全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅵ-ⅵ 古い着物はどうしたらよいか (着物のメンテナンス) (その11)
【振袖】
「この振袖、どうしたらよいでしょう。」そう言って振袖を持ち込まれるお客様がたまにいらっしゃる。格別汚れていたり、古くてどうしようもないわけではないけれども、「どうしたらよいでしょう。」の言葉の裏には、「もう着ないので。」「着る予定はないので。」と言う意味が隠されている。
振袖は二十歳前に仕立てるのが普通である。十七,十八歳で仕立てる人もいるが、振袖の晴の本番は成人式である。最近は、成人式でしか振袖を着ないので、誂えずに貸衣装に頼る人もいる。いや、最近は貸衣装派が多数を占めると言う。
成人式が終わると、正月に着る人もいるが、最近は少数派である。結婚式も振袖の出番なのだが、昔と違って兄弟の数も減り、結婚式自体が減っているようである。そして、本人が結婚すれば振袖を着る機会は永遠に逸してしまう。
そんな状況を考えれば「振袖は、前撮りと成人式の二回しか着ませんでした。」と言う人も出てくる。これでは、お役御免の振袖を持って「この振袖、どうしたらよいでしょう。」と呉服屋に来るのもうなずける。
昔は、今よりもずっと振袖を着る機会はあっただろうし、兄弟も多かったので、姉妹が着まわしたり、従妹に譲ったりと言った使い方もしただろう。昔は「この振袖、どうしたらよいでしょう。」と言う相談はなかったように思う。
さて、そうは言っても目の前にあるお役御免の振袖はどうしたものだろう。
相談にいらっしゃる方の中には、「袖を切って訪問着にできると聞いたのですが。」と言って来る方もいる。確かに形式的には、袖を短くすれば絵羽の訪問着になる。ただし、袖の柄が切れてしまう。
私が京都にいた三十数年前には、訪問着にできるように柄付けされた振袖が創られていた。袖の柄が一尺四寸位のところで柄が一旦切れて、また柄付けした飛柄の袖であった。当時でも振袖の後利用について染屋でも腐心していたようだ。
振袖の袖を切って訪問着にする、と言うのは的を得ているようだけれども私は余り感心しないしお勧めできない。振袖の柄はあくまでも振袖柄であり、訪問着のそれとは全く別物である。振袖の大胆な柄は袖を切ったとて訪問着になるとは思えない。振袖の柄は振袖柄、訪問着の柄は訪問着柄である。
留袖の柄を考えてみても、上に柄を足したとしても訪問着の柄とは異なる。色留袖の袖や胸、背中に柄を足しても訪問着にはなり得ない。
そんな訳で振袖の袖を切って訪問着にするのは余りお勧めできない。
また、振袖をバラして油単や鏡のカバーにしたいという方もいらっしゃる。それはそれで一つのアイデアである。
私の店に持ち込まれる振袖はやや年代物が多い。「母親が着た振袖を取って置いたけれども誰も着ないので」また母親の振袖を娘に着せたけれども「もう取って置いてもしょうがないから」と言うケースが多い。最近新調した振袖を成人式が終わったからと言って再利用を考える人はいない。目の前に広げられる振袖を見ると再利用の方法よりも「もったいない」の気持ちが私の中では起こってしまう。
最近の振袖もピンキリだけれども、プリントやインクジェットによる染が多い。しかし、私の店に持ち込まれる振袖は、れっきとした手描きや本型染、本刺繍の物が多い。今はもう作っていない(作れない)振袖もある。私には「この振袖を着る人がいればどんなに良いことか。」と思える。そのような振袖は、再利用を考える前に手を通した人の人生のモニュメントとして取って置くことをお勧めしたいがどうだろうか。
「古い着物はどうしたらよいか」の題名で結論付けるには余りにも芸がないと思われるかもしれないが、私にはそうとしか言えないのである。