全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅳ ⅴ 日本の染織の将来(その7)
現状では、織屋がいくら良い帯を織っても、染職人がいくら丁寧に染めてもその仕事は評価されず安い商品ばかりが売れてゆく結果となる。消費者は安い商品を求めているのだろうか。着物に限らず消費者は、良い商品を求めているはずである。
性能の良い車、デザインの良い車が評価されれば結果的に更なる性能が向上しデザインが磨かれるのと同じように、消費者が良い商品を求めれば、日本の染織は守られ後世に伝えられる。消費者のきものに対する正当な評価が必要である。
きものの場合、他の製品と違うのは、一般人の実生活から離れてしまっている為に製品に対する評価が困難になっていることである。どの染が良い染なのかが分からない。どの織が良い織なのかが分からない。どの白生地が良い白生地なのかが分からない、と言うように、普段余り目にしないきものの評価が難しくなっている。
しかし、私は消費者にきものを評価する目がないとは思っていない。初めて着物を仕立てに来たお客様に商品をお目にかけると、ほとんど良い商品に目が行っている。何も言わずにプリントの小紋と手描きの小紋をお目にかけると(もちろん値段は伏せて)ほとんどの場合、手描きの小紋を選ぶ。ただし、値札をお目にかけると、「やっぱり高いんですね。ちょっとそこまでは・・・。」と言う言葉が返ってくることもしばしばである。
消費者の無垢の目には良い物を見分ける力は備わっている。その力で着物を評価していただければ日本の染織の将来も明るいのではないかと思うことしきりである。そういう意味で、日本の染織を育てる力は消費者には備わっているし、私は期待している。
しかしながら、問題は業界にある。消費者の目を正しく育てる環境を創っていない。あらゆる雑音が消費者の目を狂わせてしまっている。着物の本質とは関係のない接待や勧誘、法外な価格の設定など。真摯に着物に向き合おうとする消費者の目をそらそうとしているかのようである。
消費者は間違いなく良い物を求めている。それに応えるのは着物業界であり、消費者と織屋染屋をつなぐ着物の流通を担う呉服屋であり問屋である。着物業界のなりふり如何によって日本の染織の将来は左右されるだろう。
織屋染屋、そしてそこで働く織職人、染職人がこれまでに培ってきた日本の染織をより良い物として生み出し、それを消費者に如何に正しく伝えられるのか。着物業界に与えられている責任は重い。ただし、それを受け取る消費者にも是非とも心していただきたいことがある。現在の着物業界がまことにおかしな状況にあることを認識したうえで、冷静に着物の将来を見つめてもらいたいと思うのである。
着物業界に蔓延しているあらゆる雑音を払いのけて、「本当に自分が欲しい着物は何なのか。」「どの染織品を本当に素晴らしいと思っているのか。」「価格は妥当なのか。」等々、着物に真剣に向き合っていただけば、自然に雑音は消え去り日本の染織の将来を照らす光が見えてくると思えるのである。
着物は、それを創る人達だけのものではなく、着る人達だけの物でもない。まして、それを流通させる人達のものではもちろんない。日本人皆が着物、日本の染織に真摯に向き合うことが大切である。