全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-49 時代の転換点・商売の転換点(その2)
私が経験した商売の転換点とは、それまでの商売が突然通じなくなる時である。それまで安泰に商売を続けてきて、突然商売を取り巻く環境が、ガラッと変化してしまう事がある。
商売を取り巻く環境とは、商品であったりお客様の意識であったり、また販売の方法だったりする。今まで売れていた商品が突然に売れなくなる。しょっちゅう買い物来ていたお客様が突然来店されなくなる。今まで売れていた商いの方法が通じなくなるなどである。
考えて見れば、世の中は変化している。何時までも現在の商品や商法が通じる訳はない。
江戸時代の呉服屋の商品商売を続けていたら現代では通用しない。商売は常に時代の波について行かなくてはならないのは道理である。呉服屋に限らずあらゆる産業に言える。
音楽産業では、かつてレコードと言えばSPレコードだった。回転数は78回転。レコード針もLPとは違っていた。昭和30年代には45回転のドーナツ盤、33回転のLP盤が主流となる。その間隙でフォノシートと言うのもあった。その後テープも普及してきて、8トラックやカセットも出て来た。そしてCDが登場し、レコードはほぼ駆逐された。レコード店では目まぐるしく変わる商品の対応に四苦八苦だったろうと思う。そして、今は、音楽配信が盛んになりCDの売れ行きも芳しくないと言う。
アーチストは、CDの印税をあてにできず、コンサート収入にシフトし、コンサートの規模は日に日に大きくなっている。
レコード店を含む音楽産業に携わる人は皆商売の転換点を迎える度に時代の流れについて行くことを余儀なくされている。
さて呉服業界でも商品や商売の方法が時代の波と共に変化してきた。
昭和30年初期頃までは、呉服屋は、京都や産地の問屋から商品を仕入れ、店に並べて商売をしていた。着物買いたいお客様は店を訪れ商品を購入して行く。またお得意様には必要な商品を訪問して販売していた。商売の方法は当時の酒屋さんが店頭で販売し、また近所のなじみの家には御用聞きに周ったのと同じである。(酒屋さんも、今日の商売は当時の商売とは似ても似つかない状態になっている。)
昭和30年代に転換点が訪れた。「展示会」と言う商法が浸透して行く。
当時の展示会は、お客様により多くの商品から選んでいただけるようにと始められたもので、問屋さんか商品を持ち込んで店の商品と一緒に会場を借りて展示していた。
その当時私は小学生。店で展示会が行われている時には、学校の帰りは家ではなく展示会場に行った。そして何某かの手伝いもしていた。子供心に展示会の様子を見ていたが、当時着物は実に良く売れていた。
ひっきりなしにお客様がいらっしゃる。展示会場には多い時は3~4組、少なくとも常に1組のお客様がいらっしゃっていた。
売れた商品は段ボール箱に入れて積まれていた。そして閉めた後、祖父が売れた商品を分類していた。
「これは店の。これは〇〇さん(問屋さんの名前)の・・・」
それを聞いていた私は祖父に言った。
「全部問屋さんから借りたら良いんじゃない。」
すると近くで聞いていた手伝いに来ていた問屋さんが私に言った。
「やっちゃん。そうは問屋が卸さないんだよ。」
言い得て妙であった。やはり問屋さんは商品を買い取ってもらいたいのだ。
さて、それほど賑わっていた展示会。さぞ売れていた事と思う。私は当時の店の売上や財務状態は分からないが、年間売上の相当部分を展示会が占めていったのは間違いない。、当時全国に広まっていた展示会は一つの転換点だった。展示会を経験した当時の呉服屋は、もはや展示会なしでやって行けなかっただろう。
つづく