続きもの春秋2
  汚れない、シワにならない?

 日頃、店頭でお客様に接し、相談に応じながらきものを勧めるのが私の生業である。お客様には最高の物を勧めたいと思っている。最高のもの、というのは高価なきものや高額品と言う事ではなくて、お客様の希望にかなう最高の物と言う意味である。お客様の予算の範囲内で、その人に一番似合うきもの、そして日本の伝統に即したきものを勧め、満足して戴いた時には商売冥利につきるのである。
 しかし、どうもお客様の手応えがおかしく感じられる事がある。例えば次のようである。
「夏の普段着が欲しいのですが、何か良いものありませんか。」
「絽の小紋ですか。」
「いいえ、もっと気軽に着れる、本当の普段着が欲しいのですが。」
「はい、それでは小千谷はいかがですか。着ては一番涼しいですよ。紗の八寸帯を締められれば、街 着になりますし、汗をかいても洗濯も容易ですから。値段もお安いですし。」
「これは何ですか。」
「素材ですか、麻です。小千谷縮みです。」
「麻ですか。麻はシワになるからねー・・・。」
お客様は、色も柄も気に入ったらしいけれども、シワになるのが気になるらしい。
「それでは、絹紅梅はいかがですか。」
紅梅は高級ゆかたの一種で、格子状に太い糸を織り込んだ生地に型染めした染物である。絹紅梅と綿紅梅があり、格子状の太い糸に絹を使ったものが絹紅梅、綿をつかったものが綿紅梅である。
「これはステキですね。何と言うのですか。」
「絹紅梅です。軽くて、高級感もあり、お客様にぴったりですよ。」
「 これは洗えますか。」
「いいえ、絹紅梅は絹糸が入っていますから、水洗いはできません。綿紅梅だったら洗濯はできますが。」
お客様は、絹紅梅と綿紅梅を手に取り比べ、絹紅梅の方がはるかに軽くて柄も気に入ったようだったが、
「やっぱり、こっちにします。」
と、綿紅梅を注文して帰られた。
 又、次の様なことも良くある。
「この紬にどんな帯を合わせたら良いでしょう。」
「そうですね、色の薄い染帯が似合うと思いますよ。」
と、何本かの染帯を広げて見せた。そして最後に白い染帯を広げ、
「この白い帯なんかはぴったりですよ。」
「あら、ステキ!これならぴったりですね。この中で、これが一番良いみたい。」
「はい、きものも引き立ちますし、帯もはっきりして良いですよ。」
「うーん、柄も色も気に入ったけれども、白い帯は汚れるから・・・。やっぱり、こちらの帯にします。」
と、気に入った白い帯はやめて、エンジの帯を選んだ。
 お客様が、綿紅梅を選ぼうと、エンジの染帯を選ぼうとも、お客様の好みで選ぶことなのでそれで良いと思う。本人が気に入って自分で選ばなければ、せっかくのきものも箪笥の底にしまいこんだまま、という事にもなりかねないので、私はできるだけ本人の好みを優先したいと思う。お客様が選ぶきものや帯がまるでトンチンカンの組み合わせであったり、着るべき場所にそぐわない場合は、そのように助言するけれども、基本的には自分で選ぶのが一番良い。
 綿紅梅やエンジの帯を自分で選ぶのはいっこうに差し支えないのだが、私にはちょっと引っかかる事がある。
 綿紅梅を選んだ理由はと言うと
「麻はシワになるから」
「絹紅梅は洗濯が大変だから」
である。エンジの帯を選んだ理由は、
「白い帯は汚れが目立つから」
である。どちらも、もっともな理由のようだけれども、ちょっとおかしいようにも思う。
 「シワ」「洗濯」「汚れ」、いずれも問題はメンテナンスである。
 麻は天然素材で、絹や綿よりもずっと昔から衣服の素材として使われてきた。平安や鎌倉時代はほとんどが麻が使われていたとも言う。又、夏の衣料として使われてきた。実際に麻のきものは暑い夏には持ってこいである。麻のきものを着て、団扇で扇げば風が体中を吹き抜ける。そして、適度なシャリ感が清涼感をくすぐってくれるのである。そして、いくらシワがよっても霧吹きをかけ延ばせば、きれいに元通りに延びてしまう。シワに成りやすい事を理由に麻の本当の良さを捨て去るのは惜しいように思える。 
 絹紅梅の軽さと高級感に綿紅梅は及ばない。綿紅梅は高級ゆかたの名に相応しくゆかたの延長と云う感じがするけれども、絹紅梅は小紋のちょっと手前、という感じがする。同じようなきものだけれども、絹紅梅には絹紅梅の、綿紅梅には綿紅梅の良さが有り、「洗濯が大変だから」と絹紅梅をあきらめるのは早計である。
 白い帯が汚れるからと敬遠するのも、私には奇異に感じられる。
 シワ、洗濯、汚れ、いずれもやっかいである。しかし、本当のおしゃれは少なからず「やっかい」が伴うことも事実である。
 シワになり易いきものをシワにならないように、汚れ易いきものを汚れないように着こなす姿は、実に日本的な奥ゆかしさを感じさせてくれる。Gパンをはいて水溜りをまたいで歩く若い人でも、きものを着て、水溜りを避けて通る姿は色っぽく見えるものである。汚れないきものを着て水溜りをまたぐ姿はみられたものではない。
  麻の素材の良さは、麻でしか味わえない。絹紅梅やその他のきものも、それぞれにメンテナンス上の欠点はあるかもしれないけれども、それぞれにオシャレの味があるのである。白いきものや帯は他の色のきものや帯に取って変わる事はできない。本当のオシャレを考える者にとって、欠点は欠点ではなくなるのである。
 洋服でも同じような事が有る。麻のスーツを勧めると、多くの人が、「麻はシワになるから」と敬遠してしまう。しかし、シワになりやすい麻のスーツをスマートに着こなしている人は実におしゃれだと思う。手を触れれば汚れてしまいそうな真っ白なきものや洋服を着こなしている人もおしゃれである。きものを良く着る人の中には洗濯が大変だからと始終化繊のきものを着ている人がいるけれども、決しておしゃれだとは思えない。おしゃれとメンテナンス、どちらが先行すべきなのだろう。
 洋服の専門雑誌に次のような記事が出ていた。
 パリのデザイナーが、プレタのスーツを発表した時の事である。発表されたスーツを見て、日本の記者が質問した。
「そのスーツは両手を挙げると、とても苦しそうですが。」
するとデザイナーが、こう答えたと云う。
「日本ではスーツを着てスポーツでもするのですか。」
言い得て妙である。日本では通勤時に電車の中で吊革に手を延ばすことが多いのかも知れないが、美しいシルエットを出そうとするスーツは両手を挙げてバンザイする姿など想定されてはいない。その日本の記者は実に日本人らしい質問をしたものだと思う。
 日本人は何故か欠点を粗探ししてしまう。「シワになり易い」「洗濯が大変だ」「汚れ易い」「動き難い」等々。それらの苦情に全て応えるとしたら、ナイロンのジャージーでも着るほか無いのだろう。
・・・・・(「ナイロンは静電気が起きる」と又苦情が来るかな?)