全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅲ-ⅲ 本当のきもののしきたりとは(その6)
焼肉屋の主人に次男がほめられた後、我が家ではしばらくその話題が続いた。長男が次男をからかったせいもあるが、作法についての話題が食卓にのぼり、子供達も礼儀作法についていくらか関心を持ったようだった。
その中で私は子供達に次のようなことを言った。
「礼儀作法を知るのは大切だけれども、礼儀作法は他人にひけらかすものではなく、もしも他人が作法を知らないのをばかにしたりすれば、その人は一番礼儀作法を知らない人なんだよ。」
手袋をはずして缶ジュースを受け取った子供が、他の子が手袋のまま缶ジュースを受け取ったのを見て、「お前は礼儀知らずだな。」と言ったとすれば、その子は最も礼儀を知らない人間なのである。
礼儀作法は何のためにあるのか。それは、きもののしきたりと同じく、他人とのコミュニケーションを良くするためである。自分の礼儀作法をひけらかし、他人を卑下するものはそれに最も遠い人間といえる。
きもののしきたりに当てはめて考えてみよう。
きもののしきたりは日本の文化に絡みついた一筋の道である。日々着物を着て、着物に触れる生活をしていれば、自ずからきもののしきたりは身についてくるはずである。紬ばかり着ている人が、友禅の訪問着を見れば、誰に聞かなくてもそれは普段着ではないと思えるだろう。
日本人が日常きものを着なくなってしまったことがきもののしきたりを難解にしていることは否めない。今、きもののしきたりを経験で体得してゆくのは至難の技かもしれないが、きもののしきたりとはそういうものであることを覚えておかなくてはならない。
きもののしきたりは、複雑で感覚的なもので、早見表などでとても表されるものではない。その事を忘れ、自分が聞いたしきたりだけが本当のしきたりであると思い込むことに問題がある。
さらに、自分の思い込んだ偏狭なしきたりを是として、それに違う人に対して卑下するような態度はしきたり、作法、常識の論外といえる。まさに子供が手袋のまま缶ジュースを受け取ったのを見て「お前は礼儀知らずだなぁ」というようなものである。