続きもの春秋16 
 業界が怠ってきた事

 現在、きもの業界は危機に瀕している。きもの業界のみならず日本経済全体が危機に瀕している、と言っても良い。業界の低迷は日本経済の低迷に起因するものと言い訳することもできるかも知れないが、きもの業界は構造的な問題もあり、日本経済が立ち直れば回復できるのかと言えば、そうとも言えない。
 きもの業界が危機に陥った原因としていくつか考えられるけれども、業界の人間が格別怠慢だったとは思えない。日本の高度経済成長を支えてきたのは日本人の勤勉性によるものと言われているけれども、私も全くその通りだと思う。戦後の復興期には他の業界と同様に、我々の先達は一生懸命に働いた。私がいた問屋の先輩には良くその頃の様子を聞かされた。現在のように交通、運輸手段が発達していなかった当時、その問屋は小さいながら全国に販売網を持ち、出張員が毎月一〜二度得意先を廻っていた。新幹線も車も無かった時代である。商品は全部持って歩いた。夜行列車を乗り継ぎ、自分の担当する地域まで商品を担いで行ったのである。
 反物を入れる段ボール箱を業界では「ボテ箱」と呼んでいる。一個のボテ箱に反物なら約二十反〜三十反入る。一反が1kgとすれば一箱2〜30kgの重さである。そのボテ箱を最低五個持っていったと言う。二つのボテ箱を真田紐で括り、両肩に掛け、残りの一つを肩に担いで歩いた。夜行列車ではそれを重ねて、それに寄りかかりながら眠ったという。また、他の先輩の話では十個ぐらいは持って行けたと言う。目的の駅に着けば急いでホームに荷物を下ろす。そしてそれを一個ずつ担いで見えるところまで運び、それが終わると再び見えるところまで運びそれを繰り返す。階段の下から上まで、改札口の中から外まで、まるで尺取り虫のようにして大切な商品を運んだという思い出話を聞かされたことがある。私を含め現在の人達ではとてもできないような苦労をして先達は日本の繁栄を築いたのだろうと思う。もっとも当時はきものは良く売れたので、出発時には沢山の荷物を担いで行っても、帰りにはボテ箱一個で、あるいは手ぶら同然で帰ることもあったらしい。苦労に見合うだけの商いの充実感も感じることができたかも知れない。
 私が京都にいた時はすでに車が商品運搬の手段となっていた。私は京阪神地区を担当し車で廻っていたが、ある時車を使えない事があった。その時私は先輩を見習ってボテ箱を担いで得意先を廻った。さすがにボテ箱は一個だけだったけれども、地下鉄や電車を乗り継いで戻ってきた時には年配の先輩社員に暖かい目で見られたことを覚えている。今時、たった一個でもボテ箱を担いで混んでる地下鉄に乗り込めばけげんな顔で見られるものである。五個も担いでホームに入れば係員に留められた事と思う。
 さて、そのような苦労をした先達ばかりではなく、私がいた当時も業界の人間も必死で働いていた。その問屋では夜行列車を車に換えて出張員は全国を飛び回っていた。東北担当の出張員は朝車で京都を出るとその日の内に仙台の常宿に入る。十五年も前のことだから、高速道路は随分とできてはいたが現在ほどではない。さぞかし疲れた事と思う。北海道へは常宿に荷物を送り列車で向かう。私も一度手伝いで行ったことがある。午前中に京都を発ち翌日の朝札幌の常宿に着き、すぐに荷物を解いて広い北海道の得意先に向かうのである。以外と疲れるのは四国の担当者だった。今では本四架橋があるけれども当時は全てフェリーで四国に渡った。距離が近いだけに船中の時間は中途半端になる。かれらは時間を節約する為に夜遅く京都を発った。神戸の青木港よりフェリーで渡り、ろくな睡眠ができずに四国に上陸して早朝得意先に向かった。このような出張は通常二〜三週間で戻ってくる。月初めに京都を出て月末に戻ってくるのである。小売店が展示会のピークを迎える秋口には、地域によっては四十五日間出張という人もいた。まるで遠洋漁業のような生活である。
 そのような業界の人達の苦労を見ていると、業界衰退の原因が業界の人達が怠慢だったからとはとても思えないし、私はそうは思わない。きもの業界の人間は他の日本人同様に必死になって働いてきたのである。
 業界衰退の原因は、「生活の洋式化」「若者のきもの離れ」など業界の外的要因に結びつける事もできるし、確かにそういう面はあるけれども、業界の内的要因として私は次のような事が一因として有るのではないかと思っている。
  日本人は仕事熱心で、いつも仕事の事が頭から離れない。仕事をしている時にはもちろん、仕事を離れても口から出る話題は仕事の事が多い。私も大阪でサラリーマンをしていた当時、会社帰りに上司や先輩と一杯飲む時にもほとんどは仕事の話だった。家族の話や趣味の事など話題になることも有ったけれども、話の中心は仕事の話である 。
 外国人、特に欧米人から見れば、会社を離れてもまだ仕事の話をするのが奇異に見え、一頃「ワーカーホリック」という余り有りがたくない称号を得た原因にもなっているのだろうけれども、仕事の情報交換は悪いことではない。その積み重ねが日本経済の潤滑油となっているとも思える。
 業界での情報交換はもちろん仕事の上でも行なわれる。小売店と問屋、小売店と小売店、あるいは小売店とメーカーなど、寄ればたちまちそこは情報交換の場となるのである。それはどの業界でも同じである。
 さて、我きもの業界で話されている情報と言えば、
「○○社は最近売上を伸ばしています。実はこんな工夫をしているんですよ。」
「××社の社長は社員を売る気にさせるのがとても上手いんです。」
「×○社の展示会では人集めを工夫しています。一日○百人の来場があったそうです。」
 そういった類の話がされている。いわば売り方の情報交換である。問屋が小売店に持ち込む情報の多くは、
「当社では今度こんな企画を始めました。他社ではたいへん成功しています。御社でも是非考えてください。」
 どうしたら効率良く商品を販売できるかという話ばかりである。一方、
「友禅作家の○○は若いですが、最近良い作品を発表しています。」
「機屋の○○の袋帯は値段の割りにとても出来が良いです。」
「染屋の○○の商品は、昔はうちの店に合っていたんだが最近は現代的な色づかいをするので私の店には合わなくなったんです。」
と言う話はほとんど聞かない。商売をする以上、自分が扱っている商品の出来には多大の興味があるはずである。製品そのものの品質、性能は商売の今後を左右するものである。
 八百屋さんであれば、
「今年の○○は不作で出来が良くない割りに相場が上がって困りますよ。」
「○○テレビが余計な放送をするものだから××産の○×は売り物になりません。」
 自動車業界であれば、
「A社の発表した四WDシステムは当社の製品より良いらしい。」
「B社の××という車種は当社の○○と同クラスだけれども価格が安い。ディーラーとしては何とかメーカーで対策を練ってほしい。」
「C社は燃費の優れた新車を発表するらしい。」
など、製品そのものが業者間の情報交換の話題になっていると思う。しかし、きもの業界では、「高い」「安い」の声は聞こえても、小売店が問屋やメーカーに製品そのものの品質を話題にすることはほとんど無いように思える。
 きものは機械と違って定量的な数値に現れるスペックは無いけれども、美術品を鑑定するが如く、商品に対する評価が飛び交っても良さそうなのだが、話題の中心はもっぱら売り方なのである。 「売り方」「商品」どちらも大切な商売の要素である。売り方がうまくても、商品が良く(安く)なければ売れないし、いくら良い商品を扱っても売り方を知らない人では商売にならない。「売り方」「商品」どちらも商売の両輪と言えるものである。どちらかが欠ければ商売は中途半端になるはずなのだが、何故か我呉服業界では売り方ばかりが先行している。
 数年前、呉服の販売企画を得意とする商社がやってきて話をしたことがあった。若い出張員は星の数ほどある企画を並べ立てて、いかにして売るかについて力説していた。一通り話を聞いた後、
「それで御社ではどのような商品を扱っているのですか。」
 出張員は待ってましたとばかりカラーのチラシを広げて見せてくれた。私も呉服屋の端くれである。カタログといえども商品を見ればどの程度の商品なのか、物によっては染屋や機屋の名前さえ分かる。
「これらの商品ですと客単価は八○万円になります。」
「八○万円?随分高いですね。」
「高いですか。もし高ければもっと安いのを用意します。」
 その出張員は当社の客に対して客単価が高いと言われたと思ったらしい。もっと低額品の載ったチラシを出して言った。
「こちらでしたら四○万円位になります。」
「高いと言うのは、その商品を八○万円で売るのが高いと言っているんです。本当にそんな商品を八○万円で売るんですか。」
「ええ、どこでも飛ぶように売れていますよ。当社はその店に合った商品と企画を用意しますので。」
「しかし、その商品、当社なら○○円位で仕入れられますよ。余りに高いんじゃないですか。」
「ええ、これは企画品ですから、少しは値段に上澄みはされていますが。」
 若い出張員は販売マニュアル通りに売り込んでいる様に思えたので少し詳しく呉服の事について質問してみた。しかし、呉服の事は殆ど分からなかった。ただ商品を売り込む為のノウハウしか頭にはないのである。
 これほどまでして商品を売り込み、そして売れるのは消費者がきものと無縁になってしまったからではないだろうか。始終きものを着ていた時代であれば少なからず消費者はきものの知識は持ち合わせていたはずである。しかし、最近きものが縁遠くなり消費者が自分できものの価値判断をすることができなくなってきている。どんな商品でも売り方一つで消費者に売ることができるという所まで来てしまっている。業界が「商品」よりも「売り方」に目を向けるのは、そんな背景があってのことなのだろう。
 しかし、業界全体を見渡せば、商品に対するこだわり品質向上の努力が無視されているわけではない。
 先日、白生地屋さんがやってきた。問屋さんが来ると私はできるだけ商品について情報を聞くことにしている。その白生地屋では国産生糸にこだわり、当県(山形県)産の生糸を買い取って白生地を作っている。その為にその白生地屋の社長が山形県知事より表彰されたと言う。
「今時国産の生糸を使うのは大変でしょう。価格的に輸入物と相当の開きがあるんじゃないですか。」
「ええ、そうですね。養蚕農家の生糸を全部買い付ける約束をしているものですから大変ですよ。」
「年間何反くらい作るのですか。」
「五○○○反位です。」
「それだけの白生地を捌くのは大変ですね。価格的に輸入物に立ち打ちできますか。」
「価格的にはとても・・・。しかし、品質では全く違いますよ。生地自体が良いですし、染めた後の難物の発生率など比べものになりません。」
「品質の管理は、それほど厳格にしているものですか。」
「ええ、先日も日本蚕品のシンポジウムがありまして・・・。」
 バックからそのシンポジウムのパンフレットを取り出して見せてくれた。日本蚕品種に関するそのシンポジウムでは日本蚕品種の歴史から商品の試験結果まで触れられていた。産地別の絹糸の繭種、蚕品種、糸種、強度など事細かに資料が載っている。
「私も会社に帰ったらこのシンポジウムの録音テープを聞かなくちゃならないんです。三時間もありますから聞くのがちょっと・・・。」
 そして最後にその出張員が言うことには、
「こういったシンポジウムは良く行なわれるのですが、出席するのは産地の人や生糸の業者、そして学者ばかりなんです。」
「問屋さんとか小売屋さんは?。」
「いいえ、全然いませんよ。」
 学術的なシンポジウムに出席する小売屋がいないのは当たり前かも知れない。しかし、蚕糸業者はこれほどまでにして品質を守ろうとしているのである。蚕糸業者のみならず、心有る染屋さんや機屋さんの中には良い作品を創ろうとしている人達も沢山いるはずである。しかし、彼らの作った糸が染物、織物となって製品として問屋小売屋から消費者の手に渡るとき、商品はないがしろにされ、売り方ばかりが工夫されていると思うのは私だけだろうか。小売屋とて商品を仕入れる時には真剣である。価格と商品を見比べながら商談をする姿は問屋へ行けば良く見かける。それでも今の問屋、小売屋の関心はほとんどが売り方ばかりに行っているように思える。
 多くの先達が築いてきた『呉服業界』という金字塔は、このままでは『呉服』の二文字が次第にかすれて他の文字にとって代わられるのではないだろうか。