批判しあったりする雰囲気が多少あるようで、私のような初心者には、居心地悪い気分を味わいます。
  結城様のおっしゃるような「特権階級」、私流に名付けると、「選民意識」の強い方々の「視線」が、まさに「目は口ほどにものを言う」という通り、やはり初心者には気になります。(私は、その帯を勧めてくれた呉服店の言葉どおり秋に小さな桜花びら文様の帯を締めておかしいとは思わないです。特に私の帯は黒地で花びらは銀糸で、遠目には図案化された文様にしか見えないので、色彩的にも秋冬の帯のつもりでした。
  それでも、「特権階級の方がた」の視線が怖くて、締めかねて、お正月が来るのを待っております。) 季節の花や風景を表現するのは、素敵なことだと私も思います。もう少し、お勉強を続けて、自分の感性に自信を持ちたいです。 ごきげんよう。
  ちょっと割り込んでいいでしょうか? 華道をなさってるとは素敵じゃないですか。季節を感じる気持ちを着物にも表現してみてはどうですか?その気持ちに自信を持ってください。そして、季節の花を紹介して下さい。(ちょっと舌足らずかな?) お邪魔しました。
 大和撫子修行中さん、こちらはゆうきくんのコーナーです ので、書き込みは控えさせて頂いていました。 けれども、お節介かと思いつつも気になりましたので、 お邪魔させて頂きます。
  着物の帯や色合わせなどは、ご自分の感性でされれば良い 事だと思います。 それで皆さんに素敵と言って頂ければ、それは嬉しい事。 もしそう思って頂けなかったのなら、センス(古い!)を 磨けば良い事です。
  自信があったのに思って頂けなかったのなら…皆、センスが 無いのね、と。 そう思えば、気楽な気持ちで着られるのでは?と思います。 そんな事位で、着物を着るのが苦痛になるなんて、勿体無い 事です。
  個人的な事を申し上げれば、礼装などで相手がある場合は 「決まり事」に外れない様、気をつけます。 けれどもお洒落着として着る場合は、自分の感性に従がい かなり自由に着ています。
  勿論それが素敵と思って頂けるかどうかは、判りません。 けれども…少なくとも自分自身が、とても「楽しい」事 だけは確かです。 実際に着なくても着物を出し…帯や小物をどうしようと、 考えるだけでも、楽しい事です。 そんな楽しみが出来なかったら、着物を着る意味が無い! そう思いませんか?
  最後にこんな事を書くと、また古いと思われそうですが。 黒やグレーのモノトーンは、確かに素敵です。 けれども洋服でも、モノトーンの着こなしは上級のお洒落と 言われる程、難しいですし…。 着物の場合、黒やグレーは喪といったイメージが強いので、 注意されてコーデュネイトをお楽しみ下さい。
  これはあくまで老婆心からのそれも主観です、くれぐれも 強要とは、お取りにならないで下さいね。(^_^)
 丁寧なアドヴァイスをありがとうございます。 着物を着てみたい(^^♪という素朴な初心を思い出して、楽しみたいと思います。 モノトーンは、憧れなんですが・・・もう少し、立ち居振る舞いに慣れてから「挑戦」してみようと思います(^_^)

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