全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-27 着物の正しい認識(その5)
着物も同じである。現在の着物は、誰かがデザインして出来たものではない。長い日本の歴史が、合理性や装飾性、また習慣に則したものとして創り上げてきた。そしてそこには技術の進歩がその進化を助長してきた。
今日の着物は、日本の長い歴史とそれを創ってきた人々の努力の上にある。それ故に日本の着物は、世界中の人達にも、素晴らしい日本の文化として受け入れられている。
着物は、非常に合理的に出来ている。それは構造のみならず、メンテナンスやTPOにも及ぶ。
襦袢には半襟が付いている。着物には掛け衿が付いている。いずれもそれらの役割は汚れに対する工夫である。首筋に付きやすく汚れやすい処に付けた交換可能な布である。
八掛は、袷の着物の裏地で、表地の色とのハーモニーを楽しめるが、実は、表地が破れるのを防ぐ役割がある。八掛は表地よりも少しはみ出させて仕立てるので、裾が擦れた時、表地は擦れずに八掛が先に敗れる仕組みになっている。八掛が破れたら仕立て直すときに八掛をずらせば、元通りに仕立てる事ができる。
着物のパーツやTPOを始めて見る人にとっては、「何の為に?」と思われるものもあるが、それらも歴史を踏まえた理由がある。
伊達襟(重ね衿)と言うものがある。始めて見る人にとっては、お洒落の為の只の飾りに見えるかもしれない。しかし、伊達襟は、おそらく十二単までその起源は遡るだろうと私は思うけれども、暖かさの演出である。
十二単を着ていた人は御殿の奥でひっそりと暮らしていただろうけれども、庶民とはかけ離れた生活である。十二単の華やかさの幾許かを伊達襟を付け目事で演出し、暖かさを表現している。
黒留袖には、「比翼仕立て」がなされる。着物の内側に「比翼」を付ける。何故このようなビロビロとした布を付けなければならないのか、不思議に思う人もいると思う。昔は比翼を付けずに、留袖の中には「下着」と呼ばれるものを着ていた。着物の下着と言うと「襦袢」を連想される方もいるけれども、下着は襦袢とは別物である。下着は襦袢を着た上に、留袖(着物)と重ねて着る。
従って、衿や裾からは下着が重なって見える。後に下着を着るのを省略したのかどうかは分からないが、下着を着る代わりに比翼仕立てをして、あたかも下着を着ているかのように見せたものである。
このように、着物は時代を経てより合理的な形となり、また伝統を踏襲しつつも、より着易いものに改良され受け継がれている。
そういう意味で、今後着物が変化してゆく中で、築き上げた伝統と慣習を尊重していかなければならないと思う。その為には、着物はいままでどのように着られてきたのか。その着物を着る意味は何なのか等、着物を知ることにより、より良い着物の将来が開ける事と思う。
着物の正しい知識を得る事が、着物の文化をさらに良い物とするだろう。