全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ.きものつれづれ 45.(呉服の)商売とは?(その3)
多くの新興企業が急成長する中で、一方老舗と呼ばれる企業がある。私の店は創業120年を越える。帝国データバンクによると山形県には100年以上の企業が766社ある。その内山形市が201社である。老舗出現率は4.68%で全国二位。京都では100年足らずでは老舗とは言えないと言う話も聞いたが、山形は京都の4.73%(1403社)に次いで老舗(100年を越える)出現率が多い。因みに三位は新潟県で4.29%(1379社)である。(帝国データバンク調べ)
私の店は、決して老舗と呼ばれる店とは思っていないが、一般に老舗と言うと、どんなイメージを持つだろうか。
山形には「山形しにせの会」と言う会がある。顔ぶれは、お菓子屋、造り酒屋、塗師、漬物屋、味噌醤油屋、料亭、蕎麦屋、鋳物屋、お茶屋などである。いずれも100年を優に超し、江戸時代創業の店もある。それぞれの店は100年以上の立派な門構え、そして古い蔵もあり老舗の名に相応しい店ばかりである。
その老舗の主人と言えば、七代、八代、店によっては十数代の肩書を持ち襲名している。何故それ程長く商売を保っていられるのか。
老舗の看板は非常に大きく重みがある。ともすれば、老舗の旦那は、その看板に胡坐をかいて左団扇でいるような印象も与えかねない。しかし、現実はそうではない。同じ商売を何十年、何百年間続ける苦労と言うのは、会社を急成長させたり、短期的に大儲けするよりももっと難しいように思う。
同じ商品を時代に合わせながら作り続ける。技術を数百年間伝え続けるといった努力は、並大抵の努力ではない。経済誌のトップを賑わせるような華々しさはないが、地道な努力と時代に取り残されない気配りも必要である。
老舗企業の中には1500年続く宮大工の会社がある。1500年と言うのは奇跡に近いような年月だが、3~400年の老舗であっても、その間様々な出来事に遭遇した事だろう。戦乱、飢饉、災害、社会変動、家庭内の事情など。それらを一つ一つ克服して今日まで暖簾を揚げ続けている。
ここ百年間を振り返っても、関東大震災、昭和恐慌、敗戦、ドルショック、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災と、幾多の災禍が商売を襲ってきた。その度に老舗であるかないかを問わず、多くの商売人たちはそれを乗り越えて来た。
東日本大震災では、金融的なダメージのみならず、店を流され商品を流され、それでも商売を続けている人は沢山いる。
そう考えれば、今日のコロナウイルス騒動も商売をする者にとっては大きな試練の一つであるが、老舗と呼ばれる店が今までに色々な問題を克服してきたように、我々も乗り越えなければならない問題であり、乗り越えられるものと思う。
商売は、長く続けることである。特に呉服の商売は長く続けることに意味がある。商売を続けるにはお客様の信用が必要である。呉服屋にとってそれは必須条件である。流行に乗って大儲けして、そして去って行くような商売もあろうけれども本当の商売はそうではないだろう。
つづく