全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-52 環境問題ときもの(その4)
私の母は、着物の裾が切れると洗い張りをして仕立て直している。他に着る着物がないわけではないのだが、裾が擦り切れたり破れたりすると反射的に解いては仕立て直しをしている。
先日も母の着物の洗い張りが出て来たので、加工伝票に寸法を書こうとした。しかし、生地を点検すると、何度も仕立替えをして擦り切れや破れが激しい。何カ所か破れた箇所が端縫いミシンで繕ってある。縫い目を合わせて見たけれども、仕立替え出来そうにない。
「これ、本当に仕立て替えするの。」
そう聞くと、
「もうダメか。ダメなら仕立てなくてもいいよ。」
そう言われたが、洗い張りがもったいないばかりだった。九十を越える母は、普段着を何度でも仕立て替えすると言う習慣が身に付いている。
昔の人は、着古した着物は仕立て替える。難があれば何とか工夫して仕立て替える。それでも仕立て替え出来なければ、羽織を仕立てたり、場合によってはモンペを作ったり、そして最後には端切れとして利用したのだろう。
仕立替えに限らず、着物は本質的に環境にやさしい。
着物には流行がなく、形が変わらないので昔の着物を着たとしても時代遅れとはならない。洋服の場合は、形を競っている。そして流行は全ての人を網羅して襲い掛かって来る。
ミニスカートが流行している時にロングスカートを履くのは野暮と後ろ指を指される。親父の昔のスーツを着れば周りから浮いてしまう。
洋服は形が決定的にその人のセンスを表している。しかし、着物は基本的に形は変わらない。普段着も晴の着物も形は同じである。袖丈や袖の丸みなど若干違うけれども基本的に形は同じである。数十年のスパンで見れば、昔も今も着物の形は変わらない。
着物に流行があるとすれば色や柄である。白地の着物が流行ったり、辻が花文様が流行ったりしたこともあるが、それらの流行の色や柄の着物を着ている人は極わずかである。結婚式に行ったらほとんど皆が白い着物を着ていた、皆同じ柄の着物を着ている、と言う事は無い。居合わせたほとんどの人が、流行と言われる色柄を着ていないだろう。
着物の流行は洋服とは全く違っている。昔の着物を着ても決して流行遅れにはならない。そういう意味で、何度も仕立替えができ、洋服の様な流行の無い着物は、完全循環型の環境にやさしい衣装である・・・と言いたいところなのだが、最初に述べた通り「今の着物」と言う枕詞が付けば、私は口籠ってしまう。
私の店では、仕立替えをはじめとしてあらゆる着物のメンテナンスの相談を受け付けている。仕立て替え出来そうにない着物でも、工夫によって新品同様に仕立て替える事もある。着物は環境にやさしい、と言う事を実践してはいる。
しかし、今着物を仕立て、着て頂いているお客様が、環境にやさしい着物の良さを感じて頂いているだろうかと思ってしまう。
つづく