全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅴ ⅱ きものは高い?(その5)
紬と言う織物が全てそうであるように、昔は商品としてではなく自分たちが着るために織ったものです。絹糸に限らず、麻や綿その他の糸を家庭で織り夫や子供の為に織ったのが普段着です。相当に手間暇が掛かったでしょう。農作業や家事の合間に織って何日も掛けて反物を織り上げたのでしょう。
現代の労賃で考えればとてつもなく高価かもしれません。そうして織られた生地で普段に着る着物を仕立てて着ていました。そして、それは大切に着られました。何度も仕立替えをして、擦り切れて着れなくなれば、解いて子供の着物を仕立てるといった工夫もされました。
自分で機を織り、自分で仕立て、そして完全に使えなくなるまで使用する。それは現代の感覚では計り知れないようにも思えます。
労賃を金で換算し、現代の流行りの洋服のように一時しか着ない、もしも破れたり汚れたりしたら簡単に捨ててしまう、そういった感覚で言えばきものは大変高価かもしれません。
日本のきものの神髄を良く考えていただきたいと思います。
きものを全く持っていない人で「きものは着たいけど高くて」とおっしゃる方に私は次のようにアドバイスしています。
女性の場合は、「お母さんやお婆さんのきものはありませんか。」、男性の場合は「親父さんやお爺さんのきものはありませんか。」そして、「あればお仕立て返致します。」と。
仕立替えであれば、洗い張りと仕立て代だけで済む。そして、古着を着るのと違い自分の寸法で仕立てられる。とても安く済むのである。
しかし、そう言われて奇異に思う人も多い。洋服の感覚で言えば、母親が来た古い着物を自分が着るというのは受け入れられないのだろう。母親のきものを仕立て返して着てきものの良さを知ってもらうというのは、とても良いことだと思うのだがいかがだろうか。
現代の洋服の感覚を離れて、日本のきものの神髄を理解すれば単純に高い安いの議論とは違った位置にあることを感じられると思う。
しかし、「そんなこと言ったって・・・。」と思う人が多いだろう。呉服屋の店頭には高価なきものが並び、きものを作ろうと思うと結局大枚をはたいてしまう。
きものを着たい人に仕立替えを勧める呉服屋はまずないだろう。お客にはいかにして高いきものを売ろうかと腐心している。中には、その気もないお客にきものを売る為にあの手この手で店や展示会に誘い出す。そう言った呉服屋の所業が、益々きものを高いものと消費者に思い込ませ、消費者をきものから遠ざけていることに呉服屋は気が付かなければならない。また、消費者は賢明にきものの神髄を知っていただきたいと思うのである。