続きもの春秋12 
  巨大化するきもの

 「巨大化する」とは適切な表現ではないかも知れないが、私にはそういう表現がぴったりと思えるような出来事が今呉服業界に起こっている。
 事業を縮小する企業が多い呉服業界にあって、巨大化とは何事かと思われるかも知れないが、巨大化しているのは、きものの寸法である。
 きものの寸法には『並寸』というのがある。並寸とは、きものの寸法の基準となるもので、仕立ての本を開けば必ず出ている標準寸法のことである。並というのだから、人並、すなわち平均的な寸法を指しているのだろう。平均とは何かと言えば、学術的にはこれがまた難しい。単純平均(算術平均)、メジアン(中央値)、最瀕値、いずれを指して言っているのかは知らないけれども、「普通の人ならばこのくらいの寸法」が並寸の意味するところだろうと思う。
 しかし、最近はこの並寸が果たして並寸なのだろうかと疑問に思うことがしばしばである。  きものの寸法の主なものは、身丈、裄、袖丈、身幅である。身丈は身長によって決まり、袖丈は礼装と普段着では長さが違う(一般的に普段着の袖丈は短い)。裄は並寸で1尺6寸5分、身幅は前幅6寸、後幅7寸5分(いづれも鯨尺)とされている。並はあくまでも並であって、その人の体系により自分に合った寸法を定めるのは当然である。
 並が平均を指すのであれば、平均より上も下もあっておかしくはない。身長の高い人も低い人も痩せている人も肥えている人もいるのだから。しかし、実際にお客様のきものを誂えていると、並寸よりも小さい人はまずいない。並寸という人も非常に少ない。ほとんどの人が並寸以上である。これでは並寸はなぜ並(平均)なのかと疑問に思うのである。
 ここまで話をすれば、多くの人は私の疑問に次のような解答を用意するだろう。
「きものの並寸が定められたのは昔のことで、最近の女性は体格が良くなり、昔の基準の平均は現代人の平均ではなくなった。」と。
 しかり、である。日本人の体形は男女を問わずに戦後急速に伸びた。女性で170センチを越える人も珍しくなくなり、日本人の体形の変化によって寸法の基準が変わったというのはうなずける話である。先頃、私の家の蔵から出てきた大正時代頃の物と思われる女性の下駄は、まるで子供用かと思わせる程小さく、私の母や女房が履けるものではなかった。(その下駄は博物館入りとなった。)  しかし、きものの寸法が『巨大化』した真の原因は別の所にある。
 裄丈とは肩幅と袖幅を足したもの。洋服で言う肩幅の半分と袖丈を足したものである。この裄丈は、
「手を水平に広げて、背骨の中心から手首の踝(くるぶし)が隠れるまで」
が基準となっている。身長が152センチの人でだいたい62.5センチ、すなわち1尺6寸5分、並寸になる。慎重152センチが平均的身長として並寸を定めたのだろうが、現代では小柄な部類に入る。身長に合わせた裄丈の割り出し方で、他に『身長×0.4+2 』という基準がある。この方程式にのっとって裄丈を定めていくと、身長155センチの人で64センチ
(1尺6寸9分)、160センチの人で66センチ(1尺7寸4分)、165センチの人は68センチ(1尺7寸9分)、170センチの人は70センチ(1尺8寸5分)である。
 体格が大きくなった現代、裄丈が1尺7寸5分(男並)、1尺8寸という人がいてもおかしくはない。しかし若い人、特に振袖を作る年代の人たちの中には身長が160センチに満たない人でも裄丈が1尺8寸、1尺8寸5分という人がいる。身長が170センチ位の背の高い人に至っては「いっぱいに」すなわち、できるだけ裄丈を長くという人もいる。裄丈は肩幅と袖丈を足したものなので、「いっぱい」と言えば、反物幅の二倍から縫代を除いた長さになるけれども、柄合わせの関係もあり、1尺9寸5分から8分という『巨大な裄丈』となる。
 なぜ若い人がそのように裄丈を長くしたがるのだろうか。原因は次の様だろうと思う。  裄丈の基準に従って裄丈を定めた場合、手を水平に揚げた状態では手首まで袖に覆われるけれども、腕をだらりと下にさげると、袖口は手首よりも4〜5センチ上になる。洋服を着慣れた若い人達にとっては、袖口は常に手首までなければ違和感を感じるらしい。まして寒い冬ともなれば、手首のあたりが落ち着かないのかも知れない。手を下に降ろした状態で手首まで袖で覆うとしたら裄を4〜5センチ(1寸〜1寸5分)長くしなければならない。その為に身長より割り出した寸法よりも1寸〜1寸5分も裄を長くするのである。
 それでは、きものの裄の長さは洋服に比べてどうして短いのだろう。手を水平にして裄丈を決めるのはどうしてなのだろう。そういう疑問が当然沸いてくる。私は次のように解釈している。
 きものの機能はきものを着て初めて実感することができる。座敷で手を延ばして物を取ろうとすると袖がからんでじゃまをする。向かいの人に酌をする、調味料を取る。いろんな場合が想定されるけれども、裄丈が基準以上に長ければ、袖が手の甲に被ってしまい、いちいち袖をたくしあげなければならなくなるのである。
 しかし、現代きものを着る時と言えば、かしこまった時ばかりで、カジュアルな動作が伴うことが少ないのかも知れない。まして振袖ともなれば、お人形のようにじっとしているだけできものの機能を云々するには至らないのである。これもきものが実用品ではなくなった証左なのかも知れない。
 裄丈とともに身幅も広くなっている。「前幅五分出し」「後幅五分出し」というのが良く聞かれる。これもきものを着慣れた人が少なくなったせいで、座ったときに裾が広がらないように身幅を広くするためらしい。  いずれにしても、きものを着慣れない人が多くなった事が、着物の巨大化につながっているように思える。
 巨大化はきものに留まらない。若い人の草履が巨大化している。
 浅草の問屋に行った時に、巨大な男物草履が並んでいた。場所は浅草である。相撲取りでも履くのかと思って下駄屋の主人に聞いてみた。
「これはお相撲さんの草履ですか。」
「いいえ、普通の人が買っていくんですよ。良く売れますよ。もっと大きいのもあります。」
 その草履がどれ程大きいかと言うと、通常の男物の草履は長さが約8寸(曲尺で)である。私が見た草履は9寸、そして下駄屋の主人が持ってきた草履は1尺である。長さが2寸、すなわち約6センチ長いのである。当然幅も広い。
 余りに大きくて人目を引くので、店の飾りになるだろうと思って買って帰ったが、これがまた良く売れる。若い人が試着して買っていくのである。
 女性の草履も同じである。問屋に並ぶ草履のL寸がやけに多くなってきた。実際L寸が良く売れているのだという。そして、普通サイズの草履や下駄も以前より大きくなったように思える。
 下駄や草履が大きくなっている理由は、若者の足が大きくなっている事もあるが、きものの裄丈と同じような理由で大きくなっているのである。
 草履はもともと、履いた状態で踵(かかと)が少し草履よりもはみ出るのが普通である。普通サイズの男物草履の長さは約8寸(25センチ)。25センチという足のサイズは男では大きい方ではない。さらに鼻緒を挟む為に足が少し後ろにずれる。従って25〜25.5センチの標準的な人でも踵は草履からはみ出るのである。しかし、若い人は靴を履き慣れているせいか、足が草履に納まらないと気がすまないらしい。標準的な足の人に普通サイズの草履をすすめても、 「もっと大きいのが良い。」 と言う返事が返ってくる。
 さらに鼻緒がそれに拍車をかけている。新品の草履や下駄は誰が履いても鼻緒はきつくできている。履いているうちに適度に鼻緒が伸びて自分の足にしっくりくるようになる。鼻緒の伸びた草履というのは私も履いたことがあるけれども、とても履いてはいられない。始終指で鼻緒を挟んでいなければ、草履は足を離れ二三歩先を歩いてしまうのである。しかし、若い人がきものを着るのはほんのわずかの時間。鼻緒が足に慣れるまで履く人は少ないのだろう。そんな訳で若い人達は大きな下駄や草履を好むのである。
 先日若い女性が店にやってきた。
「あの〜、男物の雪駄(せった)はありますか。」
「はい、草履ですね。こちらです。」
 黒い鼻緒、白い鼻緒、柄物の鼻緒、本藺草の草履やビニールの雪駄などいろいろと有り、選べない様子だった。
「お祭りの時に履くんですが。」
「はい、それでしたらこちらの草履が良いでしょう。」
その女性は、今度はどの大きさが良いのか迷っている様子。
「体の大きい方ですか。」
「はい、恰幅がいいんです。」
「普通の方でしたらこの草履ですが、履き慣れない若い方や体の大きい方はこちらの大きな草履を選ばれるようです。」
「そうですか、きつくて履き難いと悪いのでこちらを下さい。」
 結局その女性は九寸の大きな草履を買って帰った。
 二日ほどして男性が店にやってきた。
「この間、女房がこちらで草履を買ったんですけれども大きくて・・・。」
 先日の草履である。その男性は確かに恰幅が良く足も小さくはないように思えた。それでも、
「草履っていうのは踵が出なくちゃ粋じゃないんですよ。これじゃちょっと・・・。」
 そう言って普通サイズの草履を買っていった。聞けば、その男性は祭りで太鼓を叩く人だと言う。いわゆるお祭り衆である。若いけれども日本の粋を熟知しているようだった。私は何だか恥ずかしくなってきた。お客の欲するままにサイズの大きな草履を売っていたけれども、分かっている人から見れば、おかしな草履を売っているように見えるのだ。
 きものや草履が大きくなっている原因には洋服の影響が見え隠れする。これからきものや草履の寸法は益々大きくなっていくのだろうか。私の目にはだぶだふのきものを着て、子供が親から借りたような草履を履いているように見える姿が日本のきもの姿になるのだろうか。
 それにしても呉服屋にとっては何とも商いのしずらい時代になったものである。
「日本のきものはこう言うものだ。」
と、客に説教をして裄の短い(基準通りの)きものを仕立てれば、成人式などで、
「他の人の袖(正確には裄)は皆長かった。」
という謗りを免れえない。草履はこう言うものだと言って売れば、草履がきつくて足が痛くなったと苦情が来ないとも限らない。そうかと言って、何も分からない客に迎合して客の欲するままに巨大なきものを仕立てて、巨大な草履を売れば、知る人が見れば、
「何といい加減な呉服屋。」
とも言われかねない。  どうしたら良いのか答えてくれる人はいない。