明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-47 本当の普段着(その5)

ゆうきくんの言いたい放題

 現代着物のシーンで普段着と呼ばれるものは確かに普段着の範疇であることは間違いない。しかし、呉服屋の店頭に並んでいるのは、普段着の一部でしかない。その昔、普段着とて着られていた着物の幾つかが残り「普段着の着物」として店頭に並んでいる。

 そしてそれらの普段着の着物は(昔の目で見れば)特別扱いされている。いや、「特別扱いされた普段着が残った」と言っても良いだろう。
「結城紬はいくら高価でも普段着です。」
と言い囃されても、結城紬を本当の意味での普段着で着ている人はいない。結城紬を着て洗濯をする人はいないでしょうし、スーパーに買い物に行く人もいないだろう。いるとしてもきちんとお太鼓を締め、正装ではないにしてもよそ行きの普段着の感は否めない。

結城紬とは言わずに、他の紬も同じである。普段着の紬であっても、紬を着るシーンは、俗に言う普段着の意味からは離れてしまっている。

以前、着物の雑誌を読んでいたら、某きものの通と称する人が次の様な事を書いていた。
「もはや着物を着るのは全て晴の場になっている。従って紬も晴の場でも着る事ができる。」
これは私にはとても受け入れられない主張である。着物の市場がどんなに細ろうとも、縮小しようとも、標本の様になってしまおうとも標本には全て肩書があり、それらは長い歴史と伝統に裏打ちされている。

 しかし、現代着物を着る場は、全てよそ行きの場になってしまっているのはあながち嘘ではない。昔着ていた普段着の多くが櫛の歯が抜けるように脱落し、現代に残っているのはよそ行きの普段着である。

  業界で、「普段に着物を着よう」と言う事も叫ばれているが、それも今店頭に並べられている普段着を拡販しようと言う試みがほとんどである。 

 もしも、昔の人が普段着でこの世に現れ、私の店に来て
「この着物に締める帯はありますか。」
と聞かれたとしたら、私は何を勧めて良いのか分からないかもしれない。勧められる帯はないかもしれない。

本当の普段着はどこへ行ってしまったのだろう。

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