全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅴ ⅰ 衣替えについて(その4)
衣替えは江戸時代や昔の日本の風習を踏襲していると言えるが、現代と当時の背景や環境の違いをもっと考えてみる必要がある。
ロドリゲス・ツヅの伝える日本の衣替えの風習は、おそらく武士階級の人達のそれではなかっただろうか。当時は男性社会で、一般の女性が社会の表に出る機会は今とは比べ物にならない程少なかっただろう。宮中や殿中では高位の女性が日本の風習、衣替えを厳格に守っただろうことは想像できるが、庶民に至っては女性たちには今でいう晴の場という生活シーンはどれだけあっただろうか。豪商の奥方や大地主の奥方の中には宮中や殿中に準ずるような人達もいただろうが、庶民は季節の衣替えに対してどのような意識を持っていただろうか。
町人や百姓が着ていたのは普段着である。労働着と言っても良いかもしれない。普段着、労働着であっても季節の衣装は有っただろうし衣替えもしただろう。普段着の目的は、より動きやすく快適なことである。労働に適し体温を適度に保持する役割が一番である。これは日本のきものに限らない。世界中の衣装は、生命の生存を第一義としている。文化の発達とともに次第に装飾性やその他の機能が付加されてきた。「季節感を楽しむ」というのも、少なからず文化を享受して初めて生まれることである。
とはいえ、江戸時代の町人、百姓も少なからず文化を享受して衣替えの意識もあっただろう。しかし、普段着である限り実用性(暑さ寒さへの対策)が優先であったことは否めない。武士であっても最低限「上に着るもの」を季節に合わせてきていたのだから、町人、百姓はなおさらのことである。寒ければ暖かい衣装を、暑ければ涼しい衣装を着ていたのは間違いない。
それでも季節感には気を使ったかもしれない。涼しい夏には、重ね着をしたとしても白っぽい着物を、暖冬の時には袷の着物の下は薄着をする、といったように。
着物は体温を保持するのが第一義であるが、それに季節感を重ねるところが四季のはっきりした日本の文化であり着物の妙でもある。昔の人たちはそれを巧く調和させていたと思えるのである。着物以外に着るもののなかった当時は、そうであったと考えるのが妥当である。
何だか難しそうであるが、何のことはない洋服の世界ではそれがまかり通っている。衣替えを境に代わる学生服、制服を着ている学生は、冬服でも暑ければ中は半そでということもある。私が中学の時、暑い日に裸の上に学生服を着て粋がっている人がいた。それこそ実用的な意味と見る者に季節を感じさせるという二つの機能を果たしているということである。
翻って現在の着物のしきたり(と言われている)はといえば、5月までは袷、6月は単衣、7、8月は薄物ということになっており、それが厳格に行わなければならないかの如く流布されている。衣装は実用性が先に立つはずなのに形式だけが独り歩きしている。
もしも国会で「日本人は着物以外は着てはならず、しきたりは厳格に守るように」と決議されたとしたら日本人の多くが熱中症で倒れるだろう。そういう事実に遭遇すれば、現在流布されている着物のしきたりが形骸だけを追い如何に常軌を逸しているかがわかるだろう。