全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅲ-ⅰ 常識・しきたりとは何か(その3)
例を挙げればきりがないのでここまでにするが、着物のTPOは、いわばコロコロ変ってきたといえる。それは数十年単位ではあるが、『古くから決まって』いるものとは言えない。
時代と共変遷してきた、ということは悪いことではない。しかし、それは誰が決めたのだろうかという疑問は残るのではないだろうか。
時間軸に沿ってしきたりは変っている事実と共に、もう一つ空間の広がりによるしきたりの違いと言うものも考えなければならない。何かアインシュタインの論文のようになってきたが、そんな難しいことではない。地方により地域よりしきたりは異なるということである。
日本国内を見渡せば、地方によってしきたりは異なる。着物のTPOに限らずあらゆる儀式を考えていただければ分かると思う。結婚式、葬式など地方によって異なることは経験していることだと思う。
昔のように隣近所から嫁をもらう時代とは異なり、東北の人が四国や九州の人と結婚することも珍しいことではない。その地方地方で大切に守ってきたしきたりは違って当たり前かもしれない。その地方の気候、風土、歴史があるのだから。
さて、着物に限ってみても様々なしきたりが存する。
きもの春秋でも再三書いてきたけれども、山形のある地方では葬式の時に、孫娘は振袖で参列する。巷のTPOでは考えられないことかもしれない。
何故葬式で振袖を着るのか。祖父や祖母を孫娘はできるだけ美しい姿で送ることが故人への供養となるのだろうと私は考えていた。しかし、ある方の話によると、葬式で独身女性が振袖を着るのは「この家にはこのようなきれいな娘が居ます」と言うアピールの為だったという。コミュニケーションの少ない昔は、葬式は娘を披露する場でもあり、孫娘の行く末を心配する祖父母への供養でもあったという。
そのようなしきたりは筋が通っているし、聞かされれば誰しもうなずけることと思う。
しかし、このようなしきたりは山形でも珍しく、小さな地域に点在している。山形と言う狭い地域の中でも様々なしきたりが存在するのである。まして、日本全国では思いもよらないしきたりがあっても不思議でない。
地方や地域と言うコミュニケーションの単位ごとにしきたりは存在すると言えるが、もっと小さな家という単位でもそれぞれのしきたりは存在する。
「結婚式の時には黒留袖を誰まで着るのか」と言う話を聞く。
黒留袖は既婚の親族女性の正装だけれども、それでは誰が着るのか。母親は当然、祖母、兄弟も着る。それでは叔母は、となると意見が分かれるようだ。最近は母親しか着ない場合もある。そのルールはその家その家で決まっているように思える。
山形の商家で身内の結婚式では色無地しか着ない家がある。質素を旨としているのだろう。それはその家に長く伝わる尊重すべきしきたりである。
きもののTPOは時と共に、また地域により違っていると解釈するのが妥当ではないだろうか。
つづく