全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-52 環境問題ときもの(その7)
さて、呉服屋が環境にやさしい着物を消費者にアピールすれば、新品の着物の販売は減少する。呉服屋(小売屋)は、着物のメンテナンスで生き残れるが、業界の川上である染屋や織屋は生き残れるのか。もしも、生き残れないとすれば業界全体の崩壊に繋がらないのかと言う問題が出て来る。
消費者が、環境にやさしい着物を熟知し、大切に長年着るようになれば、着物の需要は増えるかもしれないが、着物を新調する人は激減するだろう。新品の需要が減れば、染屋織屋、問屋の売上は激減し、続けられなくなる。
新品の着物を売り続けなければ呉服業界は成り立たない。これは、消費を続けなければ、また消費を拡大し続けなければ経済が成り立たないと言う資本主義の矛盾にまで到達してしまうのだが、それは着物本来の性質とは相反する。
呉服業界では次々と着物を売ろうと、あの手この手で着物を販売してきた。消費者が買い飽きしないように、あらゆる付加価値(あらぬ付加価値)で消費者の購買意欲を刺激してきた。その結果、洋服と同じように着物は一、二度着れば箪笥の底に仕舞われる存在となってしまった。いや、一、二度着ればまだ良い方で、一度も袖を通すことなく着物も多いと聞いている。
資本主義の矛盾にがんじがらめとなった呉服業界が、今更その軛から逃れるのは至難の業であるし、本当に着物を本来の姿に戻そうとすれば、業界に多くの痛みを生じさせる。しかし、その痛みを堪えてでも、やはり着物を本来の姿に戻すべく努力をすべきと思う。
現在の呉服業界にとって最悪のケースを想定すれば、消費者は着物を大切に、仕立替え乍ら長く着る事になる。それによって呉服屋には、仕立替えをはじめとしてメンテナンスの仕事が発生する。しかし、染屋織屋は需要が減り生産量は激減する。それによって多くの染屋織屋が店を閉じ、結果的に着物や帯の生産は縮小に向かう。気が付いた時には、問屋にも商品がなく、呉服屋が新しく商品を仕入れようとしても仕入れるべき商品が無くなっている。
呉服屋の中でもメンテナンスを地道に行ってきたところはまだ売り上げができるが、着物を売るだけの呉服屋にとっては、売り先も仕入れ先もなくなってしまう。
売るだけの呉服屋を私は呉服屋と認めたくはないのだが、それらの店は行き場を失って店を閉めるところも出るだろう。
では、どうすればよいのだろうか。それは、呉服屋も問屋も染屋織屋も呉服業界が原点に帰る事である。
つづく