続きもの春秋15  
 きもの離れの応援団

 きもの離れが進んでいる。普段にきものを着ている人は見かけなくなり、結婚式や葬式でもきものを着る人の数は減っている。我呉服業界はきもの離れを食い止めるのに躍起になっている。
「きものは活動的でなくて」
「きものは一人で着れないから」
「きものは高価だから」、
きもの離れの原因としてこのような理由が御三家と言えるかもしれない。そうだとしたら、いずれもきものそれ自身に内在する性格に原因があるように思われる。しかし、実はそれ以外の「きもの離れの応援団」とでも言えるような原因があるのである。
 私は何の因果か息子の小学校のPTAの役員を承っている。めでたく来年の春、長男が卒業のはこびとなり、卒業式後の謝恩会の設定をまかされた。来年の卒業式は運悪く?、大安吉日の土曜日である。これまでは謝恩会と言えば、市内のホテルを会場に、世話になった先生方と一献というのが慣例だった。しかし、大安吉日ともなれば、ホテルは結婚式でいっぱいである。加えてPTAというのは客単価が低い。ホテルが単価の取れる結婚式を入れたがるのは同じ商売をするものとしては十分にうなずけるのである。市内の小学校は全て同じ日に卒業式を行なうので会場は益々確保が困難になる。中には謝恩会を諦めた学校や、体育館で仕出しで行なう学校も出てきたと言う。
 私の息子の通う小学校は町中にあり学区内には料亭がある。私は料亭の女将を拝み倒して謝恩会を料亭で行なうように段取りを組んだ。その料亭の息子も同じ小学校の出身で、主人は学区の顔役であったことも幸いした。通常とてもできないような料金でやってもらうこととして落着した。
 卒業謝恩会を料亭で、というのは余り聞かない。料亭と言っても昔ほど敷居が高くはなくなったけれども、それでも利用したことのない人にとってはまだまだ敷居が高く感じられるようだった。私はホテルが取れなかったのが幸いして料亭で謝恩会ができることを皆に喜んでもらえるものとばかり思っていた。
 しかし、PTAの役員会でこの事を報告すると、猛烈な反発を受けた。私には反発など思いも寄らなかった。出席していた母親の八割が反対であった。反対の理由は、座敷では坐らなければならないのでいやだ、というものである。座敷で坐ることに対しての反発だった。
 日本の家屋に畳はなくてはならないものである。畳であれば当然坐ることと無関係ではいられない。私も小さい時には畳の上で茶ぶ台で食事をしていた。きちんと正座していたとは限らないけれども、畳に坐っていたのである。
 畳の上で正座をするのは日本人の生活の中の一シーンとして必要なものである。いつも正座していなくても、必要な時にはきちんと正座するのが日本人である。
 ひいじいさんの時代には、「立って話をするな」というのが若い女性への躾だったという。畳の上では立って話をするものではないというのである。男性でも女性でも畳の上で立って話をするのは似合わない。きもの姿はやはり畳の上では正座が似合っている。
 今の小学校のPTAの母親は30〜45歳ぐらいである。その人達の八割は畳の上で坐って食事をするのを拒否しているのである。私の父や母の世代は正座が苦にならない人が多い。とは言っても、その世代の人達にも葬式では足を崩す人も多い。普段の生活が洋式化して正座に対する嫌悪感は世代を越えて進行しているようである。十代の若者の中には正座をしたことがない、正座ができないという人もいる。きものを着た若い女性が正座できずに畳の上で足を崩すのは様にならない。
 正座に対する嫌悪感が、生活の洋式化に拍車をかけて、益々和風の文化を否定する悪循環に陥ってしまうような気がする。
 日本の文化である和服の危機はきものそのものに内包する問題のみに起因するのではなく、様々な日本文化の衰退が連関している。
「正座をしたくない」
「下駄や草履を履きたくない」
など、きもの離れの応援団とも言える要因がそこかしこに隠れているようにも思われる。  きものをどのように残すか、もっと大きな目で見て考えなければならない問題である。