全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-46 呉服屋コロナ騒動「日本経済はかくも脆弱か?」その5
私は昭和31年の生まれである。幼少期は昭和30年代。
昭和30年代と言えば、日本は高度成長期だった。子供心に高度成長期と言う意識はもちろんなかったが、今思えば、身の回りは確かに日に日に豊かに成っていた。「豊かに成っていた」とは言っても、現代とは比べるべくもなく、今の感覚で言えば「とても貧しい」。しかし、私も含め当時の人は、そうは思っていなかっただろう。
今では当たり前の自動車は、とても珍しかった。道路で遊び、時たま車がやって来ると端によってやり過ごし、また道路で遊んでいた。小学校のクラスで車がある家庭はせいぜい一人か二人。皆、大きな商売をしている家だった。
ジュースやサイダーなど、子供が喜ぶいわゆる清涼飲料水やバナナはお祭りの時しか味わえなかった。今では皆コンビニで日常的に買って飲んでいるけれども、サイダーやジュースを飲めるのは、お祭りや友達の誕生会に呼ばれた時だけだった。
それでも日に日に身の回りの消費財は増えて行った。デパートのおもちゃ売り場に行けば、欲しいおもちゃが山積みされていた。レーシングカーやトランシーバーなどの当時で言えばハイテクのおもちゃも並んではいたが、私は見るだけだった。
おもちゃに限らず、子供の私には欲しい物が周りにどんどん増えて行った。
「欲しい物はあるけれども、私の手には入らない。」
子供の率直な世界観だった。
「物はある。しかし、私の手には入らない。それは、私がお金を持っていないから。」
そう思っていたのは、私だけではないだろう。しかし、逆に考えれば、
「お金があれば何でも手に入る。」
そういう価値観も一方で芽生えていたかもしれない。もっと経済学的?に言えば、
「世の中、商品の供給は十分にある。しかし、それが手に入らないのは、対価としての貨幣を持たぬからである。」
私は金を持たない者として、それは十分に承知している。
貨幣があるのに欲しい物が手に入らない、と言う経験はほとんどない。稀にヒット商品がでると、〇ケ月待ちと言う事はある。素晴らしい車が発表されると、
「あの車、納車5カ月待ちだって。」
と言う話も聞くがそうそうある話ではない。もっとも私にはそういう車は縁がないけれども。
消費財ばかりでなく、京都に仕入れに行くと欲しい商品が沢山ある。今時、昔に比べれば、商品の数は激減しているが、それでも問屋を丹念に回ると欲しい着物や帯が眼前に次々と現れる。
気に入った素晴らしい訪問着を前に問屋さんが、
「結城屋さん、そんなに気に入ったのでしたらここまでしましょう。」
と算盤を弾かれると、つい欲しくなってしまう。しかし、
「いや、欲しい事は欲しいけれど、支払いを考えると・・・。」
と手が引っ込んでしまう。もしも、十分な資金があれば、
「あの着物も、この帯も」
と言いたくなるのだが、欲しい商品は有っても、買う資金がない。つまり商品が手に入らないのは、問屋さん側に問題があるのではなく、ひとえに私の資金不足によるものである。
つづく