全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅵ-ⅱ「豆腐屋」「草履屋」「呉服屋」(その3)
草履屋はどうだろうか。
小売店、いわゆる草履屋さんは減っている。減っているどころではなく姿を消しつつある。山形でも草履を扱う履物屋さんはさしあたって一軒しかなくなったようだ。しかし、草履がなくなったわけではない。着物を着る人にとって必需品である草履は、呉服店や百貨店で売っている。私の店でも草履屋さんがなくなったので次第に扱う草履が増え、前述した如く草履屋さんに間違えてしまう。
草履屋さんが減った理由は、草履を履く人が少なくなり、草履のみを扱っていては商売として成り立たなくなったのだろう。呉服屋や百貨店では、きものを売るいわば付属品として扱われている。草履専門店は成り立たなくなっている。
しかし、草履屋さんの中には全国的に有名になっている店もある。京都の豆腐屋さんと同じで同業者が姿を消す中で生き残り、確固とした地位を築いている。
豆腐屋と草履屋を比べてみよう。豆腐屋は大手メーカーが市場を支配したために店の数が減った。一方、草履屋は需要の減少により店の数が減った。しかし、どちらも少数ではあるけれども生き残り、その業界で確固とした地位を占めている店がある。それらの店はどちらも経営努力により生き残り、その対価として現在商売を享受している。
それに比べて呉服業界はどうなのかと疑問に思ってしまう。
呉服屋は数が減っている。減っていると言っても、実はそれほど減っていない。売上が三十年前の十分の一になってしまった呉服業界だけれども、呉服屋の数は十分の一まではへっていない。一軒の呉服屋が店を閉じると、番頭が独立して数軒の呉服屋ができる場合もある。
豆腐屋と同じように、ナショナルチェーンと呼ばれる大手呉服屋の寡占が進んでいるように見えるが、零細の呉服屋はしっかりと生き残っている。そして、豆腐屋や草履屋のように生き残って消費者の支持を得る呉服屋は出てきそうにない。これはどういうことだろう。それこそが呉服業界の問題と私が考えるところである。
豆腐にしても草履にしても消費者はその価値を正当に判断している。豆腐の価格は原料によって決まるが、同じ原料で作っても価格に差がある。それは付加価値と呼ばれるものである。「秘伝の製法で作られる」「おいしいという評判を得ている」「パッケージが工夫されている」等々、様々な要因で付加価値がつけられるが、その価格差は消費者の納得できるものである。二百円の豆腐と同じ原料で作られたものが三百円(もちろん味も違う)で売られることはあるかもしれないが、二千円で売られることはまずないだろう。
草履にしても、原料や作り方で価格は違うけれども、同じ原料、同じ作り方で作られた草履の価格が十倍違うことはない。
豆腐、草履どちらも消費者の厳しい目が淘汰し業界の趨勢が決まる。従って、より良い商品、付加価値の高い商品をより安価で販売し消費者の支持を得たものだけが生き残れる。その結果、数は少ないが全国の消費者の支持を得る店が生き残っている。
しかるに呉服業界を見れば、まったく同じものが、とてつもない価格差で売られている。流通の複雑さを考えれば2~3割の違いはあるかもしれないが数倍、時には10倍もの価格の違う場合もある。そして、その差は商品そのものの付加価値の違いではなく、店の意向(掛け率をいくらにするか)、販売経費の上乗せ、意図的な付加価値の付与等によって生じている。
きものは豆腐を食べて「おいしい」「まずい」と判断するのとは全く違ったところにある。呉服業界は、豆腐、草履その他の業界とは全く違っている。きものの需要が減少し、業界がしぼんでゆく中で、日本の伝統文化を守らなければならない業界として健全に縮小できないものかと思う。