全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-47 本当の普段着(その3)
皆が着物を着ていた昔、普段にどんな着物を着ていたのだろう。
次の一節は、宮沢賢治の小説「虔十(けんじゅう)公園林」の書出しの部分です。
「虔十はいつも縄の帯を締めて笑って杜の中や畑の間をゆっくりと歩いているのでした。
雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青空をどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたたいてみんなに知らせました。」
宮沢賢治は明治29年の生まれ、昭和8年に亡くなっています。小説の舞台は大正かあるいは賢治が子供の時代の明治末期かもしれません。洋服は既にあったかもしれませんが、地方の田舎では皆着物を着ていたのでしょう。
その虔十は「縄の帯」を締めています。豊かに成った現在、縄の帯など締めている人はいないでしょう。しかし、宮沢賢治が知る日本の社会では縄の帯を締めている人は普通にいたのでしょう。
帯はもともと着物を体に保持する道具です。体に巻き付けた衣を保持するにはひもで結ぶのが最も単純で原始的な方法です。外国では、紐が進化して金具を付けたベルトになりました。
着物を保持する為だけであれば縄や紐で十分にその役を果たします。しかし、そこは日本人の器用さと工夫で様々な帯が創られました。帯は単に着物を保持するための物だけではなく装飾的な意味が大きくなりました。
考えて見れば、帯が着物を保持する物であれば、何故帯を締める時に帯締が必要なのでしょう。帯は本来の役目を越えて装飾的な意味が大きくなり、着物と帯を保持する為に帯締めが登場したのでしょう。
帯には着物を保持する役割と装飾的な役割が求められるようになりました。晴の着物、普段着の着物を考えて見れば、晴の着物に締める帯はより装飾的な意味が大きいと言えます。反対に普段着の帯は本来の役割である着物を保持するための役割が大きいと思えます。袋帯は帯締めを必要としますが、普段着や浴衣に締める半巾帯は帯締めを必要としません。
私が山形に戻った35年ほど前に、店の在庫に「六寸帯」と言うのがありました。袋帯や名古屋帯は幅が八寸です。半巾帯と言われる小袋帯や浴衣帯は四寸です。六寸と言うのはその間にあります。母に聞いてみると、一部を折って胴に巻き、貝ノ口に結ぶと、お太鼓のようなちょっと大きな結びができたらしいです。もちろん帯締めは使いません。晴と普段の間、と言うよりもちょっと立派な普段着の帯だったのかもしれません。
虔十が締めている縄の帯が最も普段着とすれば、舞子さんが締めるような丸帯は最も晴の帯と言えるでしょう。舞子さんの丸帯はもはや工芸品の域にあるものです。
縄の帯(現代では使われませんが)から丸帯まで、その間には色々な、無数と言っていいほどの帯の種類があったのでしょう。〇〇帯といった名称などなくても、長い紐や布を利用して帯にしていたかもしれません。
つづく