全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その2)
小売屋から市場に出た浴衣は、市場の中でグルグル回りながら浴衣の需要をカウントしてゆく。その結果小売屋から市場に出る浴衣の数は減少するという仕組みである。
浴衣を売る側、業界からすれば大変困った話である。売上の減少が業界をしぼませてしまう。しかしこの事は、浴衣を売る側、浴衣を購入する側双方で、もっとよく考えなければならない課題である。
まず、浴衣をオークションなどで処分する行為は悪い事ではない。むしろ、使わなくなったものを他人に使ってもらうというリサイクル、即ち物を大切にしようという行動だと捉える事ができる。
且つて江戸時代には完全なリサイクル社会だったという。壊れた茶碗を欠け継で直し、破れた着物は欠け剥ぎで直して使った。生活用品は、何でも完全に使えなくなるまで使っていた。物は豊富ではないが、生活に困ることはなく、それ程不便は感じなかったかもしれない。
それに比べて今日は、大量生産・大量消費と言う資本主義のサイクルに組み込まれ、もしもこのサイクルが機能しなくなると、忽ち不況・不景気になり生活が困難になってしまう。
「物を大切にしよう」と言う掛け声とは裏腹に、まだまだ使える多くの物が捨てられている。
私が今乗っている車は、9年間乗っているが、その前の車は24年間乗っていた。使いやすい車だったこともあるが、大した故障もなかったので乗り続けていた。最後はスピードメーターの誤差が許容範囲を超えてしまった為、新しい物と交換しなければならなくなった。
「交換してください。」
と言ったものの、既に10年以上前に絶版となった車である。新しいメーターと交換するには50万円以上掛かります、と言われ流石に諦めて新車に乗り換えた。今にして思えば、乗り続けていれば骨董価値が出たかもしれない。
周りを見回すと、まだまだ乗れる車が廃車処分されている。しかし、もし私の様に皆が20年以上乗り続けたら、自動車産業は成り立たなくなってしまう。
同じように、3,000円の浴衣を10年も20年も着ていられたら、呉服業界、中でも浴衣を扱う業者はたまったものではない。浴衣の売れ行きは激減し、実際にその兆候が表れ始めている。
物を大切にする事と、資本主義社会の原動力である大量生産大量消費は相反する事の様に思えてくる。物を大切にする気持ちを尊重しつつ、業界が(産業が)活気づく方法はないのだろうか。
ここで、私は、本当に豊かな生活とは何なのかをもっと考えるべきと思う。現代の社会は十分に豊かになったはずであるが、使い捨て大量消費の風潮から、決して豊かな社会とは言えない面がある。
つづく