続続きもの春秋  
  4.ポリエステルのきもの(平成14年2月)

 きものの素材には綿や麻、絹があるが、ポリエステルをはじめとする化学繊維のきものも多くなってきている。
 私の店では化学繊維のきものは、ほとんど扱ってはいないが、中には化繊のきものを求めてやつてくるお客様もいる。化繊のきものは汚れやすい、洗濯しにくい、高価であるというきもののデメリットをみごとに払拭するものであり、その意味ではきものを着る人にとって魅力的な素材と言える。しかし、化繊のきものを着る人の中には、どこまで(どんな格式の場で)着ることができるか頭を痛めている人も多い。 「ポリエステルの色無地は結婚式で着ることができるのか。」というような話題がインターネット上で取り上げられ、諸説紛々の議論が戦わせられていた。改めて化繊のきものについて考えてみたい。
 化繊と一口に言っても、現在きものの素材としてはポリエステル、レーヨン、キュプラ、アセテートが使われている。そして、ゆかたから小紋、付下、色無地、留袖に至るまであらゆるきものが創られている。しかし、着る者にとっては果たして安価な化繊のきものを公の場で着て良いものかどうか頭を悩ませるのだろう。  きものの格とは何だろうか。きものを着る生活空間では、その場に応じてきものを代える必要がある。結婚式や卒業式に着るきものと普段着とは違いますし、普段着の中でもその場に応じた格があります。場に応じて衣装を代えるというのは日本のきもののみならず理性ある社会ではどこでも見られることです。
 格の高さと言うのは高価を意味するものではなく、あくまでも場に応じた格ということです。 「結城紬は高価でも普段着。」 という言葉が象徴するように式服より高価な普段着はいくらでもある。
 さて、そのきものの格は何で決まるかと言うと、紋の有無、絵羽か否か、先染めか後染めかなど沢山の要素が入り混じって決められている。その格付けの大きな要素の一つに素材がある。綿、麻、紬、御召し、縮緬、羽二重など生地の種類がきものの格を決定する大きな要因となる。紬は式服にはなりませんし、同じ縮緬でもシボの高い鬼縮緬は一越縮緬よりも格が下とされている。
 化学繊維についてはどうでしょうか。化学繊維は和服の素材として式服となり得るのか、というのが論点の一つであるように思えます。
 化学繊維は紬より格が上か、縮緬と同格か、などと和服における化学繊維の立場を議論する向きもあるようだけれども、ポリエステルやレーヨンなどの化学繊維は未だにきものの素材としては確固たる地位を確立してはいないようです。
「ポリエステルは正絹の上か下か。」(価格ではなくきものの格として)
という議論は成り立ちません。化学繊維は今のところ正絹の代用品と見なされています。
 人絹(人造絹糸)という言葉が指し示すように、化学繊維の成り立ちは絹の模造品を創ることから始まったと言えます。高価な絹を人工的に創るというのは、その昔錬金術師達が卑金属を貴金属に変えようとしたのに似ている。しかし、人絹を造った人は錬金術師が金そのものを創ろうとしたのとは違い、初めから絹そのものではなく絹の模造品を創ろうとしたのです。いわば代用品として限りなく絹に近い化学繊維の研究は今も続けられ、異型断面繊維など、より絹の風合いに近い化学繊維が創られています。
 ウールというきものの素材があります。ウールは毛織物のことで明治時代に日本に入ってきました。明治時代には、メリンスは唐チリメンと呼ばれ襦袢や裏物に使われ、珍重されていました。戦後、きものの素材として開発されしょうざんウールなどが爆発的に流行しました。当時のことは良く分からないけれども、戦後の貧しい時代にウールは紬に代わる安価な代用品として開発されたのだろう。しかし、その後ウールは代用品の域を出て、今ではれっきとしたきものの素材としての地位を確立しています。ネル、セル、メリンス、ウール着尺は紬や縮緬とは全く異なるきものの素材として認められています。 しかし、化学繊維は縮緬、羽二重、綸子、紬など絹織物を忠実に再現しようとする努力によって生み出されています。化学繊維開発の目的はきものの素材の新分野を創ることではなく、限りなく絹に近い代用品を創ることにあるように思えます。 「代用品」という言葉は、化学繊維を否定するものではなく、あくまでも「代わりに用いられる品」という意味です。従って「ポリエステルの一つ紋の無地(以下ポリ無地)は式服になるか」という議論は
「紬は式服になるか」
「名古屋帯は式服に締められるか」
という議論とは全く性質の違うものと捉えなければなりません。曲解を恐れずに言えば、ポリ無地は正絹の紋付と格の上では全く同格といっても差し支えないと思えます。しかし、ポリ無地は正絹同様どこでも着られると結論付けることはできません。
 きものと同じ伝統工芸品に漆器があります。漆器は英語でJapanと呼ばれ、日本を代表する工芸品です。高級料亭では競い合うように高級漆器が供せられています。その器の世界でも漆器の代用品があります。ベークライトやポリプロピレンなど、こちらは漆器の「塗り物」に対して「練り物」と呼ばれています。もしも、料亭の主人がメンテナンスの大変な「塗り物」をやめて扱い易い「練り物」を使うと言い出したらどうなるのでしょうか。一番先に逃げ出すのは板前さんでしょう。腕に自信のある板前であれば自分の創る料理と調和の取れない器が使われたら包丁を放り出すでしょう。次に逃げ出すのはその店の上客でしょう。見た目は同じようでも、まるでその料亭に似合わない器は見る人が見ればそぐわないと感じるでしょうから。 染色の世界でも、友禅作家(作家でなくとも一流の染職人)にポリエステルの一越縮緬地に手描き友禅を頼んだとしたら、板前が包丁を放り出すように筆を放り出すでしょう。幾ら科学が発達しても科学と人倫の整合性の限界がそこにあるように思えます。 代用品というのはそういう側面があることを覚えておいて欲しいと思います。
 きものを着るということは、他人とのコミュニケーションの一つであり、その場の雰囲気を良くする物でなければなりません。他人に不快感を与えたり、雰囲気をぶちこわしたりすることがあってはなりません。私はその事がきものを着る時の唯一のルールだと思っています。ポリ無地を着ることがその場に合っているのか(格の問題ではなく)を考えればどんな場に化繊のきものを着れるのか、結論がでるように思えます。  次のような例えはいかがでしょうか。
 きものを一枚も持っていない人がいるとしましょう。その人がある会に色無地紋付を着ていかなければならなくなりました。しかし、彼女は正絹のきものなど買える経済状態ではありません。その会に出席する人皆がそのことを十分に承知しています。それでも彼女は何とか工面してポリの紋付を買い、その会に出席しました。他の人は皆正絹の紋付を着ています。その場で誰が彼女のポリ無地を非難したり陰口を叩いたりするでしょうか。皆「よくぞきものを着て来てくれた」と喜んでくれるはずです。(私もそうありたいと思います。)彼女のポリ紋付は誰にも不快感を与えません。それどころかその会の華となるかもしれません。
 反対に次のような例はいかがでしょう。
 正絹の色無地など何枚でも持っているようなお茶の先生。(これはフィクションです)その先生が弟子の結婚式の披露宴に主賓として招かれました。もちろん主賓のテーブルに座り、挨拶もします。立派な訪問着を着ていくべきところでしょうが、その先生はポリ無地で出席しました。さて、その披露宴の雰囲気はどうなるでしょう?。
 化繊のきものがどんな場に着られるかというのは、きものの格の問題ではなく、場の雰囲気に即して着こなせるかどうかにあるように思えます。
 着るきものを選ぶ場合、一番に考えなくてはならないのは、自分のきものが場の雰囲気を壊すことにはならないのか、他人に不快感を与えないのかということです。このことは決して成文化できることではありません。化繊のきものを「着て良い」「着て悪い」の結論を出すことはかえってきものを着るという意味においてマイナスであると思えます。
「ポリ無地は正絹の無地同様、同格にどこででも着て良い」
と結論づけたとすれば、そこかしこにポリ無地が氾濫し、正絹の無地は駆逐されてしまうかもしれません。それは絹という素材を否定し、日本人が大切に培ってきた文化を否定することにもなりかねません。
 逆に、
「化学繊維のきものを着てはならない」
と結論付ければ、きものは高価で扱い難いとばかりにきものを敬遠する人が増えることでしょう。
 化学繊維のきものは着る者にとって重宝であることは言うまでもありません。安価で気軽に着れるという側面を考えれば、きもの人口を増やしてくれる救世主かもしれません。
 化学繊維のきものを何時、どのように着るかと言うことは、今後きもの文化がどのような方向へ行くのか、その鍵を握っているとも言えるかも知れない。 1