明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅲ-ⅲ 本当のきもののしきたりとは(その8)

ゆうきくんの言いたい放題

きもののしきたりは日本のしきたりであり、日本の常識、文化にリンクしている。きもののしきたりが日本の常識を逸脱することはない。もし逸脱していたとするならば、それはきもののしきたりとは言えないだろう。

私は日本の文化が大好きである。そう思う日本人は多いだろう。そして、世界中の多くの人達は自分の国や民族の文化を誇りに思っているだろう。

日本の文化といっても一言で言い表すことはできない。その一つに謙譲の美徳というものがある。相手を立てて自分がへりくだるのが謙譲である。「愚息」「愚妻」いずれもおかしな言葉である。自分の息子を「愚かな息子」自分の妻を「愚かな妻」と呼ぶのはどうしてだろうか。これらは、自分の妻や息子を卑下する為ではなく、相手を持ち上げる為の言葉である。

日本人は常に相手を気遣い、相手と良好な関係を保とうとする。これが日本文化の原点である。それは、島国と言う狭い閉じた空間の中でより良く生きる為の知恵なのかもしれない。

謙譲とは相手に対して謙ることだけれども、その相手は謙った相手に対して居丈高になってはいけない。それは日本のしきたりに反する。

「これは私の愚息です。」という言葉に対して、「なるほどお宅の息子さんは馬鹿息子ですね。」などと言う人はいない。謙譲に対して謙譲で応えるのが日本の常識である。

この謙譲の受け答えは、ただ言葉の上だけでのやりとりのように思えるが、実は更に深い文化を日本人は創り出している。

山形で有名になった外国人タレントの講演で、その奥さんとの次のようなエピソードを話していた。

夫婦で出かけて帰りが遅くなり、奥さんに「遅くなったから○○でも食べて帰ろうか。」と言うと、奥さんは「う~ん。」と言って要領を得ない。「それじゃあ△△を食べて帰ろうか。」と言っても「う~・・・ん。」とはっきりしない。外で食べる気が無いのだろうと思って家に帰って適当に食事をすると、奥さんに怒られたという。「本当は○○を食べて帰りたかった。」と言う。

奥さんの「う~ん。」という言葉を単純に否定と捉えたのである。しかし、奥さんは、本当は自分が家に帰って食事を作らないといけないと言う思いもあり、遠慮もあって「う~ん。」と言う言葉になったのである。

その講演のオチは「日本語ってむずかしいですね。」だった。

日本人の言葉は単純であっても、その奥にあるのは複雑な日本の心のやり取りなのである。

きものの世界では「平服」という言葉がある。「平服でお出でください」というのは、「普段着で着てください。」の意味ではない。(『きもの春秋14.平服について』参照)日本の会話は、その言葉の裏を読まなければならないのである。

私はお茶を習ってはいないが、若い頃、経験にと友人に誘われてお茶の稽古を体験したことがある。謝礼を払うべきかどうか分からなかったので師匠に聞くと、「どうぞお気になさらないで。」という返答だった。

言葉通りに受け取れば「謝礼はいりませんよ。」ということになる。後で友人に聞くと、「気を使わないでください。」と言うのは、何もしなくて良いという意味ではない。「もしも、気を使ってくださるのなら、こちらでも相応の気を使わせていただきます。」の意だという。

その場で私が何もしなければ(気を使わなければ)、その師匠と私の関係はそれまでである。もしも、私が気を使って対応すれば・・・・・その結果が得られるのである。

そういった習慣のない外国人から見れば、まだるっこしい、あるいは日本の不思議な習慣・常識に見えるかもしれない。しかし、それを実践することは人と人のつながりを更に強いものにするのである。

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