全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-50 着物の処分・箪笥の整理(その11)
【総括】
私の経験を基に箪笥の整理、着物の処分法について書いてきました。どのように受け取っていただけたでしょうか。
全く鵜呑みにしていただけると思っては居りません。それぞれの箪笥を開く前に、それぞれが置かれた立場、環境が異なり、それによって自ずから対応は変わってくるからです。
着物を着てくれる身内は居るのか、幾枚かを残しておこうとしても保存にもお金が掛かる、まして仕立替えともなると洋服と比べれば多大の出費を迫られるけれども、それを受け入れられるのか。また、住居の環境によっては、箪笥自体を処分してしまいたい、いや処分せざるを得ないと言う人もいると思う。
親や自分の大切な着物をわずかでも残しておきたいと思っても、若い人に、
「なんでそんな着ない物をとって置かなくてはならないの。捨ててしまったらよいのに。」
の一言で、思い出の詰まった着物を残そうと言う気持ちが消し飛んでしまう人もいるかもしれない。
最終的には、本人の着物に対する思いと自分が置かれた環境によって自分で判断するしかないように思う。ただしその場合、着物を肯定的に見るのか、それとも否定的に見るのかが判断の大きな分かれ道になる。
今回書いてきた着物の処分法は、私すなわち着物に肯定的な見方をしている人の判断である。そして訴えたいのは、肯定でも否定でもない人達、着物の事がよく分からない人達に着物に対する考え方を一考していただきたい思いである。
例えば男の黒紋付。残しておいても誰も着る人はいないかもしれない。しかし、日本人にとって男性の黒紋付とは何なのか、そこに含まれている日本の文化をもう一度考えていただきたいのである。
箪笥の中に父親が来ていた紋付一式が仕舞われている。それは着なければ何の意味もないかもしれない。しかし、無用の用と言う言葉がある様に、私はそれが何の役にも立たないとは思えない。幼い息子に箪笥から紋付を取り出して、
「これは御祖父ちゃんが着ていた紋付だよ。」
と見せたらどうだろう。
「紋付ってなあに。これどうするの。」
と幼い子には何も理解できないかもしれない。しかし、その子の心の内には「黒紋付」と言う言葉とその印象が刻み込まれているはずです。黒留袖や訪問着も同じで日本の文化を後世に伝えることができると思うし、その中から自分も着物を着て見たいと思う人も出てくるに違いない。
着物は日本の文化であり残して行きたいもの、と言う意識が芽生えればよいと思うし、箪笥を整理するにあたっては、そう言った立場で考えていただきたいのである。
そういう立場で箪笥を整理していただきたいと思うのだが、一方でそう言わざるを得ない事に寂しさを感じている。
本当は、
「着物は何回でも仕立替えして着ていただきます。先代や先々代の着物でも生地さえしっかりしていれば何時でも仕立替え致しますので、孫末代まで大切に着てください。」 とは言えない時代になったのだとつくづく感じさせられる
追伸
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お近くでしたら参上いたします。
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