全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-ⅷ 呉服屋がなくなる時(その5)
訪問着や小紋、袋帯や名古屋帯、襦袢などはメーカーが減っているとはいえ、これからもまだまだ創られるだろう。しかし、着物の裾物とも言える付属品やメリンスなどの普段着に必要な商品が減少し、姿を消すことも考えられる。
今呉服店で盛んに売られている訪問着や小紋、高級紬、袋帯や名古屋帯を着物の本丸とすると、呉服業界は次第に外堀を埋められつつある。極普段着としての紬やウールは次第に姿を消し、それらを仕立てるのに必要な付属品もいつまで供給が続くか分からない。
三の丸、二の丸を失えば城としての機能は果たさなくなってしまうのだが、呉服業界は、そんな事にはお構いなしに本丸の高さだけを競おうとしている。やせ細った異常に高い本丸だけが残り、それが瓦解する時が「呉服屋がなくなる時」かもしれない。
さて、需要の減少によって外堀が埋められる・・則ち店頭に並ぶ商品のアイテムの減少・・は避けられないだろう。細った需要に対しても真摯に向き合い、呉服の火を灯し続ける努力をすれば「呉服屋がなくなる時」はずっと先に延命できる、否再生できるかもしれない。
問題は、やせ細った異常に高い本丸である。外堀には目もくれず、高額な着物を、いや高額にした着物を消費者に売るだけの呉服業界であれば、バベルの塔が倒壊する如く崩壊するだろう。
私の店に限って言えば、「結城屋がなくなる時」は何が引き金になるのだろう。
企業である以上、最も危ないのは放漫経営である。店の実情を考えずにどんぶり勘定で経営して倒産する例は散見されるが、私はそれはないつもりでいる。現状のような呉服業界で放漫経営すればたちまち倒産の憂き目を見ることは間違いない。
放漫経営はないとしても、どんな経営者であっても、どんなにまじめに経営に専心しても内的外的理由によって店を閉めなくてはならなくなることもある。
内的理由としては経営手腕の不足と言う原因が考えられるが、それは資本主義の世の中に於いては「力不足」として本人の責任でしかない。
外的理由としては、今まで述べてきたように、
① 需要の減少による呉服店の消滅
② 着物の生産の減少により売るべき商品の減少
③ 着物の付属品や安価な着物のアイテムの消滅によって着物そのものの存立が危うくなる
④ 業界自身による自滅
が考えられる。
私の店で①は何とか耐えている。きものの需要は確実に減っているが、店をそれに合わせて縮小しながらも、本当に着物を欲しい人の需要に応えれば、まだまだ店は閉めずにいられると確信している。
②には本当に困っている。お客様求めている商品、店に並べたいと思う商品が容易に手に入らない。最近は、問屋では見つからないので染屋、織屋に足を運んで商品を調達している。この時代ならではの企業努力と思う。
③も大変困った問題である。需要の量としては非常に少ないとはいえ、本当に着物が好きな人にとっては必要なアイテムが消えて行く。これも、仕入れ先を変えながら、また代用品を探しては調達している。このような努力をいつまで続けられるか分からないが続く限り少ない需要にも応えて行きたいと思っている。
ここまでの①から③までは、企業努力により何とか店を続けられそうである。しかし、私の店にとって一番の問題は④である。
日本の着物をより後世まで伝えたい。そういう意味で①②③の努力を続けている。しかし、業界ではそれとは真逆に動いている。需要の少ない着物は切り捨てる。売り上げを確保するために展示会ではとてつもなく高額で着物が販売される。あの手この手の販売は消費者に不信感を与え、着物に近寄りがたい印象を与えている。
ネット上で散見される呉服店への苦情はまさにそれらの産物である。
また、売り上げを確保するために、日本の伝統的な着物はどこへやら、今迄とはまるで違ったしきたりを誘発する着物が売られている。それらは、これからの日本の着物を創造するものではなく、売り上げを確保せんがためのもので、一過性に留まり出ては消え、着物の本質を見えにくくこそすれ、本当に着物の普及にはむしろ障害となっている。
このような呉服環境の中、消費者の間で着物の本質が見えなくなり私の店に、
「こんな安い着物は化繊ですか。」
「ゆかたに合わせる袋帯はありませんか。」
「裄丈を2尺3寸にしてください。」
そう言うお客様が頻繁にいらっしゃるようになれば、私の店も閉めなくてはならないだろう。