全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅲ-ⅲ 本当のきもののしきたりとは(その5)
「本当のきもののしきたりとは」と言う表題で話を進めているが、「きもののしきたりは○○である。」という言葉が出てこないことに歯がゆさを覚える人も多いと思う。しかし、きもののしきたり、常識というものは一言で言い表せるような成文化できないものと私は思っている。
次に書くのは、私の親バカ話である。
私の息子が小さい頃、家族で焼肉を食べに行ったことがあった。私には息子が二人いる。長男は中学生、次男は小学生の頃だったと思う。
煙の充満するような焼肉屋でカルビやロースを食べて勘定をしていた時のことである。焼肉屋の女将さんが息子達に缶ジュースをくれた。サービスのつもりだったのだろう。冬の寒い時期で、息子達はコートを着て手袋を付けていた。
缶ジュースが差し出された次男は、手袋をはずしてジュースをもらった。それを見ていた主人が、「おっ、手袋はずしたね。」と言った。そして、「今時、手袋をはずしてもらう子は余りいないよ。」とほめてくれた。
手袋をはずして缶ジュースを受け取った息子を私は少し誇らしく思ったが、さて、息子は何故手袋を脱いで缶ジュースをもらったのだろう。
「人から物をもらう時には手袋を脱いで受け取りなさい。」などとは私も女房も言い聞かせたことはない。それでも息子は礼儀にかなった振る舞いをしたのである。
思うに日本の礼儀作法(他の国の礼儀作法も同じだけれども)は一本の筋が通っている。礼儀作法の一つ一つはまるで違ったもののように思えるけれども、実は皆繋がっている。
私の息子は親のすることを見ている。私が格別礼儀正しいわけではないけれども、少なくとも商売をしている。私をはじめ店の人間がお客様にどのように振舞っているかを息子は見ている。
いらっしゃったお客様に「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言って頭を下げる。お客様との商品の受け渡し、お金の受け渡し、またお茶の出し方など様々な日本の作法を目で見て焼きついていただろう。
「いらっしゃいませ」と言うことやお金の受け渡しは、手袋をはずすことと直接は関係がないようだけれども、実は一本の筋で繋がっている。日本の礼儀作法を十分に知る者は、いままで出会ったことのない場であっても礼儀に即した振る舞いをするだろう。
それらの礼儀作法は成文化されたものではない。いや、その場その場に合わせて振舞う作法は、複雑すぎて成文化するなどとてもできないものだろう。
きもののしきたり作法もこれと同じである。結婚式では何故○○を着るのか。葬式ではなぜ××を着てはならないのか。など、それらには一本の筋が通っている。しかし、それを成文化しようとすれば無理が生じ、作法は作法でなくなってしまう。
きもののしきたり、作法は誰が決めたものでもないし、誰が決めるものでもない、長年築き挙げた日本の文化に絡みついた一筋が自ずと我々に提示してくれるものなのである。