全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅵ-ⅲ 消費者(きものを買う人)が求めるもの(その3)
問屋を退職して家業に戻ると、今度は小売屋として問屋と向き合うことになった。問屋は様々な売り方をけしかけてくる。中でも招待旅行や消費者セールの案内が次々に舞い込む。「お客様を鹿児島にご招待して大島紬の工場を見学した後、展示会で大島紬を買ってもらう。」「京都にご招待して、名庭のある屋敷で展示会。」等々。しかし、そのような企画には一切参加しなかった。
いつも誘いを掛ける問屋さんが私に言った。
「結城屋さん、たまにはお客様を連れてきてくださいよ。いいお客様たくさんお持ちでしょ。」
招待旅行や接待を伴う販売会は、当然経費が上乗せされて商品の価格がとんでもなく高いものになる。
「お客様にそんな高いきものを勧められません。それでは、きものを売っているのか、旅行を売っているのか分からないじゃないですか。きものを欲しいお客様には、店頭で売った方がずっと安くて良いきものを提供できますよ。それじゃお客様は馬鹿にされていますよ。」
私がそう言うと、問屋さんは、
「そんな事、今の消費者は百も承知ですよ。今時のお客様は旅行が楽しみできものを買うんですよ。そうでもしなけりゃきものは売れません。」
ある問屋さんに次のようなことも言われた。
「結城屋さんは、サービスが悪いって聞きましたよ。」何のことかと思うと、
「他の小売屋さんでは、温泉に招待したり、京都に連れて行ってくれるのに、結城屋さんは招待とてくれない。」と言うことだった。
京都にただで連れて行って着物を買ってもらったところで採算が合うはずがない。旅行代金は商品代に上乗せされているのだけれども、消費者はそれを承知だという。そうだとすると、消費者はいったい何のためにきものを買うのだろうか。京都に行きたいがために、温泉に入りたいがために着物を買う。そんなことはないだろう。しかし、現実にはそのような事が起こっている。
お客様が他店で仕立てた着物を持ち込むことがある。目的は、仕立て替えだったり、寸法直し、染み抜き、丸洗いなどである。
中には仕付け糸が掛かったままで仕立て替えするものもある。全く着ていない着物であるる。寸法を替えたり、娘の為に仕立て返したりするのだが何とももったいなく思える。
「全く着ていらっしゃらないんですね。」そう聞くと、
「ええ、呉服屋さんに勧められて作ったのですが。」という答えが返ってくる。
「せっかくですから一度でもお召になればよかったですね。」と言うと、
「いいえ、着る当てもないのに作ったんです。余り勧められたのでつい。」
こう言ったケースはよくある。良く聞くと、「何度も勧誘されたので展示会に行って・・・。」「何度も電話でしつこく勧誘されたものですから。」「展示会場で囲まれて、断れなくなってしまって・・・。」「主人の友人だというので付き合いで・・・。」
ある産地問屋さんに言った時、次のような笑い話とも言える話をしていた。
小売屋さんの展示会に商品を出品して商品が売れた。かなり高価な反物だったが、反物幅の関係でそのお客さんの寸法には仕立てられなかった。それで小売屋さんに「この反物はそのお客さんの寸法には仕立てられません。」と言うと、「いいんです。どうせ着ませんから。」と言う答えだったという。
そのお客さんは着物のコレクターなのかもしれないが、その小売屋さんは、お客さんが着物を着ないことを前提に着物を売っている。その小売屋さんがどうやつて売ったのかが不思議だが、着物を買ったお客様は何を求めて着物を買ったのだろうか。
消費者がきものに求めるものは何なのだろう。きものを着たいと思う人が、自分の好きな着物を選んで買う、それが当たり前である。しかし、そうではない動機が現代の着物の消費者にはあるのだろうか。
業界を育てるのは消費者である。業界を良くするも悪くするも消費者の判断に掛かっている。
最近イタ飯屋(イタリヤ料理店)が大変多くなってきた。私の町にも次々に開店しては撤退する店も多い。どの店もどんぐりの背比べのようにも思えるのだが、その中で美味しい店は確実にお客様を獲得して残っている。「高いけれどもとても美味しい」「安くて美味しい」そう言ったイタ飯屋は残っている。料理店の本質である「美味しい料理」を守っている店である。イタ飯屋の盛衰は消費者の舌が淘汰している。
呉服業界は、果たして消費者によって淘汰されているのだろうか。私は消費者の判断が呉服業界を良い方向へ引っ張ってもらいたいと思っている。