続続きもの春秋 1.
小売屋のひとりごと
 小売店(専門店)は呉服に限らず、どの店でも豊富な品揃えを旨としている。
 少々回転の悪い商品 でも小売店は消費者の需要に応えるべく多種多様な商品を店頭に並べている。
  しかし、いくら豊富な 品揃えとは言ってもその業種のありとあらゆる商品を置く訳にはいかない。小さな小売店では尚更の こと、店に並べられる商品の数は限られている。しかし、専門店である以上、店にはその店の顔とい うものがあり、その店の顔に適した商品の範囲内で消費者の需要に応えるだけの品揃えは可能であり、 それが専門店の役割とも言える専門店の顔にはいろいろな側面がある。
  一つには価格である。どの程度の価格の商品を扱うか、そ の篩にかければ専門店として扱うべき商品はおのずから淘汰される。洋服で言えば20万円もするス ーツと2万円たらずのスーツを小さな専門店で品揃えすることはまずない。客層に合わせてその店で 扱う商品の価格帯は決められる。
  また価格以外でも、その店の商品を特徴づける店の特色がある。ブ ティックでは年代(ミセス、ミッシー、キャリア、ヤング等と呼ばれる)、ターゲット(カジュアル、 フォーマル、エレガント、トラッド等々)など縦横網の目のような範疇の中からその店の扱うべき商 品を選んでいる。
  そういう意味では専門店である範疇内での豊富な品揃えと言うのはそう難しいこと ではない。
  私の店でも私の店に合う品揃えを十分にしているつもりだし、お客様に御満足頂いている と自負している。私の店では『本物の呉服のことならなんでも』という方針で、ネルやセルのウール から既成のコート、上っ張り、下駄、草履まで扱っている。近所のデパートで目当ての商品が手に入 らなかった消費者が、 「結城屋さんならあるかもしれません」 とデパートの店員に言われてやってくる事もしばしばである 。
「いまでもこういう商品を扱っている店があるんですね。」
と言って買って帰るお客様を見ると、私は自分の店の品揃えに自己満足してしまうのである。
  ただし、 私の店では(私が思う)きものの常識に合わないものは一切置いていない。上っ張りと巻スカートを 合わせたような二部式のきものと称する物、外国人や洋服デザイナーが創ったきものなどは扱ってい ない。
  小売店の自己満足と言われるかも知れないが、自分のきものに対する概念に違うものは、問屋 さんにいくら「売れているのだから」、といわれても扱っていない。何故売れる商品を置かないのかと 聞かれることもあるが、それはひとえに専門店であるが故である。
 前述したように、専門店が全ての品揃えをするのは難しい。どちらにしても専門店としては、ある 範疇に商品を絞り込まざるを得ない。これは売れるからと次々に商品を並べ始めたら在庫は莫大な物 になり、商売がたち行かなくなるのは目に見えている。しかし、それにもまして頑なに商品を絞るの は自分の納得した商品を売りたいが為である。毒々しい色の振袖など若いかわいい女性には着てほし くない(と私は思っている)という思いが私の店の振袖を皆昔ながらの古典的な柄にしてしまうので ある。
 商品を絞り込むとは言っても古典的なきものを好むお客様にとって私の店の品揃えは豊富である。
「結城屋さんに来れば、他にはない気に入った柄があるから。」
と言って来てくれる客は一人や二人ではない。私の店のお客様にとっては十分に品揃えをしているか らこそ私の店は専門店たりうると思うのである。  しかし、最近そのような意味で、いくら品揃えを充実させても未だ消費者の要望に応えられなくな ってきた。当社の好みが消費者に合わなくなってきたのではなく、消費者の好みがとても細く具体的 になってきたからである。
 我々呉服屋は、お客様の好みに合わせて商品を勧め、気に入ったきものを仕立て納めている。暖色 の好きなお客様には暖色を勧め、寒色の好きなお客様には寒色のきものを勧める。お客様の要望を良 く聞きながら、きものについての知識をアドバイスしながら目の前の商品を勧めていく。
 しかし、最近は次のようなお客様が増えている。  
「ゆかたはありますか。」  
「はい、こちらにいろいろと、・・・。」  
「アヤメの柄が欲しいんですが。」  
「アヤメの柄ですか。ございますよ。」
 そのお客様の年頃に合いそうなアヤメの柄のゆかたを広げてみせた。  
「う〜ん、もうちょっと柄が大きくてこの辺にこのくらいの花弁が附いている柄が欲しいんです。」
  彼女の好みは実に具体的である。  
「今あるのはこれぐらいですね。あとは別染めするしかありませんね。」
 結局そのお客様は他を捜しに行った。
 また、訪問着を買いに来る人の中でも具体的な柄の指定や色の指定をしてくるお客様が多くなった。
  小売店で自分が思っているような柄がたまたま出会うのは何 万分の一の確立だろうと思う。もしも、その柄が自分で想像したものならばまずないと思った方が早 い。また、どこかでその柄を見たのであれば(雑誌や友人が着ていた等)、探せばどこかにあるのかも 知れないが、染屋や機屋を特定しない限り探すのは困難である。
  我々専門店はお客様が他の人と同じ 柄のきものや帯に出会わないようにと気を使っている。手描きの染物や手機の帯はその作られる数か ら言ってその商品が全国にばらまかれれば、ほぼ一品物と言えるけれども、型染のきものや機械機の 帯は供給が可能でも決して二本とは仕入れないし、仕入先の関係で同じ町の呉服屋に納入されていな いかを気にしながら仕入れるのが常である。
 余りにも具体的な柄を求めてやってくる御客様にはほとんどその要望に満足いただけない。『いつ、 どこそこで見たような柄』が頭にある御客様の目にはもう他の柄は目に入らない。自分のイメージと 寸分違わぬ柄でなければ満足頂けないのである。果たしてそのような柄のきものが見つかるのかどう か疑わしいが、他の柄では受け付けない。
 また次のような事も度々ある。  
「襦袢はありますか?。」  
「はい、ございます。御客様がお召しになられるのですね。普通の襦袢ですか、振袖ですか。」  
「振袖です。黄土色のボカシの入ったものはありますか。」  
「黄土色ですか、難しいですね。これは近い色ですがどうでしょう。」
 その御客様も自分が思っている色と全く同じでなければ気に入らないらしい。そして、さらに聞く と、襦袢の袖だけが欲しいという。  
「襦袢の袖だけですか。袖だけを売っている店はまず無いと思いますが。」
 その御客様は振袖を着付ける所に行った時に、その着付師か美容師に、  
「この振袖には、その振袖の柄の中にある黄土色と同じ色のボカシの襦袢が合うので袖だけ買ってき なさい。」
と言われたそうである。
 思っている色と全く同じ色の襦袢を捜すのは難しい事、そして、似たような色ならば捜して取り寄 せることもできると話したが、やはり袖だけで良いという。結局他を捜すと行ってしまったが、振袖 の袖だけ、それも自分が思っている色とぴったり同じ物を売っている店があるのだろうかと思ったけ れども、その後どうなったのかは知らない。
 そのような御客様の要望は最近富に多い。既製のコートを買いに来た人の場合である。  
「既製のコートをあちこち捜したのですがどこもなかったんですよ。有るところにはあるんですね。」
  私の店では既製のコートも相当数品揃えしている。その御客様は好きな柄を選んだ上で、  
「このコート、裄はいくらですか。」  
「はい男並、鯨で1尺7寸5分です。」  
「1尺7寸5分ですか。私は1尺6寸8分なので着物と合わないわ。」  
「既製のコートですと、万人向けにできておりますので、裄はだいたい1尺7寸5分から8分になっ ております。裄が短い分には袖が出ることはありませんから大丈夫ですよ。」  
「いや裄が合わないと恥ずかしくて着れないわ。」  
「それでは誂えてはいかがですか。御客様の寸法に合わせて。」  
「誂えは高くって。」
 そう言ってそのお客様は買わずに帰った。既製のコートは靴のサイズのように決め細く寸法を用意 することはできない。既製のコートが誂えの数分の一の値段で買える所以はそのへんにあるのだが、 御客様には理解して頂けないらしい。
 私の店では、以上のような御客様に十分に満足していただける品揃えをしていないのは事実である。
「アヤメの柄の浴衣を数十種類」「訪問着を数百枚」「切り売りの襦袢地を数十反」「ありとあらゆる寸 法の既製品を数十種類(柄との組み合わせで数千枚)」の在庫を持っていればあらゆる御客様の要望に 応えられるのかも知れない。しかし、それは無理だと思うのは私の店の努力が足りないからだろうか。
 一昔前まではこのような要望は無かったように思う。店頭で見せられた柄の中から好みのきものを 選び、好みに合わなければ他の店で捜す。しかし、『この柄でなければ』という要望はまず無かった。 襦袢の袖だけが欲しければ色羽二重やその他代用の品で我慢するか、襦袢一反をつぶして袖にする。 既製品は万人向きにできていると納得して選ぶか、少々高くとも別誂えをする、と言ったように。
 しかし、昨今の御客様の中には自分が思う品は全て手に入ると思っている人が多くなっている。こ のような背景には、規格化された現代の工業製品が影を落としているように思える。
 既製の洋服は規格品である。誰かが着ている洋服を見て同じ物が欲しければ、メーカーとブランド を特定して、そのブランドを扱っているブティックに行けば手に入れることができる。洋服は季節商 品なので、品切れになれば手に入らないが、必要であれば全国のどこかの店に在庫があるかどうかも 検索することができる。私のブティックでも全国で一着しか残っていないスーツをはるばる取り寄せ て御客様にお渡しすることもある。
 工業製品では尚更である。電気製品や自動車などの部品を取り寄せようと思えばどんな部品でもい 一日二日で手元に届く。全て品番で管理され、注文に応じて商品は消費者の手元に届けられるのであ る。しかし、きものの場合そうはいかない。
 私の従兄弟は文房具屋をやっている。店売りに力を入れているその店の品数といえば数え切れない。 ファイル一つとってもその種類は大きさ、縦横、穴数、色などに分けられ壁一面に並んでいる。ボー ルペンと言えば、メーカー、色、太さなど多種多様である。その店で扱う商品アイテムといえば数千 種、数万種に及ぶかもしれない。商売をしている私は、その品数と種類の多さに「さぞ店卸しが大変 だろう。」と余計な心配をするのだけれども、従兄弟の話によると完璧な品揃えをしようとすればまだ まだ足りないと言う。銀座にある大手の小売店では十万種類、そしてメーカー各社のカタログ上の品 物を全て集めるとすれば約30万種類に及ぶと言う。このような文房具屋ではもしも客の求めている 商品が店頭になくても取り寄せることができる。○○社の××番の□□といえば間違いなくその商品 は客の手元に届く。
 呉服の場合、商品は規格化されてはいないしコード番号もない。メーカーと言えば大小含めて数万 社にものぼるだろうから、メーカーを特定することさえ難しい。十社たらずの大手メーカーが市場の ほとんどを占めている文房具や自動車業界とは訳が違うのである。
 きものの付加価値としているのはその柄や色といったデザインであり、それは定量化、計数化でき ないものである。人間の目は20万色の色を見分けることができるというが、それをコード化するの は難しい。業界でも色見本帳が作られているが、それはランダムに色見本の生地を張り付けた物に任 意の番号を付けたものにしか過ぎない。見本帳が変われば番号は何の意味も無くなってしまう。
 色見本を計数化して系列的に整理する試みはなされている。色の彩度、明度を計数化して色に番号 を付け色のサンプルを作っている会社がある。そのような専門的な会社で出している色見本帳でもサ ンプル数はせいぜい6千色。当社で購入した見本帳は2000色である。20万色にはとても及ばない。 色と言えば次のような事があった。
 お得意様より電話があり、欲しい訪問着があるという。伺ってみると、きものの雑誌に掲載された 訪問着だった。その雑誌には作家名もそれを取り扱う商社名も書いてある。お客様は是非取り寄せて ほしいという。その商社は私の店と取引は無かったが大手の商社で何度か私の店に来たこともある。 早速その商社に電話をして商品を送ってもらうように言った。
  数日後返事があり、その商品は一枚だ け残っているので地区の担当者が持参するという。果たしてお客様の欲する訪問着が手に入りお目に 掛けることができた。しかし、お客様には気に入っては貰えなかった。
  その訪問着の色は薄いブルー と言えば分かりやすいが、微妙な色である。雑誌に載っていた写真の色と現物とは色が違っていた。 カラー写真の色は真色を出すのは難しい。商品写真家がいくら気を付けて撮った写真でも本物の色と は微妙に色が変わってしまう。お客様が言うように確かに写真の色とは違っていた。どちらが好きか、どちらが良い色なのかは主観の問題で、そのお客様は写真の色の訪問着が欲しかったというのである。 結局商談は成立せず商品は商社に返すこととなった。きものをカタログで販売することの難しさが分 かっていただけると思う。
 技術が発達するにつれて工業製品は多品種少量生産が可能となり全ての製品がコード化され消費者 の欲求に応えられるようになって来ている。そんな中でひとり呉服業界が取り残され消費者の欲求に 応えられなくなってしまうのだろう。しかし、それは呉服業界が遅れている証左でも何でもない。機 械には真似のできない大切なものを頑なに守っているのだ、というのは小売屋のひとりごとにしか過 ぎないのだろうか。