全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-55 着物の末路(その3)
この麻生地は何時ごろのものだろう。確かに私の祖母が着ていたような気もする。私の祖母が亡くなったのは43年前である。最低50年は経っている。いや、剥いで仕立替えをしたのが祖母だとすると、80年は経っているかもしれない。
80年前と言えば戦中、戦前である。80年前の生地がこうして私の眼前にある。洋服ではまず考えられない事である。絹物でもたまに戦前の物を見る事はある。しかし、絹物の場合まず着る事は出来ない。
絹物は、貴重品であったがゆえに、昔の絹布は生地が薄かった。量目で取引されたために裏地、羽二重地には糊が残った物も多く、糊が茶色に変色したものも多い。表地も弱くなり仕立て替えには耐えられない。
紬地は縮緬に比べれば比較的しっかりしているが、現代の紬に比べれば生地が薄く仕立て替え出来ない物もある。
それに比べると麻生地はしっかりしているように思える。麻生地は普段着中の普段着として扱われ現代の上布の様に珍重されなかったために、良く言えばしっかりと、悪く言えば大雑把に織られたがゆえに長年の経年変化にも耐えられているのかもしれない。
さて、この麻生地、やはり再度仕立て替えするのはあきらめて暖簾に仕立てる事となった。
生地を二枚並べて見る。一面に絣が織られているとても贅沢な暖簾に見える。絣はそれ程緻密精巧ではないけれども、十分に手織りの技を感じさせるものである。
はじめ、身頃の生地は剥ぎが入っているので袖を二枚合わせて暖簾を作った。しかし、普段着の袖丈なので1尺1寸余り。2尺程度の暖簾しかできない。下げて見るとあまりに短い。
そこで、身頃を使って暖簾を作った。長さは十分に採れる。剥ぎの部分が気になるかと思ったがそうでもない。かえつてアクセントを感じさてくれた。
かくして80年前の着物は末路を迎え、着物としての生涯を終えた。しかし、今度は暖簾に生まれ変わって使われ続ける。あと何年続くのかは分からないが、それを全うする時が本当の着物の末路である。
形あるものは壊れるのが世の習いだけれども、着てもいない服、買い手に渡らない服が大量に廃棄されている世の中である。古くなり着られなくなった着物でも捨てるのは気が引ける。この度は、暖簾になった麻生地を見て気持ちが晴れるような気がした。
「これが着物の本当の末路かな」と。