明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅴ ⅰ 衣替えについて(その3)

ゆうきくんの言いたい放題

「日本のきものは季節感を大切にするので、その季節にはそのきものを着ます。」とよく言われる。袷の季節には袷を。単衣の季節には単衣を。薄物の季節には薄物を、と言う意味である。ロドリゲス・ツヅの「そしてこれらの儀式はきわめて正確に守られる」と言う言葉を鵜呑みにするとすれば、それは厳格に守らねばならない。

現在の決まりでは、5月31日までは袷を着て、6月1日からは単衣を着る。しかし、これが現代のきもの事情の障害となっている。

年によっても天候によっても違うが、5月と言えば相当に暑い日もある。北国山形でもそうなのだから、東京や西日本では殊更暑い日が多いだろう。しかし、暦の上では袷の季節である。「5月は袷」とばかり、袷のきものを着ている姿を見かける。

5月のお茶会で袷のきものを着て汗だくになってお茶を運ぶ姿を見ると、「さぞ暑いだろうな。それよりもしみ抜きが大変だろうな。」といらぬ心配をしてしまう。お茶を出す方は我慢しながら袷のきものを着ているが、お茶会に行く人の中には、「袷のきものは暑いから洋服で行こう。」と、きものを持ってはいても洋服を着て行く人もいる。

同じように10月でも暑い日もあり、6月や9月でも肌寒く単衣では寒い日もある。それでも厳格に衣替えに従いなさいというのは、折角きものを着ようとする人の気を萎えさせ、折角きものを着ようという人達が洋服に流れてしまう。

ここで大きく疑問に思うのは、昔は本当に「これらの儀式はきわめて正確に守られ」てきたのだろうか。太陰暦では暑さ寒さの誤差は太陽暦よりも大きいはずである。暑いのに我慢して綿入れや袷を着ていたのだろうか。寒くなっても寒さに震えて単衣を着ていたのだろうか。誰しもが思う非常に素朴な疑問である。

先に揚げたポルトガル人、ロドリゲス・ツヅの書「日本教会史、第十六章第、三節、日本人が更衣する年間の季節について」の冒頭に次のような文章がある。

「日本人およびシナ人の間における主な訪問は、一年の四季、すなわち春夏秋冬に、それぞれの時季の一定の変わり目に行われ、季節と習慣に従い、その季節に合った別の衣類に着更える。それは、それぞれの季節における自然の気候に応じて、単衣を多くしたり少なくしたりするのである。

身分の高い人か同輩の者かを訪問する場合は、常にその季節に用いられる衣類を着て行くのが、たとえ他の衣類の上に着るにしても、よい身だしなみであり礼儀にかなうとされる。これを下に着ては使い途が誤っている。」

この文章を私は次のように解釈する。

「日本人の衣類は季節ごとに替わる。礼を尽くすべき場(身分の高い人か同輩の者かを訪問する)では、常にその季節に用いられる衣類を着て行かなければならない。上に着る物(おそらく羽織を意味する)は必ずそれ(季節に合ったもの)を着なければならない。中に着る物が季節の衣類であっても、上に着る物が他の衣類であってはならない。」

つまり、礼を尽くす場では上に着る物は(羽織の事であろう)その季節のものを着なければならない。わざわざこのような記述をするということは、中に着る物を季節のきもの以外のきものを着ることもあったということになる。すなわち、袷の時季であっても暑い日には単衣を着ることもあった。そして、礼を尽くす場では上に着る物は袷を着ていた、と解釈できる。

暑い袷の時期に単衣を着るのは、体温を保持して体を快適な温度に保つための実用的な意味を持つ。一方袷の時期に、袷のきものを上に着るのは、見る者に季節を感じさせるという日本人ならではの季節感の表れである。

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