全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅲ-ⅰ 常識・しきたりとは何か(その5)
古来日本人は、着物と季節をどのように受けとめてきたのだろうか。
古来とは言っても、縄文時代や奈良時代は言うに及ばず、平安時代や室町時代も現代の着物とはかけ離れていただろうから、現代の着物の原型と言えば江戸時代であろう。その意味で、江戸時代の人達がどのように季節を感じていたのかが現代のきもののしきたりを知る上では重要だろう。
江戸の直前、戦国時代に日本に渡って来たイエズス会士ロドリゲス・ツヅがその著書「日本教会史」に、当時の日本の風習を事細かに書いている。
私は日本の文化を知る上で、外国人の書き残した資料はとても重要だと思っている。彼らは始めて見聞きする日本の文化風習を驚きの目を持って事細かに観察し、客観的な目で見たことを書いている。
同じイエズス会士であるフランシスコ・ザビエルやルイス・フロイス。シーボルト、明治時代のイギリスの旅行家イザベラバードが、またイギリスの写真家ハーバート・ポンティングが見事なまでに当時の日本の様子を我々に書き残してくれている。
中には、現代日本人が忘れ去っていること、己の文化を誤解していることなどを解き明かしてくれている。
さて、話はそれてしまったが、ロドリゲス・ツヅは日本人の衣更えについて次のように書いている。
『日本人およびシナ人の間における主な訪問は、一年の四季、すなわち春夏秋冬に、それぞれの時季の一定の変わり目において行われ、季節と習慣に従い、その季節にあった別の衣類に着更える。それは、それぞれの季節における自然の気候に応じて、単衣を多くしたり少なくしたりするのである。
身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合は、常にその季節に用いられる衣類を着てゆくのが、たとえ他の衣類の上に着るにしても、よい身だしなみであり、礼儀にかなうとされる。これを下に着ては使い途が誤っている。
夏季、それは日本人の間では、六月(陽暦)にあたる第五の月(陰暦)の五日(端午)に始まって、第八の月の最後の日、すなわち九月までの四ヶ月間であるが、その間は単衣すなわち帷子catambiraを着る。秋の初めに当る第九の月の最初の日から、同じ月の八日まで、袷avaxeと呼ばれる裏地をつけただけの衣類を着る。そして、第九の月の九日(重陽)から、次の新年の第三の月の最後の日まで、すなわち十月から三月までの、秋の一部と冬全部と二月の五日(立春)に始まる春の一部とを含めた間は、詰め物をした衣類を用いる。第四の月の一日から、六月にあたる第五の月の五日 - この日に単衣を着始める - までは再び袷avaxeすなわち裏地をつけただけの衣類を着る。そしてこれらの儀式はきわめて正確に守られる。』
(ジョアン・ロドリゲス著 日本教会史 岩波書店より)
この文章からは次の事が読み取れる。
① 日本人は季節によって衣装を正確に更える。
② 着物の種類は三つあり、単衣、袷、詰め物をした衣類(綿入)。
これらは十分にうなづける。①は現代のきもののしきたり(と言われるもの)に通じている。②は現代とは違い、薄物がなく代わりに詰め物をした衣類が入る。現代の薄物が単衣にあたり、単衣は袷、袷は詰め物をした衣類にあたる。
しかし、私は冒頭の文章に注目している。
『身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合は、常にその季節に用いられる衣類を着てゆくのが、たとえ他の衣類の上に着るにしても、よい身だしなみであり、礼儀にかなうとされる。これを下に着ては使い途が誤っている。』とはどういう意味だろうか。
ロドリゲス・ツヅは、当時の身だしなみとして、その季節の衣類を他の季節の衣類の上に着る場合があると言っている。
つまり、単衣の時季に袷の着物の上に単衣の羽織を羽織る、または袷の時季に単衣の着物の上に袷の羽織を羽織る場合があったと言うことだろう。
私は次のように解釈する。
日本では暦に従って正確に着る物を変える。しかし、暑い日もあり寒い日もある。そうした場合、公式の場(身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合)では上に着る物だけをその季節に用いられる着物を着れば礼儀に反しない。そして、その反対は礼儀に反する。
当時の人間は、季節の衣類を厳格に守る一方、暑いときには涼しく、寒い日には暖かく着る術を身に付けていたのではないだろうか。そしてそれは公式の場に限っていたのではないだろうか。
思うに暑い日に暑い衣類を着、寒い日に寒々とした衣類を着る人達が世界中にいるだろうか。昨今の着物姿を見るに、袷の時季だからといって汗だくになっているご婦人はさぞ着物を着ることに嫌悪感を抱くだろうと心配になるのである。
つづく